己の人生をアート化する

2020年5月10日積極的隠遁

 

自分らしく生きる

基本的に人の世は何でもありです。より良い生活環境を作る為に決められたルールはありますが、それは土地柄や時代によって変化する無常なるものに過ぎません。唯一絶対の価値観など全然ありはしませんし、だからこそ人は自分らしく生きて良いのです。

しかし、人間は自由を与えられると、何をして良いのかが分からなくなる面倒な生き物でもあります。そうなった場合は二つに一つで、束縛という名の安心を自ら求めるようになるか、自我意識と生理的欲求の赴くままに行動し始めるようになります。

完全なる自由は、人間にとって決して有り難いものではなく、むしろ手に負えず持て余してしまう恐るべきものです。悟りに憧れ、真理を学ぼうとする人は多くても、完全なる自由を求める人などは、まず居ません。人は心地良さを感じられる適度な束縛を好むものであり、過度の自由や束縛を好む人間は存在しないのです。

 

しかし、人生において十分に創造性(クリエイティビティ)を養ってきた人間は、いくらでもやりたい事が出て来るので、完全なる自由の中でも生きていけるようになります。自由を恐れないという事は、真実を恐れないと言う事です。真実を恐れず向き合えるようになった人の身には、僅かながらも悟りの可能性が出て来ます。

創造性はいきなり湧いて出るものでは無く、その第一歩は偉大な先人の模倣から始まります。如何なる分野における創始者、先駆者、パイオニアと呼ばれる超絶天才も、最初は必ず模倣から始まるのです。

 

 

人生という作品

創造性の発露としての芸術作品は、絵画や彫刻のように形として残るものや、音楽や歌のように無形のものもあります。そういう意味では、日々の仕事で創造性を磨いたり、自分自身の生き様そのものを作品とするのもありだと言えます。

誰1人として全く同じ人生を歩む事は無いのですから、誰のどんな人生にも希少価値があります。色んなタイプの人が居て、色んな人生があればこそ、世の中は面白くなるのです。そして己の人生を作品と見るならば、情熱と生命の躍動と言う「美」が無ければいけません。

人生色々、美しさも色々です。無垢な美や、繊細な美があれば、豪奢な美や、尖った美もあります。でも、幼い子供が描く絵のように自己満足で終わってはいけませんし、薄汚ない欲望や虚偽虚飾に塗れていては美しさの欠片もありません。要は、このあたりから精神性というものが課題となって浮上してくる訳です。

 

精神性の無い人間には、創造性もありません。何故かと言うと、生み出すより奪う方が簡単だからです。しかし、奪うのも決して容易い事ではありませんから、そちらの方に労力を割いていると、新しい価値観や世界観を作る余裕が無くなります。

当たり前の話ですけど、両方の良いトコ取りとか、あれもこれもと手出しする事は出来ないんですよ。だからこそ、自分自身の方向性はキチンと見極めなければいけないし、ブレてる暇なんか無いんです。遊んだり休んだりは大切ですが、自分が自分で無くなる時間はもったいないです。

とは言え、己を知るには他人と比較しなければなりませんし、比較すれば優劣が気になってしまいます。負けて悔しい思いをすれば、次は勝とうと努力し始めます。お互いに切磋琢磨し合える関係を作れれば良いのですが、精神性の無い人は、ここでブレて自分を見失ってしまうのです。

 

 

歴史と文化に目を向ける

精神性の土壌とは何かと言うと、もちろん本人の資質もありますが、生まれ育った環境の影響も強いものです。誰だって掃き溜めみたいな環境で生まれ育てば、かなりの高確率でクズになり果てます。生まれる環境は自分では選べないので、こればかりはどうにもなりません。

もし、今のままでは自分はダメになると思っているなら、まずは日本の文化に目を向けてください。それは歴代の偉人達や、何千、何万もの名も無き「地上の星」達による美意識の結晶であり、先人が出した答えの集合体です。

国の文化というマクロな視点を持てば視野が広くなりますし、学校や会社などのコミュニティは文化の縮図だという事にも気付く筈です。それを理解したなら、先人が出した答えを引用する形で問題に対処する事も出来るようになります。

