己が人生を芸術(アート)化する

2022年1月8日積極的隠遁

二元論は創造の源である

基本的に人の世は何でもありです。より良い生活環境を作る為に決められたルールはありますが、それは土地柄や時代によって変化する無常なるものに過ぎません。唯一絶対の価値観などありはしませんし、だからこそ人は自分らしく生きて良いのです。

しかし、人間は自由を与えられると、何をして良いのかが分からなくなる面倒な生き物でもあります。そうなった場合は二つに一つで、束縛という名の安心を自ら求めるようになるか、自我意識と生理的欲求の赴くままに行動し始めるようになります。

完全なる自由は人間にとって決して有り難いものではなく、むしろ手に負えず持て余してしまうものです。自由に憧れる人は多くても、本当に自由を求める人はあまり居ません。何故なら、人は自由よりも心地良い束縛を好むものだからです。

 

しかし、人生において十分に創造性(クリエイティビティ)を養ってきた人間は、束縛を厭い、自由を愛するようになります。何故なら束縛されると、やりたい事を自由にやれなくなるからです。

自由を恐れなくなった人は、真実も恐れなくなります。真実を恐れなくなった人は、自己の本心や暗部も恐れなくなります。自己や世界の光と闇の部分を見つめると、それについて言及したいと言う欲求が生じます。何故なら、人間は表裏の違いを認識したら、比較せずには居られないからです。

認識したものについて言及したいと言う欲求は、やがて創造性に変化します。これが芸術(アート)の始まりです。しかし、創造性はいきなり完成した形で湧いて出るものでは無いので、その第一歩は偉大な先人の模倣から始まります。

 

 

作品と精神性

創造性の発露としての芸術作品は、絵画や彫刻のように形として残るものや、音楽や歌のように無形のものもあります。そういう意味では、日々の仕事で創造性を磨いたり、自分自身の生き様そのものを作品とするのもありでしょう。

誰1人として全く同じ人生を歩む事は無いのですから、誰のどんな人生にも希少価値があります。色んなタイプの人が居て、色んな人生があればこそ、世の中は面白くなるのです。そして己の人生を作品と見るならば、情熱と生命の躍動と言う「美」が無ければいけません。

人生色々、美しさも色々です。無垢な美や、繊細な美があれば、豪奢な美や、尖った美もあります。でも、幼い子供が描く絵のように自己満足で終わってはいけませんし、薄汚ない欲望や虚偽虚飾に塗れていては美しさの欠片もありません。要は、このあたりから精神性というものが課題となって浮上してくる訳です。

 

精神性の無い人間には、創造性もありません。何故かと言うと、生み出すより奪う方が簡単だからです。しかし、奪うのも決して容易い事ではありませんから、そちらの方に労力を割いていると、新しい価値観や世界観を作る余裕は無くなります。

また、精神性の無い人は、目先の損得や、つまらない優劣で一喜一憂してしまうので、物事の本質にまで手が届きません。

創造と簒奪の良いトコ取りなどという、都合の良い真似は出来ません。どっちつかずの軸のブレた生き方に、人を感動させる力は備わりません。だからこそ、自分が自分で無くなる時間は「もったいない」のです。

 

 

歴史と文化に目を向ける

精神性の土壌とは何かと言うと、もちろん本人の資質もありますが、生まれ育った環境の影響も強いものです。誰だって掃き溜めみたいな環境で生まれ育てば、かなりの高確率でクズになり果てます。生まれる環境は自分では選べないので、こればかりはどうにもなりません。

もし、今のままでは自分はダメになると思っているなら、まずは日本の文化に目を向けてください。それは歴代の偉人達や、何千、何万もの名も無き「地上の星」達による美意識の結晶であり、先人が出した答えの集合体です。

国の文化というマクロな視点を持てば視野が広くなりますし、学校や会社などのコミュニティは文化の縮図だという事にも気付く筈です。それを理解したなら、先人が出した答えを引用する形で問題に対処する事も出来るようになります。

 

国の文化という「背景」を受け継いだ人と、受け継がなかった人とでは、精神性に天地の差が出ます。日本の文化は神道と仏教がベースになっている為、日本文化を受け継いだ人は自然な形で悟りの道に入ります。また、文化は一般常識の原材料でもあるので、社会で認められるような真っ当な常識人にもなれます。

逆に、文化を受け継いでいない人は、常識なるものを絶対普遍の答えと思い込んだり、他人からマウントを取る為の武器や、自己正当化の鎧にしてしまいます。要は、先人が示した精神性の高み(到達点)を知らないと、その程度の使い道しか思いつかないと言う事です。

天の高さや海の広さを知れば自惚れてなどいられませんし、先人から受け継いだ文化を時代に合わせ、良い形で次の世代に伝えなければならないという使命感も生じます。ここまで自己を高めた人は、もはや自由を恐れる事はありません。

 

 

岡本太郎画伯に倣(なら)う

自由自在に自己を表現する人は、創造への飽くなき挑戦を生き甲斐にします。流石にこの領域にまで到達する人は稀ですが、全く居ない訳ではありません。

画家として有名な岡本太郎氏の言葉は特に力強く、独特の超越感があります。氏の観察力と思想の深さは哲学者顔負けですし、禅の修行者にも通じる凄みに満ちています。岡本氏は激烈な個性の持ち主ですが、それが嫌みにならず、むしろ魅力にさえなっています。

岡本氏の生き方を真似するのは難しいと思いますが、作品や著作を通じて情熱を分けて頂く事なら可能です。特にこの2冊は、多くの人の座右の書になり得る筈です。


 


 

 

学校の教師や会社の上司に尊敬出来る人物が居るなら良いのですが、今はそれも難しい時代です。どちらかというと学校や会社は、自画像を描く為の真っ白なキャンバスか、自己を爆発させる為の実験場みたいな使い方しか出来ないと思います。

独立起業を視野に入れれば、学校や会社は失敗の出来る場所に変わります。起業するまで養ってくれた恩を感じるなら、思い通りにならなかった恨みを水に流す事も出来る筈です。面白いもので、死ぬほど嫌だった会社でも、やる事やってから去ると決めれば、感謝しかありません。

在職中、散々私を苦しめてくれたパワハラ上司やチンピラ社員は、今でも心底大嫌いです。ですが、それについては私なりに落とし前をつけていますし、連中を反面教師として学んだ事も多いので、やはり感謝しかありません。

 

古巣に砂を引っかけて出て行けば、嫌な思い出として残ります。しかし、お金を貰える学び舎だと考えれば、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。尤も、学ぶ事が少なければ、感謝の気持ちもそれなりです。

会社で働く一日一日が自己を彫刻する鑿(のみ)と考えて、試せる事は全部やる。管理職や経営者の視点を持ち、どうすれば部下とWin-Winの関係になれるかを考える。こういった工夫をしない人に独立起業など出来ませんし、会社員を続けても有象無象の社畜として終わるでしょう。

実際にするかしないかは別として、早期リタイアや独立起業は、常にその選択肢を胸に秘めておくべきだと思います。何故なら、人生を感謝で終わらせるには、自らの意思で、去るべき時に風のように去らなければならない時もあるからです。

今、この瞬間、まったく無目的で、無償で、生命と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。そうふっきれたとき、ひとは意外にも自由になり、自分自身に手ごたえを覚える筈だ。

岡本太郎。

 

2022年1月8日積極的隠遁

Posted by 清濁 思龍