上野公園や、タダより高いものは無いという話

2020年6月22日2019年神社仏閣巡り, サイト運営

 

今週の動向

今書いている記事のアイキャッチ画像に、古い鏡の写真を使いたいと思ったので、上野の科学博物館に撮影しに行ってきました。Tumblrの三枚目の写真が三角縁神獣鏡です。「さんかくぶち」とか「さんかくえん」などの読み方がある「しんじゅうきょう」です。レプリカなのでピカピカです。

写真が趣味の私としては、科学博物館にしても国立博物館にしても、ほぼ全て撮影がOKなのが嬉しいです。何せ、神社仏閣は撮影禁止の所が多いので。フラッシュは強い光を当てるのでダメなのは分かるのですが、撮影したくらいで何が失われる訳でもなかろうに。

また、神社仏閣は原則として、ペット同伴禁止の所が多いです。飼い主がいれば、本殿や本堂の中で垂れ流す事にはならないのですから、多少は大目に見ても良いと思うのですがね。SNSユーザーにはペットとの写真撮影を楽しんでいる人も居るので、解禁した方が寺社側も得るものがある筈です。万一の為に床にシートを敷くなりすれば良いと思うのですが、それだけじゃダメなのでしょうか?

https://ideadragon.tumblr.com/post/186792994035/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%81%AB%E3%81%A6

 

 

科学博物館や、顔だけが現存する上野大仏は、上野恩寵公園の敷地内にあります。そして上野公園は天台宗・寛永寺の跡地・旧境内に出来たものなのです。御開山は天海僧正で、現在の寛永寺は国立博物館の北の方に移転しており、往年に比べると随分と規模が小さくなっております。

寛永寺には徳川将軍家の霊廟があり、東照宮や増上寺と同じように「鋳抜き門」で守られています。そこも見所だとは思うのですが、やはりこの時期は不忍池の広大な蓮池と、それをバックに弁天堂の写真を撮りたいものです。本当は8月上旬のクソ暑い日にお出かけなんかしたくなかったのですが、こればかりは仕方がありません。不忍池に、暑さを忍んで行きましたよ。

涼しくなったら、現在の寛永寺と国立博物館にも行こうと思っています。因みに、上野恩寵公園の公式Twitterは「うえのん」というキャラクターが担っています。公園名で検索してもアカウントにはヒットしません。でも、ごくたまにしかつぶやかないみたいなので、あまりフォローする意味が無いですね。蓮の開花情報とかつぶやいてほしいのに、残念です。

 

 

ネットde布施行

当サイトは「Blogランキング」と「ブログ村」に参加しており、記事下の部分にバナーを貼ってあります。このランキングに参加するメリットはあるのかというと、実は殆どありません。集客力は多少上がるものの、それも検索エンジンの集客力とは比較にならないレベルです。本音を言うと、記事下のベストポジションには、Googleアドセンスなどの広告を貼りたいくらいです。

では、何故ランキングのバナーを貼っているのかというと、恩着せがましいようですが、これは読者のみなさんの為なのです。

ネットで得られる情報は、無料のものが多いです。PCやスマフォの接続料金を支払っても、そこから情報提供者にお金が行く訳ではありません。いくら貴重な情報をアウトプット(出力)しようが、収益を出す仕組みを作らないと一円にもなりません。つまり、ネットの世界を盛り上げている人達は、ボランティアみたいなものなのです。

 

一見、良い事のようにも思えますが、これには大きな落とし穴があります。何故なら「対価無しに得た情報は、殆ど身につかない」からです。基本的には、得た情報が貴重であればあるほど、対価も大きくなります。でも、ネットで情報を得る場合は、全く対価を支払わずに済んでしまいます。それが良くないんですな。

その対価は、ネットへの接続料とは別に発生するものなのですが、情報を提供する側もタダで発信「させてもらっている」と錯覚している人が多いので、対価を支払いようが無いという問題が生じています。

私自身も、この問題に気付いたのは約2年ほど前の事で、それまでは無料レンタルブログで自分の人生経験をタダで垂れ流しておりました。コメント欄で感謝された事もありますが、失礼ながら不自然な程に反応が薄いものばかりでした。つまり、記事の内容を噛みしめておらず、鵜呑みにするだけで消化できていない人が、あまりにも多過ぎたのです。

 

