文武両道と反骨心
今週の動向
そろそろ本格的に暑くなってきたので、自宅で本を読んだり、記事を書いたりする時間を増やしています。会社員時代は外仕事が多く、毎日汗まみれになっていたので、冷房の効いた部屋で過ごせる事に幸せを感じています。尤も、夏が終わったら霊山の奥宮に参拝しにいかなきゃならんので、その為のトレーニングで日々汗を流してはいますけどね。
ってな訳で、前から読もうと思っていた、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の著書「知恵の種子」を読んでみました。童話みたいな語り口調で読み易い上に、言葉のチョイスが本当に上手いので、ついOSHOワールドに引き込まれてしまいました。表現はやや抽象的ですが、分かる人はニヤリとし、分からない人には夢や希望を持たせたり、瞑想をやる気にさせる巧みな作りになっています。
評判通り、読み返しが前提のスルメ本でした。しかし、何で彼の著書を読んだ人が依存的なカルト信者みたいになるのか、不思議でなりません。OSHOの口調は柔らかいけど、突き放すようなキツい事も言っていると思うんですがね。
20日に大國魂神社の「すもも祭り」に行ってみたのですが、たまたま居合道の演武をやっている所に出くわしました。指導者クラスの人は流石に上手で、難しい膝立ちの居合いを軽々と披露していました。また、週動記に写真をアップロードする為の専門SNSとして、Tumblrにアカウントを作りました。国内のtumblrユーザー数は少ないのですが、何となくギークな雰囲気があって好きなんですよ。
21日は参院選の投票日だったので、推しメンのヒゲの隊長こと「佐藤まさひさ」さんを応援しに行きました。因みに、政治家は文武両道を修めた人しか信用しません。だって、文の豊かさと、武の厳しさの両方を知らない人に、指導者なんか務まる訳が無いですから。
まあ、元自衛官の政治家にも変なのは居ますし、そもそも政治家なんて裏で何をやっているのか分かったもんじゃないですけど、それでも文のみに偏っている政治家よりはマシだと考えるようにしています。特に弁護士出身の政治家は、酷いの多過ぎ。
武とは何かと言うと、個人的には「抗う為の力」だと考えています。どう言い繕っても世の中は弱肉強食ですし、抵抗する力が無ければ捕食されるのみです。全て話し合いで解決出来るなら良いのですが、北朝鮮みたいに武力を背景にしないと対話に応じないケースもあります。毒親を相手にする場合でも、舐められれば関係は悪化するものです。
毒親についての話になりますが、日本の法律は親子の「義絶」を認めていないので、なるべく和解する方向に話を持って行かないと面倒な事になります。とは言え、毒親と仲良しになる必要はありません。政治の世界のように、お互いにけん制し合いながら必要な時だけ握手すれば事足ります。
尤も、それも出来る場合と出来ない場合があるので、法律によって和解を強制されていると考えると腹が立ちますがね。何であれ、理想の押しつけは迷惑です。
ロクでもない人ばかり相手にしていると心が荒みますし、暴力団とマル暴みたいな人間関係が続くと、次第に暴力団側に傾いていく人も出て来ます。でも、無菌室みたいな環境でしか生きられない人というのも、少々問題があるように思います。だからこそ、文武両道を修める事が大切だと思うのです。
「てやんでい、べらぼうめぇ」の反骨精神
私が隠遁生活に入ったりOSHOの著書を読んだりするのは、こんな世の中に染まってたまるかという抵抗心の表れです。何も正面からバチバチやり合うだけが能ではないですからね。
因みに、私が以前勤めていた職場は、未だに混乱の真っ最中にあるようです。まあ、汚れ役を引き受けていた私が居なくなれば、悪党同士で責任をなすりつけ合うしかないですから、そりゃ収拾がつかなくなりますわな。とばっちりで被害を受けた人も居ますが、そういう人にはフォローを入れました。今はSNSがあるので、こういう事も割と簡単に出来るのが良いですね。
「大人の対応」とか言っていた連中に、悪党同士の醜い抗争を止められる筈もなし。目の前で起きている犯罪スレスレの行為を無視しておいて、コンプライアンスの遵守を口にする資格はなかろうに・・・全く。
退職した今の私は遁世者であり、WEBサイト運営を生業とする個人事業主(こじんじぎょうぬし)です。平たく言うとアフィリエイターです。税務署に開業届けも出しました。審査も何も無く、紙っぺら一枚出すだけで無職じゃなくなるんですよ。そういう所は緩いくせに、青色申告は面倒だったりするのが、この国の良く分からない所ですね。
しょぼい起業や、少ない収支で幸福に生き延びる術を考えるのは、大量消費が前提の世の中への挑戦に他なりません。そういう意味では、節約生活やミニマリズムも反社会的な戦いであると言えます。
なあなあで理不尽がまかり通る世の中は、全く好きになれません。ダメなものはダメと言いたいですし、その為に苦労するのは仕方のない事です。自分なりに筋を通そうとしたら何故かこうなったというのが正直な話で、自分でも決して賢い生き方だとは思いません。でも「やってやった」という実感があるので、割と気分は良いですよ。
因みに「てやんでい」とは「何を言ってやがるんでぃ」が詰った江戸の下町言葉だそうです。何でも否定・反抗すれば良いって訳ではありませんし、自分勝手な事ばかり言う奴は論外ですけど、これを言えなくなったら人としては終わりだと思います。
更新情報
下記の記事を大幅にリライトしました。写真のモデルが中年のオッサンなのはご勘弁ください。このトレーニングだけでは身を守れるほどの強さを得る事は出来ませんが、何も心得が無い人よりは心身共に遙かにマシな存在になれると思います。武を修めているか否かは、見る人が見れば一目で分かるものですよ。
ってか、記事のURLをコピペするだけでカード表示が出来るとは知らなかった。まだまだ勉強が足らんなぁ・・・。