本来の心に立ち返る

2022年1月8日心の純化と自己実現

明鏡止水の心境とは何か?

本来、人の心は清いものであり、澄み切った心は、曇りの無い鏡や、波立たない静かな水面に例えられます。それは穏やかで平穏な心境ではありますが、刺激が無く退屈な心境でもあります。その心境を自動車に例えると、ギアをニュートラルに入れてアイドリングをしている状態に近いと言えます。

人が悩んでいる時は、鏡に曇りや歪みが出たり、水面に不規則な形の波が立っているようなものです。悩みが生じるのは、異なる考え方の衝突や、その葛藤が解消されない時です。一つの考え方しか持っていない時は、誰も悩みません。

極論すると、如何なる宗教やイデオロギーであっても、一切の疑いを持たず心の底から信じ切れるなら、あらゆる悩みから解放されます。それと全く同じ理由で、自己中心的な人物もワガママが通っている内は一切悩みません。

 

人間は身心の苦痛を嫌うように出来ている為、ネガティブな感情が生じた時には、ポジティブな感情を当てて打ち消そうとします。しかし、快か不快かの違いはあれど、心に波が立ちっぱなしの状態である事は変わりません。

心が波立つと疲れますし、常に心が波立っていると、それが当たり前の状態と錯覚するようになり、人間本来の明鏡止水の心境に「退屈さ」を感じるようになります。

要するに、心が波立つ事、それ自体に中毒してしまうのです。自動車に例えると、常にギアが入った状態で、しかもアクセルを踏まずには居られないような心境です。これは立派な狂気なのですが、現代人はほぼ全員この精神状態に「されている」ので、誰もおかしいと思わないし悩みもしません。

 

もし今の自分の在り方に疑問を感じ、人間らしい本来の心を取り戻したいと思うなら、まず心の静寂を取り戻し、それを好きになる所から始めなければなりません。古来より「瞑想」とは、その為に行われてきたものです。

忙しい現代人向けに調整されたマインドフルネスという「冥想」法にしても、アクセルから足を離してギアをニュートラルに戻す為のアクションであると言えます。

 

 

原則として、狂気は何も生みません。そして、狂気を厭う正常な感覚は、静寂の中から生まれます。ですから、静寂を好む傾向がある人は、バランスの良さや正常さを好む傾向もあるという事です。

それは狂気への抵抗力でもある訳ですが、既に狂気に打ち負かされてしまった人は「静寂=退屈」と捉えます。性格の穏やかな人に対して「お前はつまらない」と罵倒するような人は、熱狂と興奮に中毒しているジャンキーみたいなものです。

そういう意味では、ゲームやマンガなどの娯楽や、恋愛や仕事に中毒している人も大して変わりません。逆を言うと、独りで居る事や、静寂を楽しめるか否かで、心の健康度を測る事も出来るという訳です。

 

試しに今すぐ、何の目的も無くただ10分間、沈黙を守ってみてください。楽な姿勢であるならば、椅子に座ろうがベッドで横になろうが構いません。心の状態が正常ならリラックス・タイムになりますが、速攻で寝入ってしまったり、退屈さに苦痛を感じるようなら、刺激中毒の疑いがあります。

 

 

無意味、無価値に安らぐ

ジャンキーは、より強い薬を求めるものです。故に、ガンギマリの状態に陥っている人物に羨ましさや憧れを感じたり、場合によっては嫉妬する事もあります。厄介な事に、それらの感情がうねりとなって、社会現象を引き起こす事まであります。

しかし、熱狂は「飽き」によって必ず沈静化しますし、冷静になると「実はどうでも良いものだった」という事に気付きます。

何故そうなるのかというと、あらゆる物事は本質的に無意味であり、無価値だからです。人の心は物事に対して何らかの価値を認めたり、本当に価値あるものを探し求めるように出来ていますが、誰が何を言おうが、無意味な物は無意味なのです。

 

しかし、物事を無価値と断じれば、他人の「価値があるという思い込み」を否定する事にもなるので、その思い込みを守ったり正当化しようとする勢力と衝突する事は避けられません。

