本来の心に立ち返る

2020年5月10日心の純化と自己実現

明鏡止水の心境とは何か?

本来、人の心は清いものであり、澄み切った心は、曇りの無い鏡や、波立たない静かな水面に例えられます。それは穏やかで平穏な心境ではありますが、刺激が無く退屈な心境でもあります。その心境を自動車に例えると、ギアをニュートラルに入れてアイドリングをしている状態に近いと言えます。

人が悩んでいる時は、鏡に曇りや歪みが出たり、水面に不規則な形の波が立っているようなものです。悩みが生じるのは、異なる考え方の衝突や、その葛藤が解消されない時です。一つの考え方しか持っていない時は、誰も悩みません。極論すると、この世の全てを肯定か否定しきれるなら、如何なる悩みからも解放されるという事です。

つまり、極悪カルト宗教の教えであろうが、完全にイカれたイデオロギーであろうが、心の底から信じ切り、一切の疑いを持たなくなれば、少なくとも悩みからは解放されるという事です。それと同じ理由で、自己中心的で他人を何とも思わない人物も悩みません。そういう人物が悩むのは、ワガママが通せない時だけです。

 

人間は身心の苦痛を嫌うように出来ている為、ネガティブな感情が生じた時には、ポジティブな感情を当てて打ち消そうとします。しかし、快か不快かの違いはあれど、心に波が立ちっぱなしの状態である事は変わりません。心が波立つと疲れますし、常に心が波立っていると、それが当たり前の状態と錯覚するようになり、人間本来の明鏡止水の心境に「退屈さ」を感じるようになります。

要するに、心が波立つ事、それ自体に中毒してしまうのです。自動車に例えると、常にギアが入った状態で、しかもアクセルを踏まずには居られないような心境です。これは立派な狂気なのですが、現代人はほぼ全員この精神状態に「されている」ので、誰もおかしいと思わないし悩みもしません。

もし今の自分の在り方に疑問を感じ、人間らしい本来の心を取り戻したいと思うなら、まず心の静寂を取り戻し、それを好きになる所から始めなければなりません。古来より「瞑想」とは、その為に行われてきたものです。忙しい現代人向けに調整されたマインドフルネスという「冥想」法にしても、アクセルから足を離してギアをニュートラルに戻す為のアクションであると言えます。

 

 

基本的に狂気は何も生みませんし、仮に何かが生まれたとしても、それは何の価値も無いくだらないものにしかなりません。何であれ狂気は厭うべきものであって、好んで求めるようなものでは無いのです。狂気を厭う正常な感覚は、静寂の中から生まれます。静寂を好むという事は、バランスの良さや正常さを好む傾向があるという事です。

それは狂気への抵抗でもある訳ですが、既に狂気に打ち負かされてしまった人には「退屈さ」としか思えません。穏やかな人に対して「お前はつまらない」と罵倒するような人は、熱狂と興奮に中毒しているジャンキーみたいなものです。そういう意味では、ゲームやマンガなどの娯楽や、恋愛や仕事に中毒している人も大して変わりません。

酒やドラッグに溺れる人については、言うまでもないでしょう。

逆を言うと、静寂を楽しめるか否かで、心の健康度を測る事も出来る訳です。試しに、何の目的も無くただ10分間、沈黙を守ってみてください。楽な姿勢であるならば、椅子に座ろうがベッドで横になろうが構いません。心が正常なら幸せなリラックスタイムになりますが、速攻で寝入ってしまったり、退屈さに苦痛を感じるようなら、アナタもまた立派な刺激ジャンキーです。

 

 

無意味、無価値に安らぐ

ジャンキーは、より強い薬を求めるものです。故に、ガンギマリの状態に陥っている人物に羨ましさや憧れを感じたり、場合によっては嫉妬する事もあります。厄介な事に、それらの感情がうねりとなって、社会現象を引き起こす事まであります。しかし、熱狂は「飽き」によって必ず沈静化しますし、冷静になると「実はどうでも良いものだった」という事にも気付きます。

何故そうなるのかというと、あらゆる物事は本質的に無意味であり、無価値だからです。人の心は物事に対して何らかの価値を認めたり、本物と言えるような価値を探し求めるように出来ていますが、誰が何を言おうが何をやろうが無意味な物は無意味です。それだけは誰が何をしようとも絶対に変わりません。

無価値と断じる事は「価値があるという思い込み」を否定する事でもあるので、その思い込みを守ったり正当化しようとする勢力と衝突します。また「価値があるという思い込み」同士が衝突し合う事もありますが、それは本当にバカバカしく心底どうでもいい話なので、これ以上は言及しません。

 

バランスの良さや正常さを好む傾向がある人は、無意味、無価値に安らげるようになると、幸せになれます。人間社会に適応するには、数の論理的な意味で、自ら望んで刺激中毒になる方が良かったりするのですが、それはそれとして、一旦、全てを放下(ほうげ)してみてください。

