令和時代の始まり

2020年6月22日2019年

坐禅修行の準備が整うまで

管理人が坐禅修行をする決心をしたのは、今から二年ほど前です。当時はまだ会社員をやっていて、仕事の忙しさとストレスで心身共にボロボロの状態でした。この辛い日々をどうにかして乗り越えたいという一心で坐禅を始めたのですが、正直、続かなかったんですよね。

続かなかった理由は、勤務シフトに夜勤があり、昼夜逆転が当たり前になっていたからです。そういう生活をした事のある人なら分かると思いますが、いくら寝ても常に眠いし、何かダルいんですよ。そんな状態で坐禅なんかしても、二秒で居眠りです。

また、職場の人間関係も非常に悪かったので、帰宅後は酒を飲まずにはいられませんでした。坐禅を始めた当初は飲みたいのを我慢していましたが、次第にその我慢自体がストレスになっていきました。

 

坐禅をすれば、確かにストレスは軽減します。正確には、ストレス源と精神的な距離が出来ると言う感じなのですが、次第に精神的な距離が出来ている時と、出来ていない時のギャップにストレスを感じるようになっていきました。誰もがこうなるとは限りませんが、少なくとも私の場合はこうなりました。

そして坐禅そのものに嫌悪感を覚えるようになり、晩酌の量だけがどんどん増えていきました。そんなある日、ふと「このままでは自分はダメになる」と思いました。

でも、どうすれば良いのかが分からない。会社の体質と仕事内容そのものに問題がある訳ですから、異動を希望しても状況は大して変わりません。社内政治もやりましたが、会社から自浄能力が失われている事を実感させられただけでした。

 

そんなこんなで自分の無力さと弱さに打ち拉(ひし)がれていた時に、ネットで「Bライフ」や「早期リタイア」と言う選択肢がある事を知りました。

Bライフとは、山奥にある激安な土地を買い、自分で掘っ立て小屋を建てて住むという、あまりお金を使わないライフスタイルの事です。当時の私にとっては目からウロコな思想だったのですが、この程度の事も考えつかなくなっている自分の思考の麻痺っぷりにも気付かされ、大いに恐怖したものです。

早期リタイアもBライフと大して変わりませんが、一応20年以上働いていたのでそれなりに資産がありますし、こちらの方が私の性に合っていると思いました。





 

 

Bライフや早期リタイアについて勉強していくうちに、趣味でやっていたブログで収益を出す方法を知ったり、再就職に拘らなければアルバイト先も結構ある事が分かってきました。未婚の身でお金さえあるなら、会社員という立場に固執する理由など、何処にも無かったのです。

そして計算上では、早期リタイアは不可能ではありませんでした。そこからの決断は、我ながら早かったです。税金や保険や年金についての勉強をしながら諸々の手続きを進めて、約一年後に退職しました。

退職するまでの一年間で、会社員としてやれる事はやり尽くしたので、全く後悔などしていません。でも、嫌な記憶は残ります。退職してからの三ヶ月間は幸せイッパイでしたが、平穏な生活に慣れるに従って「思い出し怒り」や「職場の夢」の頻度が増えていきました。

 

退職後はカツカツの貧乏生活になる事を覚悟していたので、飲酒は控えるつもりでした。しかし、嫌な記憶と仕事の夢が、それを許してはくれません。幸せな筈のリタイア生活が、何とも味気なく退屈に感じるようになり始めた頃に、再び坐禅への情熱が戻って来ました。

このウロついた気持ちをどうにかしたい、YOUTUBEで見る永平寺や萬福寺の雲水達がしているような本物の修行をしてみたい。過去の記憶や、自分自身に負けたくない。心の底から、そのように思いました。

残念ながら、私は仕事と坐禅修行を両立出来るような、強い人間にはなれませんでした。私は環境を整備しないと、坐禅すら続けられないような男なのです。しかし、その事実を受け入れた瞬間、スッと気持ちが楽になり、かつての職場や社員達への怒りが薄れていきました。

 

私は職場の連中を「無責任で、つまらない奴ら」と見下していて、連中に負けないよう心理的に張り合っていました。しかし、連中に対して完全勝利を収めていたり、圧倒的に優位だったなら、ここまで怒りが持続する事は無かったでしょう。どっちもどっちのいい勝負になっていて、決着もつかなかったからこそ、いつまで経ってもスッキリしなかったのです。

自宅で坐禅をすればする程、その鬱屈した気持ちは弱くなり、職場の連中とも精神的な距離が出来ていきました。それに加えて日本各地の霊場や修行道場を巡り、その雰囲気を身を以て体感していく内に、つまらない連中と張り合っている自分自身もつまらない奴だと思うようになりました。

早い話、私の場合は、ここまでしないと坐禅修行の準備が整わなかったと言う事です。でもまあ、辛うじて令和元年の新時代には間に合ったみたいなので、一応は良しとしましょう。

 

 

改元

上皇陛下が譲位をなされたのは、とても良い選択だったと思います。崩御した後では「ありがとう平成」「よろしく令和」と言うような祝賀ムードにはなりません。

久々に自宅のテレビを見てみました。手前右側の長い包みが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・草薙の剣とも)中央の2つの包みが御璽(ぎょじ)と国璽(こくじ)、左の包みが八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)でしょうか。

御所の「剣璽の間」には天叢雲剣の形代と八尺瓊勾玉の実物が安置されており、宮中三殿には八咫鏡の形代が御神体として祀られています。この儀によって承継されたのは、天叢雲剣の形代と勾玉の実物という事ですかね。因みに、天叢雲剣の実物は熱田神宮、八咫鏡の実物は伊勢神宮で御神体として祀られています。

WiKIを見ると、剣と勾玉は赤坂御所に安置される事になったと書いてありました。これは剣璽の間を、そちらに移したと言う事でしょうか。

 

 

天皇彌栄(すめらぎいやさか)!

2020年6月22日2019年

Posted by 清濁 思龍