人を賢くするのは、暇と退屈

2020年6月24日積極的隠遁

隠者が性に合っている

多分、発達障碍(自閉症スペクトラム)の所為だと思うのですが、管理人は寂しがり屋ではありません。幼い頃から本を読むのが大好きで、人の輪の中に入っていく事を嫌う傾向がありました。小学生の時にファミコンにハマったおかげでロクに友人が出来ませんでしたが、全く気になりませんでした。

高校を卒業して就職した時は、ヤクザみたいな先輩達と上手く関わる事が出来なくて大変でしたが、それも仕事を選べば良かっただけの話です。隠遁生活に入った今となっては、知り合いと電話やSNSで連絡を取り合う事はあっても、直接人と会う機会は殆どありません。

そんな生活で寂しくないのかと言われるかも知れませんが、全く平気です。というか、私は生まれつき「寂しさ」という感情が欠落しているのではないかと思うくらい、寂しさを感じません。学校や会社でシカトされた経験もありますが、むしろ面倒が減って都合が良いくらいでした。

 

そんな私にとって、隠遁生活は快適そのものです。誇張抜きで、これまで生きてきた中で、今が最も充実して一番幸せな時期です。正直、異性という栄養素のみ足りていませんが、今更、恋愛にうつつを抜かす年齢でもなし。結婚こそしませんでしたが、恋愛自体は過去に濃いのを経験しているので、それなりに満ち足りています。

恋愛について話すのは恥ずかしいのですが、あれは「如何に異性を愛するか」がテーマだと思うんですよ。そして一定レベルを恋愛を経験したら、満足してそれ以上の事は求めなくなるものです。

愛情を求めるとキリが無いけど、与える側に回ると満足と感謝しか無いです。恋人同士の甘々な時間もたっぷり味わいましたし、顰蹙を買うのを承知で言いますがえっちぃ事もやり尽くしました。色々あって結局はお別れしてしまいましたが、今でも当時の彼女の事を思い出しては幸福を祈っています。

 

生まれついての発達障碍でも恋愛は出来ますし、毒親持ちでも恋愛可能なレベルにまで自己成長を遂げるのは不可能ではありません。その為に、今、出来る事をするべきです。発達障碍の大変さや、毒親の有害性を社会に啓蒙するのも大切ですが、それと並行して自己成長の為の努力もしましょう。

社会に対して、弱者の立場から苦労や被害を訴えて回ると、ある種の勢力が味方になります。しかし、その手の人達を味方に付けると、自己成長の機会が失われてしまいます。個を確立してから政治に関心を持つのは良い事ですが、その逆は全くお勧め出来ません。

 

 

引きこもったまま自活するという選択肢

社会の中で、何らかの集団(群れ)に属さずにやっていけるのかと心配する人も居るかと思います。ちなみに私の場合は、数に対して真面目な上司を味方につける事で対抗していました。

会社のように人と金が集まる所では、自分なりの処世術を持たねば生き残れません。生き残る術を持たない人は、周囲に流される事しか出来ません。運が良ければ自分に相応しい場所に流れ着く可能性もありますが、それはかなり分の悪い賭けになります。

自分なりの処世術を持てず、良い流れにも乗れなかった人が「引きこもり」になる事は珍しくありません。引きこもりが社会問題と言われて久しく、世帯数にして約32万世帯、一説には国内に100万人(中高年60万人、若年40万人)も居るとも言われています。

 

国の政策としては、ひきこもり地域支援センターを設立して、就労支援を行っているようです。当然それは必要な措置ですから、否定する要素は何もありません。しかし、引きこもっている人達に本当に必要なのは、引きこもったままでも稼げる自立の手段ではないでしょうか。

引きこもりの根本的な原因は、育った家庭にあると言います。両親は最初に出会う他人であり、家庭は最初に経験する社会です。そこで躓くと、もっとややこしい学校や会社の中でやっていくのが難しくなるという構図があります。

私も機能不全の家庭に生まれ「オマエなんか要らない」と言われて育った人間なので、愛情飢餓の辛さや苦しさは良く知っています。そしてそれは、マトモな家庭で愛されて育った人達には理解出来ない事であり、これを克服するのは非常に困難な事も知っています。

 

ならばいっその事、無理をして社会に適応しようとはせず、引きこもったままでも生きていけるようになったり、最初から隠遁を視野に入れて社会人としての活動をしてみてはいかがでしょうか?