頭の中を白紙にする時間を作ると「自分の時間」が動き始めます。このパーソナルな時間は、社会人としての「公的な時間」が動いている間は、止まっている事が多いのです。要するに、それは自己を見失って社会に呑まれていると言う事なのですが、この事に自力で気づけない人は、無自覚なまま社畜に成り下がります。

日本国には封建主義の時代があった所為か、今でも全体主義的な傾向が強く、上意下達や黙従を良しとする所があります。滅私奉公にも長所はあるのですが、それが行き過ぎて自己喪失に陥ると、個人としての成長が止まってしまいます。公私を使い分けて二重の生活を楽しめるのが一番ではありますが、それは出来る人と出来ない人に分かれます。

 

 

キチンと休む習慣を持つ

自己喪失の状態から回復して「自分の時間」を取り戻す持つには、外部からの干渉が全く無い時間を作る必要があります。刺激を求める事を止め、完全に無目的なまま、安らぐ。何ら危険や心配の無い場所で、ただ安らぐ。羊水の中で揺蕩(たゆた)う胎児のように、ただただ安らぐだけの時間を持ってください。

坐禅や瞑想、または入浴時にリラクゼーションタイムを作るのも良い手段ではありますが、それは刺激ジャンキーにとって退屈であり苦痛な時間となるので、恐らく長続きしません。

その場合は、連続した「公的な時間」に楔(くさび)を打ち込むかのように「自分の時間」を織り交ぜていくと良いでしょう。具体的には、昼食後の5分か10分、誰とも会わず何もしない孤絶した時間を作ったり、居眠りやスマフォをいじるフリをして何もしない時間を作ってみてください。風化した岩石が崩壊するかのように、凝り固まった心がほぐれていきます。

 

十分な休息により明鏡止水の心境を取り戻すと、それまで見失っていた心の底、自己の本心が見えて来ます。最初は僅かな瞬間にチラリと垣間見えるだけですが、自己の本心を一瞥する体験を積み重ねていくと、次第に自己の本来あるべき姿が見えて来ます。そして今の自分が、本来あるべき姿とかけ離れている事にも気付くでしょう。

自己探求は、違和感から始まります。宛ての無い自分探しの旅に出る必要などありません。何故なら、全ての答えは自分の中にあるからです。答えを自己の外に求めても、絶対に得られません。あなたが何者であるかを教える事が出来るのは、あなただけです。どんなに賢い者であっても、あなたが何者であるかは分かりません。

自分が自分である事。これが全ての答えです。しかし、この答えは全ての謎を解き明かすものではありません。そうではなくて、謎を謎ではなくしてしまう答えなのです。世界は最初から何も隠してなどいません。

 

 

全ては無数にある選択肢の一つに過ぎない

人生の答えは、何時だってシンプルです。難解な学問を修めたり、高額のセミナーを受講する必要もありません。ただ、あなたがあなたで在れば良いだけです。本当にそれだけです。でも、人間社会はそれを良しとせず、あなたを社会に合せた形に整えようとしてきます。まるで靴に足を合わせろと言わんばかりに。

人間社会に適応するには、あなたはあなたのままでは居られません。好きなものを好きと言ったり、嫌なものを嫌と言う自由さえ奪われます。そうしないとトラブルが生じて、競争に負けてしまい、お金を稼げなくなり、生活出来なくなるからです。だからみんな自分を押し殺し、生きる為に仕方なく、自分を作り変えているのです。

マインドセットは、人間社会におけるサバイバル戦術です。戦術としては確かに有効ですし、身につけておくとメリットも多いのですが、所詮は無数にある戦術の一つに過ぎません。自分らしく生きられるサバイバル戦術を身につければ、不要になる程度のものでしか無いのです。

 

自分らしく生きている人は、自分の事を好きでいられます。でも、自分らしく生きられていないと、自分の事が嫌いになってしまいます。自分が嫌いだと何もかもが面白く感じられなくなり、次第に刺激や興奮に慰めを求めるようになっていきます。途中で冷静になって歯止めを掛けられれば良いのですが、大抵の人は刺激に中毒するか、心を麻痺させる事を選びます。

しかし、中毒や麻痺では問題は解決しませんし、問題を解決した事の無い人は対症療法しか出来ないので、結果的に二次的な問題を生み出してしまいます。

ポケット(自分)の中のビスケット(問題)を叩けば、二つに割れます。割れたビスケットを叩けば四つに割れて、更に叩き続ければ粉々になって収集がつかなくなります。叩くという対症療法では、決して問題は無くなりません。早くビスケットをポケットの中から取り出さなければ、いつか手に負えなくなります。問題を根治させるのは、早い方が良いのです。

 

2020年5月10日心の純化と自己実現

Posted by 清濁 思龍