また、別の「思い込み」を持つ者達が衝突し合う事もありますから、静寂や正常さを好む傾向がある人は、本能的に「思い込み」それ自体を嫌います。

つまらない思い込みを捨てて、頭の中を白紙にする時間を作ると「自分の時間」が動き始めます。このパーソナルな時間は「社会人としての時間」が動いている間は、止まっている事が多いのです。

 

それは自己を見失って、社会に呑まれていると言う事なのですが、この事に自力で気づけない人は、無自覚なまま社畜の立場に甘んじてしまいます。

日本国には封建主義の時代があった所為か、今でも全体主義的な傾向が強く、上意下達や黙従を良しとする所があります。滅私奉公にも長所はあるのですが、それが行き過ぎて自己喪失に陥ると、個人としての成長が止まってしまうのです。

「公」と「私」を完全に切り替える術を持てば、人生を二重に楽しめるようになりますが、それはなかなかに難しい事だと思います。

 

 

キチンと休む習慣を持つ

自己喪失の状態から回復して「自分の時間」を取り戻す持つには、外部からの干渉が全く無い時間を作る必要があります。刺激を求める事を止め、無目的に安らぐ。何ら危険や心配の無い場所で、ただ安らぐ。羊水の中で揺蕩(たゆた)う胎児のように安らぐ時間を持つのです。

坐禅や瞑想、または入浴時にリラクゼーションタイムを作るのも良い手段ではありますが、刺激中毒に陥っている人の場合は、どうしても強い刺激を求めてしまうので長続きしません。

そういう人の場合は、まず昼食後の5分か10分でも良いので、誰とも会わず何もしない孤絶した時間を作ったり、居眠りやスマフォをいじるフリをして、こまめに「何もしない時間」を増やしていきましょう。

 

上手く「何もしない時間」を増やせない場合は、自宅で冥想グッズを使ってみるのも手です。お勧めはロウソクやオイルランタンの炎を見つめる「トラタカ冥想」です。炎には人の心を落ち着けさせる効果があるのです。

脳疲労を癒すトラタカ冥想・改

 

 

「何もしない時間」が増えるに従って、貴方の心は安らぎを取り戻し、それまで見失っていた自己の本心が見えるようになっていきます。最初は僅かな瞬間にチラリと垣間見えるだけですが、その体験を積み重ねていくと、次第に「ありのままの自己」が見えて来ます。

人生の答えは、何時だってシンプルです。難解な学問を修めたり、高額のセミナーを受講する必要もありません。ただ、あなたがあなたで在れば良いだけです。

でも、人間社会はそれを良しとせず、まるで「靴に足を合わせろ!」と言わんばかりに貴方を型に嵌めようとしてきます。人間社会に適応するには、貴方は「ありのまま」では居られません。何故なら、会社員は労力と時間を切り売りする事で、お金と言う対価を得る立場だからです。

 

会社員には、好きなものを好きと言ったり、嫌なものを嫌と言う自由はありません。そうでもしないと顧客とトラブルが生じて、会社が生存競争に負けてしまうからです。だから社会人はみんな、生きる為に仕方なく本心を偽り、自己を作り変えているのです。

自分らしく生きている人は、自分の事を好きでいられます。でも、自分らしく生きられていないと、自分の事が嫌いになってしまいます。

自分が嫌いだと何もかもが面白く感じられなくなり、次第に刺激や興奮に慰めを求めるようになっていきます。途中で冷静になって歯止めを掛けられれば良いのですが、大抵の人は刺激に中毒するか、心を麻痺させる事を選びます。

 

しかし、中毒や麻痺では問題は解決しませんし、問題を解決した事の無い人は対症療法しか出来ないので、結果的に二次的な問題を生み出してしまいます。

ポケット(自分)の中のビスケット(問題)を叩けば、二つに割れます。割れたビスケットを叩けば四つに割れて、更に叩き続ければ粉々になって収集がつかなくなります。

叩くという対症療法では、決して問題は無くなりません。ビスケットをポケットの中から取り出さなければ、いつか手に負えなくなってしまうでしょう。

 

2022年1月8日心の純化と自己実現

Posted by 清濁 思龍