スピ本や宗教書より、ビジネス書を読むべし
今週の動向
私の仕事は、複数のサイトを管理運営する事です。いずれは、この「閑居の窓」のみで生活出来るようになりたいと思っていますが、現時点ではそれは不可能なので、趣味を活かしたサイトを収益の柱としています。
何年か前まではブログ業界も景気が良かったらしいのですが、その所為で悪徳ブロガーが増えてしまい、今はかなり厳しい状況になっています。いわゆる「Googleアップデート」というものがあって、法人や会社関係のサイトがヒットし易くなり、個人運営のブログは表示順位が下がるようになっているのです。
とは言え、それも考えようです。要は会社や法人が手を出さない分野で頑張れば良い話ですから、やりようはあります。いやしくもフリーランスで食べていくなら、この程度の事には対応出来るようにならなければいけません。そういう能力は、会社で社畜をやっている時に身につければよろしいかと。
私には「やらずにはいられない事」が複数出来てしまったので、もう会社員には戻れません。それに元より人間関係が苦手ですし、独りでコツコツと成果を積み上げる事が好きな性分でもあるので、社畜としては使い難い存在だったと思います。
会社員時代は私なりに頑張りましたが、その頑張り方は会社が望んでいる形ではありませんでした。何せ、闘争によって誰彼構わず悪党を駆逐しようとしたり、権力を得る事で、全く平等な職務の振り分けを実現しようとしてましたから。
でも会社としては、理不尽な事にも不平不満を言わず、忠実に職務をこなし、脇目も振らず出世を目指す、将来の幹部社員候補が欲しいんですよ。かつて私が目指していた、上に逆らってでも現場を完全に取り仕切る管理者なんか、全然求めてなんかいやしないんです。
会社が欲しているのは、使い勝手の良い存在です。何事も無難にそつなくこなし、深く悩まず、荒っぽい使い方をしても壊れない、優秀な歯車です。自分なりの考えを持ち、自発的に行動を起こして理想を形にする自己実現型の人間は、独立起業した方が幸せになれます。
若い頃は、会社で社会の仕組みを学びつつ趣味に打ち込み、中年にさしかかった時に、そのまま会社の歯車として生きるか、趣味を仕事にするかの選択をする。こういうスタイルの人なら、あまり選択ミスをしなくて済むんじゃないかなと思います。
会社員として石上十年の忍耐をする事自体は、決して無意味だとは思いません。勤めの経験が無く、学校を卒業していきなり起業して成功した人も居るようですが、正直どこか浮世離れした感じがしますし。
この面倒臭い人間社会の中で、自分はどう生きるべきかと悩んだ時に、本を読んで知識を得たり、参考にしようと思う事はあるでしょう。でも、その時に手に取る本は、スピリチュアル関連の本ではなく、ビジネス書の方が良いです。絶対に。
ビジネス書は大量に出回っていますし、その中にも宗教じみた胡散臭い本はありますから、片っ端から読んでみろとは言えません。それに、会社員として生きていく事を決めた人と、独立起業を目指す人では、読むべき本も変わってきます。
命懸けで社会そのものや、自分自身と戦い続けてきた人の言葉には、特有の重みがあります。そういう人達は、あまり奇麗事を言いません。その代わり別の未来や、別の可能性の話をする訳です。
最近、私が読んで面白かったと思ったのは、アレックス・バナヤン氏の「サードドア:精神的資産のふやし方」という本です。要は「独自の道を切り開け!」という話であり、当サイトの主張とそう変わるものではないのですが、やはり文才のある人の話は面白いです。
ビジネス書は、言わば「転ばぬ先の杖」であって、精神的に参ってしまってから読む本ではありません。心が弱ると、重みのある言葉が耳に痛くてたまらなくなるんですね。そういう時に、ひたすら優しい言葉だけを投げかけるスピリチュアルやカルト宗教の本を読んでしまうと、ドップリ嵌まってしまう訳です。
全員が全員そうだとは言いませんが、スピ関連の本を書いている人達は、社会の枠からはみ出して、迷える人達を相手に胡散臭い手段で稼ぐようになったハグレ者達が多いんですよ。そういう人達の言う事は、言葉に重みがありません。心に刺さったり、響いたりするのと、重みがあるのは違うんです。
重みのある言葉を実感したいなら、見事に勝ち抜いてきた戦士が書いたビジネス書を読むか、現役の戦士である「出来る上司」と積極的に話をしましょう。こういう地道な積み重ねが地に足をつけ、みなさんを各種カルトから守ってくれると思います。