 

国の文化という「背景」を受け継いだ人と、受け継がなかった人とでは、精神性に天地の差が出ます。日本の文化は神道と仏教がベースになっている為、日本文化を受け継いだ人は自然な形で悟りの道に入ります。また、文化は一般常識の原材料でもあるので、社会で認められるような真っ当な常識人にもなれます。

逆に、文化を受け継いでいない人は、常識なるものを絶対普遍の答えと思い込んだり、他人からマウントを取る為の武器や、自己正当化の鎧にしてしまいます。要は、先人が示した精神性の高み(到達点)を知らないと、その程度の使い道しか思いつかないと言う事です。

天の高さや海の広さを知れば自惚れてなどいられませんし、先人から受け継いだ文化を時代に合わせ、良い形で次の世代に伝えなければならないという使命感も生じます。ここまで自己を高めた人には、もはや完全なる自由などは恐れるに足らないものにしか見えません。

 

 

画家・岡本太郎に倣う

完全なる自由の中で、自在に自己を表現する人は、創造への飽くなき挑戦こそが生き甲斐になります。流石にこの領域にまで到達する人は稀ですが、全く居ない訳ではありません。前回の記事で著書を紹介した起業家も達しているのですが、もっと有名で分り易い人も居ます。


 


 

 

修行漬けの日々を送り、前人未踏のとんでもない境地に到達した祖師方は、崇敬や信仰の対象にはなれども、模倣の対象にはなりません。模倣して学ぶのであれば、全く新しい形の事業を始めた起業家か、一流のスポーツマン、反骨心のある芸術家達の方が良いでしょう。

その中でも、画家として有名な岡本太郎氏の言葉は特に力強く、独特の超越感があります。氏の観察力と思想の深さは哲学者顔負けですし、禅の修行者にも通じる凄みに満ち満ちています。岡本氏の凄い所は、激烈な個性が嫌みにならず、むしろ見る者にとって快感になる所だと思います。

岡本氏の生き方を真似する事は出来ませんが、作品や著作を通じて、情熱を分けて頂く事なら出来ます。特に上記の2冊は、多くの人の座右の書になり得ると思います。

 

学校の先生や会社の上司に尊敬出来る人物が居るなら良いのですが、今はそれも難しい時代です。どちらかというと学校や会社は、自画像を描く為の真っ白なキャンバスか、自己を爆発させる為の実験場みたいな使い方をした方が良いと思います。

独立起業を視野に入れれば、学校や会社は失敗の出来る場所に変わります。起業するまで養ってくれた恩を感じるなら、思い通りにならなかった恨みを水に流す事も出来る筈です。面白いもので、死ぬほど嫌だった会社でも、やる事やってから去ると決めれば、感謝しか無いんですよ。

在職中、散々私を苦しめてくれたパワハラ上司や、マウンティング猿は、今でも大嫌いです。ですが、それについては私なりに落とし前をつけていますし、連中を反面教師として学んだ事も多いので、やはり感謝しかありません。

 

古巣にションベン引っかけて出て行けば、胸クソ悪いままで終わります。だからと言って、無理に感謝する必要はありません。何かを学んだと思えれば、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。尤も、学ぶ事が少なければ、感謝の気持ちもそれなりですけどね。

会社で働く一日一日が自己を彫刻する鑿(のみ)と考えて、試せる事は全部やる。管理職や経営者の視点を持ち、どうすれば部下とWin-Winの関係になれるかを考える。こういった工夫をしないと独立起業なんか出来るようになりませんし、会社員を続けるにしても全く成長せずに社畜に成り果てるのがオチです。

早期リタイアは義務ではありませんが、常にその選択肢を胸に秘めておく必要はあると思います。全てを感謝で終わらせる為に、自らの意思で去るべき時に風のように去りましょう。

今、この瞬間、まったく無目的で、無償で、生命と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。そうふっきれたとき、ひとは意外にも自由になり、自分自身に手ごたえを覚える筈だ。

岡本太郎。

 

2020年5月10日積極的隠遁

Posted by 清濁 思龍