坐禅と内観
白隠禅師の内観法
禅の世界で「内観」と言えば、江戸時代の名僧・白隠慧鶴禅師が開発した内観法(以下、白隠内観法)を指します。白隠禅師は坐禅修行に打ち込むあまり「禅病」を患い、酷いのぼせ(心火逆上)と、手足の冷えに悩まされたそうです。
気功でも偏差(へんさ)と呼ばれる禅病に似た症状が表れる事がありますし、他の冥想法でも魔境(まきょう)と呼ばれる状態に陥る事があります。禅病や魔境の主な原因は、過剰な一点集中による氣血の乱れや、表層意識の鎮静化によって抑圧された感情が一気に表面化するからだと考えられています。
白隠禅師は、白幽と名乗る仙人から授けられた内観法(リラックス)と軟蘇の法(イメージ)のおかげで、見事に禅病を回復させたと言い伝えられています。また、歩く冥想として知られる経行(きんひん)には、氣血の流れを整え、健康を促進させる効果があるようです。
経行の動画を見つけました。禅者なら必見です。
吉本伊信氏の内観法
心理学的には、自己の感情や心身の感覚を観察する事を「内観」と言い、現在では昭和の真宗僧侶・吉本伊信氏が開発した内観法(以下、吉本内観法)を指す言葉になっています。
吉本内観法では、自分の親にしてもらった事や、自分がして返した事、迷惑をかけた事の三項目(内観三項目)を通じて自己を振り返り、反省する事で視野を広げ、認知の歪みを正します。
また、吉本内観法には集中内観と日常内観という二つの方法があり、集中内観では静かな部屋の中でセラピストを相手に懺悔を行い、日常内観では日常の中で一人静かに内観三項目を通じて自己と向き合います。詳しい方法については、日本内観学会の公式ページを御覧ください。
自己と向き合う内観法
坐禅を通じて自己と向き合うなら、禅の様式に合わせる事で社会人の仮面を剥ぎ取り、心静かに坐って自分の体や心の声を聴いて、知識や思い込みという自縄自縛の縄を解き、日々一歩づつ真の自己の在り方に近づいていきましょう。
ただ只管(ひたすら)に打(ぶ)っ坐り、何かをしようとせず、何者かになろうともせず、全てを忘れ、全てを捨てる。何故なら、人間本来無一物だからです。坐禅で問題を解消するのではなく、元々問題など何も無かったと気づく為に坐りましょう。
坐禅で自己と向き合うのが難しいようでしたら、ブログを通じて自己と向き合うブログ内観法をお試しください。この内観法なら独学独習が可能ですし、殆どお金もかからず、日常の合間の手すき時間に行えるので、忙しい現代人にピッタリです。