 

 

天国ばかり見ていると地獄行き

他者への理解がある優しい社会を求める気持ちは私にもありますが、全ての人が手を取り合う平等な社会は、実現不可能だと思っています。何せ、人間には違いを見分けて、区別や差別をする心がありますので。

完全に平等な社会は、人の業や、認識能力の在り方を否定する理想論です。共産主義のようにイデオロギーから出来っこ無い事をやろうとして、失敗し続けているのが今の社会だと思います。

国の引きこもり政策が社会参加や社会復帰を目標に設定するのは当然ですが、個人的に必要なのは住み分けが許される社会だと思っています。国という多種多様な人間を詰め込んで、法律やモラルなどで束縛して無理矢理仲良くさせるのではなく、タイプ毎にキッチリと仕切りを作るべきだと思います。

 

グローバル(世界的規模)社会と言えば聞こえは良いけれど、その実態は古代中国の呪術「蠱毒」の如しです。蠱毒とは、毒を持つ百種類の生物を一つの容器に入れ、共食いさせて生き残った生物の毒を、願いを叶える為に使うというものです。流石に全く同じだとは言いませんが、個人的にはそれに近いものを感じます。

己の存在を否定された苦しみは、同じ経験をした者としか共有出来ません。存在を肯定されて問題無く成長してこれた人や、人を人とも思わないエゴイストとは絶対に分かり合えません。例え頭では理解出来ても、共感までは出来ません。だから、ふとした拍子に、本音が出てしまう訳です。

ポロッと「言っちゃいけない本音」を言ってしまった人は、メディアやSNS等で袋叩きにされてしまいます。しかし、言葉狩りや言論封殺によって作られた社会は、地獄に他なりません。当たり障りの無い美しい言葉のみ認める人は、自分が地獄を作り出しているという自覚が足らないと思います。

 

美しい言葉しか認めない人は、似たような人だけで小さなコミュニティを形成すれば良いのです。そして異なる価値観を持つ人を尊重して、必要以上に干渉しないで頂きたい。何故なら、錦の御旗を振りかざし、自分達の思想で世の中を染め上げようとすれば、必ず闘争に発展するからです。

 

 

孤独が自由への扉を開く

宗教および精神世界は、ハンディキャップや難しい問題を抱える人達の居場所であり、受け皿です。昔は寺で出家して世を捨てるという選択肢がありましたが、今はこれに相当するものがありません。つまり、どのような思想を持つ人でも、一つの社会に属さないといけなくなっている訳です。

早期リタイアを決心して計画を立て始めると、この事実に直面します。人生に疲れた人が一度は考えるであろう自給自足の生活なんか、今ではとても出来ません。出家修行をするにしても、インドのサドゥーのようなスタイルにはなりません。

社会から一時的にでも距離を取るという選択肢が無く、薬を飲みながらでも社会に属し、お金を稼がなければならない仕組みになっているので、近視眼的に「退職したら人生終了」と考えてしまう人も多く居ます。だから過労死や自殺者が減らないのではないでしょうか。

 

思考能力や洞察力を養った結果、世の無常や苦を実感して厭世的になってしまった人や、生まれつき繊細な心を持ち、社会経験を積むうちに自他のエゴそのものを嫌悪するようになった人が、蠱毒の如き人間社会に復帰するのは困難です。

誰もが聖者として崇める釈迦世尊にしても、元は一介の出家修行者です。世捨て人です。世を捨てなければ成し遂げられない事もあるのですから、そういう選択肢を時代に合わせながら残していかなければならないと思います。

何らかの突出した才能がある人達ならば、世の常識や固定観念にとらわれずに生きていけますが、それはそれでリスクが高い生き方です。才能の無い一般人が世を捨てようとすれば、一財産作って早期リタイアするか、在宅の仕事に切り替えるくらいしか選択肢がありません。

 

社会や価値観の多様性を言うならば、まず無理矢理にでも社会に参加させようとする姿勢から改めるべきです。我々国民は、税金を搾り取る為に飼育されている家畜ではありません。人によっては、少し社会から離れた方が実力を発揮できる人も居る筈です。

思索・思惟に耽るだけの十分な時間が無ければ、勉強や仕事に忙殺されて、会社の歯車や社畜として生きていくより他はなくなります。人が成長する為に最も必要なのは、良い意味での「暇と退屈」です。

古来より賢者は人里離れた山奥で隠遁生活を送るものですが、それは社会や集団の狂気に飲まれる事なく、思索・思惟に耽る為なのです。



 

 

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2020年6月24日積極的隠遁

Posted by 清濁 思龍