私も文章力の無さには自信がありますが、それを差し引いても反応が変だし、何か別の問題があるんじゃあないかと思っていたんですよ。それで、別ブログを作って実験(当時の読者さま達には失礼な真似をしました、本当にごめんなさい)をしてみた所、無償での情報の垂れ流しが原因だという事が判明しました。要するに、無償で情報を提供していると、読者を乞食同然の立場にしてしまうという事なのです。

ブログの記事では「自立を果たせ」と主張していたのに、結果的におもらいさんを増やしていたのですから、お話になりません。私が経験した修羅場の数々は決して安売りしてはならないものだし、それは他の人達にも言える事なんですね。人生経験についての話は絶対に安売りしてはいけないし、買い叩いてもいけないのです。

似たような経験をした人は居ても、全く同じ人生経験を積んだ人は居ません。本人はこんな経験をしたくなかったとか、好き嫌いや、需要の有無と言った問題はありますが、誰の人生も基本的には激レアなのですから、自他を問わず尊重しなければならないのです。

 

対価無しに得た情報が身につかないのであれば、対価を貰えば良い訳です。本の出版が最上の手段だとは思う存分のですが、私にはそこまでの力はありませんし、有料記事にした所で誰も読みません。フェイスブックやTwitterなどのSNSで情報公開をして「いいね」をもらうという形も考えましたが、それだと折角アウトプットした情報がズタズタの細切れになってしまいます。

それで何か参考になる物は無いかと他人のブログを見て回っていた時に、ランキングのバナーを設置するというやり方がある事に気付きました。いい加減な話をすればするほど人気が出るスピ系のランキング上位に食い込むのは、一石を投じるという意味で価値のある事です。

その挑戦を当サイトの読者のみなさんに応援して頂くのは、十分過ぎるほどの対価になります。何よりお金が絡まないのが良いですね。当サイトではアフィリエイトもやっておりますが、それは私がやりたくてやっている事なので、あまり情報の対価にはならないような気がします。

 

この手の話は、波羅蜜という菩薩行の話になると思うんですよ。大乗仏教は六波羅蜜、上座部仏教は十波羅蜜ですが、これは修行と言うより、菩薩が「やらずには居られない事」なのです。

例えば、布施行の中に「法施(ほうせ)」というのがあるのですけど、これは修行としてやっているとか、修行をさせて頂いているとか、慈悲心がどうのという話ではなくて、不浄の世への怒り(これも煩悩)があると法を説かずにはいられないという事なのです。そして説法は、説く者と聞く者が居る事によって成り立つ、お互い様の関係である訳です。

慈悲心にしても、元を正せば苦や理不尽に対する反発心や、エゴそのものへの嫌悪感や抵抗心の表れです。発生源が無く独立単体で存在する心なんか、ありはしません。例え慈悲心と言えども、いたずらに神秘めかせば、道理が分からなくなってしまいます。

 

・・・あー、しまった。この世に一つだけ、独立単体で存在するものがありました。涅槃の歓喜だけは、発生源が無いんですよ。我々は歓喜の中に生まれ、歓喜を忘れて生きて、死によって歓喜に還るのでした。つい忘れちゃうんですよ、これって。

 

何か、色んな要素を盛り込み過ぎて取り留めの無い話になりましたが、他のカテゴリはともかく、身辺雑記の記事はこんな感じで良いと思ってます。まあ、こんな内容でも面白いと思ったら、下記のリンクバナーをクリックしてやってください。くだらねーと思ったら、クリックしなくていいですからね。そこは正直にお願いします。

同じ理由で、他所のサイトやブログ、またはSNSにおいても、面白いとか、役に立ったと思う情報に出会ったら、感謝の気持ちを込めて「いいね」したり、ランキングのバナーをクリックしてあげてください。そのあたりは「お互い様」で、どういう形であれ一方通行は良くないですから。

本やCDでも同じ事が言えるのので、良い品や大事な品であるほど、正規の料金を支払って、新品を入手するようにした方が良いです。もちろん、手元にお金が無かったり、古本や中古品しか無い場合は仕方ないですけど。

 

 

更新情報

「心の純化から自己実現まで その1」をUPしました。精神世界で言う「観照(あるがままの姿を見る事)」を行う前の地ならし的な技法・・・ではなく、思想・・・でもない、何とも説明に難い「もの」についての説明です。一言で言えば「純化冥想」となりますが、こういう名称をつけると、途端に胡散臭くなる不思議。

心の純化から自己実現を果たすまで その1

 

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Posted by 清濁 思龍