悟りに興味がある読者様との対談
今週の動向
そろそろ12月という事で、雪が降る前に参拝してしまいたい所があるのに、引っ越しの準備などもあって行けませんでした。三峯神社や、鳥海山あたりは、もう限界です。筑波山はまだ大丈夫かも知れませんが、日本海側の新潟や富山はそろそろヤバくなってきます。引っ越す前に、行くべき所には行ってしまわないといけません。
引っ越しの際の断捨離は順調です。やたら増えた下着類は、思い切って殆ど捨てました。十年以上も着てきたお気に入りの服も、泣く泣く捨てました。物を捨てる際に、手が震える事ってあるんですなあ~・・・。
でも、捨ててしまうとスッキリしますね。どんどん物が減っていく部屋を見ると、気分が良くなります。あと今回の引っ越しで捨てるものは、TVとTV台くらいしか残っていません。私は発達障碍で三級の手帳を取得していますので、引っ越し先ではNHK受信料を免除して貰うつもりです。
当サイトには、あまり発達障碍についての記事はありません。書くつもりはあるのですけど、私よりも専門的な知識を持つ人が多く居る為、焦って書く必要を感じないのです。Twitterを見れば、発達障碍で悩む人達の生の声や、専門ライターの意見を知る事も出来ますし。
障害者手帳を取得する事に抵抗を感じる人も居るようですが、発達障碍は決して軽いハンディキャップではありません。定型発達の人達でさえ世の中の競争を勝ち抜くのは難しいのに、絶対に「出来ない事」がある人が社会の中で問題無く生きていけるとは思わない方が良いです。
飽くまでも国のセーフティーネットは主体的に利用するものであって、誰かがくれるのを黙って待つような性質のものではありません。手帳にしても、心療内科を利用し、心理検査を受ける事でハンディキャップを認めさせ、主治医に手帳を取得出来るよう働きかけ、国に書類を提出して勝ち取るものと考えるべきです。
正直、三級の手帳には、あまり恩恵がありません。有料の公園や博物館などに無料や割引で入場できたり、電車やバスの割引があったりします。また、障碍者枠での就労が可能になったり、未確認ですが、公団住宅の優先入居もあるようです。障害年金は二級からという話ですが、私も詳しくは知りません。これから勉強をして、少しづつ発達障碍関連の記事も増やしていく予定です。
また、昨日ネット上で当サイトの読者様と対談を行いました。管理人と読者様方は、普段はメールでやり取りをしており、その内容を公開する事はありません。しかし、対談の内容が良く、記事にして公開しても構わないとの了解も得た場合は、このような形で発表する事にします。
以下、管理人=管 読者=読
管「・・・それで、一応、私も結婚を考えて、自分をどうにかしようとしたんですよ。」
読「はい・・・。」
管「こんなに精神を病んだままでは、とても家庭なんか持てないと思ったんです。」
読「はい。」
管「だから、本当に必死でした。」
読「はい。」
管「一生独りぼっちで、誰からも愛されず終わるなんて、絶対に耐えられませんから。」
読「そうですよね。」
管「でも、結果的には一人で生きる事になりました。」
読「どうしちゃったんでしょう・・・。」
管「人生とは、ままならないものですよ。」
読「はい。」
管「でも、その後に、それなりに人間らしい喜びを味わえたので、殆ど不満はありません。」
読「良かった、ちゃんとオチがありましたね。」
管「オチは、25歳で人生終了と言うのが、本当のオチです。」
読「そうなんですね・・・。」
管「戸籍上の名前の人は、最後まで本当に可哀想でした。今では他人としか思えませんけど。」
読「はい。でも、よく生きましたよね。」
管「いえ、生きていません。私はその時に死んでいます。」
読「そう仰ってましたね。」
管「今の私は、同一にして別人です。」
読「はい。」
管「不思議な感覚ですが、戸籍上の名前で呼ばれても、もはや違和感しかありません。」
読「性格が変わったりはしないんですか?」
管「物事の見方は大いに変化しますが、性格は変わりません。」
読「なるほど。」
管「厳密に言うと、今の私には、人格や性格と呼べるものが無いのです。」
読「それはどういう事ですか?」
管「意識(認識)だけで、個性も何も無いんです。肉体を含む自己を構成する要素を、内側から眺めている感じです。」
読「うーん・・・不思議。」
管「表現や、アウトプットをする時は肉体を通さなければならないので、そういったものは以前の人格や性格を帯びる事になります。」
読「なるほど。」
管「でも、本当は誰もがこうなんですよ?」
読「そうなんですか?」
管「本当は何も無いし、誰も居ない。 無、虚無、虚空です。」
読「無・・・。」
管「そして、エゴはその事実を極端に恐れており、絶対に認めようとはしません。」
読「はい・・・。」
管「本人がメチャクチャになろうとも、エゴだけは生き延びようとします。」
読「何なんでしょうね・・・。」
管「自殺も、実はエゴが生き延びる為の手段だったりします。まるで宿主を殺す寄生虫のように。」
読「人間に例えるなら、嫌な奴ですね。やはりエゴとは戦うべきなのでしょうか。」
管「でも、そんなエゴを、みんな何よりも愛しているんです。」
読「・・・それは私もですね。」
管「誰でもです。例外はありません。」
読「はい・・・。変な世界です。」
管「悟りの裏話は、大体こんな感じになります。」
読「そうですか・・・でも、エゴってよくよくみてたら丸見えのような。」
管「普通の人間は、エゴと意識が同一化しています。みんなその状態しか知らないので、違和感が無いんです。」
読「人の行動を見ていても、エゴの働きは分からないのでしょうか?」
管「自分の事は棚に上げて、他人を見下すのがオチですね。」
読「そうですか・・・。」
管「注意深く、真剣に観察すれば別ですけど、エゴはそれを危機と判断するのか、なかなかさせてはくれません。」
読「内なる敵ですね。」
管「その通り。昔からエゴが怪物と表現されてきたのは、その為だと思います。」
読「自己に打ち勝つ者こそ、最も偉大な勝利者であるという言葉を思い出しました。」
管「釈迦世尊の言ですね。我慢とか、克己心の話としてでは無く。」
読「なるほど。」
管「また、悟りは分離でもあります。」
読「え、何ですかそれ?初耳ですけど。」
管「普通の人は、意識とエゴや肉体が一体になっていて、セットで自分と認識しています。」
読「はい。」
管「無我とは、意識、エゴ、肉体のどれか一つが自己の本性・実体では無いと言う意味です。」
読「はい。」
管「そして、悟ると同時に、その同一化が解ける訳です。」
読「ふむふむ」
管「身心脱落とは、それです。」
読「あーー、わかりやすいです。」
管「唯識哲学とも関係する話ですね。」
読「禅の世界では、ここまで突っ込んだ話をしてくれません。」
管「それは聞き方が悪いだけだと思いますよ。」
読「そうでしょうか・・・。」
管「明眼の正師なら、必ずこの話をします。しないなど、あり得ません。」
読「聞いてはいても、分かっていなかったという事ですか?」
管「そこまで分かりませんが・・・。それに、聞き手のレベルに合わせて話す事もあるでしょうし。」
読「もう一度、勉強しなおしてみます。」
管「それが良いでしょう。またいつでもどうぞ。」
読「ありがとうございました。」
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