悟り系カルトに騙された人との対談 その1

2020年6月22日2020年対談

今週の動向

毒親持ちに、鬱病の既往歴、その上に覚者を自称する者に騙された経験がある読者様と対談を行いました。対談の内容が良く、記事にして公開しても構わないとの了解を得た場合は、このような形で記事にする事があります。

 

 

以下、管理人=管  読者=読

読「前の職場は大変だったみたいですね。」

管「私は発達障碍があるので、底辺でしか働けなかったのです。」

 

読「そんなに酷い障碍があるようには見えないのですが?」

管「努力しても出来ない事がありますし、悟る前の若い頃は愛着障害も抱えていました。」

 

読「私は発達障碍ではありませんが、うつになり社会適応できず・・・。」

管「毒親持ちは、発達障碍に匹敵するレベルのハンディキャップですよ。」

 

読「ハンディキャップなのですか?」

管「当然です。自覚が無いのがおかしいくらいです。」

 

読「自分では、見た目や思考は、普通だと思っていました。」

管「いえ、見る人が見れば、どちらにも悪影響が出ているのが分かります。」

 

読「仕事の作業指示は守れますし、コミュニケーション能力もあるつもりです。」

管「不安な気持ちが、体の姿勢に表れていますよ。それに、あなたの世界観は色んな意味で厳し過ぎます。そのような世界観を持つに至った理由と経緯までは分かりませんが、それが生き辛さに直結していると思います。」

 

読「そうですか・・・。」

管「貴方の両親の教育が真っ当なものであれば、生き辛さも無く、スピ系カルトに騙される事も無かった筈です。まあ、理由がそれだけとは限りませんけど。」

 

読「私には本物の悟りかどうかなんて分かりませんし、他の有名な覚者達や、向令考禅師とセッション(集会)をしている人なら信頼出来ると思ったんです。」

管「かのダライ・ラマ猊下も、オウムの麻原彰晃と一緒に写真を撮っていたりしますけどね。」

 

読「今更手遅れですけど、神様の名を騙って活動している時点で、おかしいと気づくべきでした。」

管「不遜ですよね。それに、お話を聞く限りでは、かなり金に汚かったようですし。」

 

読「散々こき使われた挙げ句、全財産を出し尽くしました。悟り系に興味を持ってしまったのが運の尽きです。後悔しかありません。」

管「しかし、悟りに関心を持たなければ、無明庵の自我復元などのメソッドを知る事も無かった訳です。」

 

読「何も知らずに終わりますよね。」

管「私は、それが幸せとは思いません。」

 

読「生まれ変わって同じことの繰り返し。私はなぜ、みんな疑問に思わないのかが、ずっと疑問でした。」

管「私も、今さえ良ければと割り切れなかったタイプですよ。」

 

読「社会に適応してる人達は、何故、疑問に思わないのでしょう?」

管「深刻な悩みを抱えるマイノリティの方が、目覚めの切っ掛けを得易いだけです。」

 

読「それは分割自我復元の理論や、自我率の話なども関係してくる話なのでしょうか?」

管「私には、それについて言及する資格はありませんけど、恐らくはそうでしょう。」

 

読「親に愛されて何不自由なく育ったのに、自分の事だけ考えて生きているなんて・・・。」

管「私は自我が分割希釈されている上に、愛着障害と発達障碍まで抱えていましたよ。」

 

読「なんという・・・。」

管「流石に生きていけなくて、25歳の時に死んでしまいましたけど。」

 

読「賢者テラさんも発達障碍とか。」

管「個人的には、テラさんはもっと評価されてもいい筈の人物だと思っています。」

 

読「悟りさえすれば、生き辛さが解消されると思っていました。」

管「確かに、個人的には楽になりますし、人の本質というか、エゴの特徴が明確に分かるようになるので、人間の扱い方も分かるようにはなりますね。」

 

読「やはり私も悟りたいです。」

管「悟る為の努力をするより、人間社会で生きていく方が遥かに楽ですよ。」

 

読「悟り系の人達は、誰でも楽に悟れると言っていますけど?」

管「商売の売り口上を、真に受けてはいけません。」

 

読「それって詐欺じゃないですか? 許されない事だと思います。」

管「詐欺ですね。まずバレる事はありませんけど。」

 

読「そんな!」

管「スピリチュアルやオカルトの世界は、そういうものです。本物の秘教に出会える人は、ごく少数なんですよ。」

 

読「私はこのまま、悟れずに終わるのでしょうか・・・。」

管「それは分かりません。完全にエゴに飲まれて調子こいてる悪党以外は、誰でも悟る可能性はあります。」

 

読「では、悟るにはどうすれば良いのでしょうか?」

管「その前に、うつの寛解と、人間社会で生き抜く術を身に付ける方が先ですよ。」

 

読「悟れば、どちらも何とかなるのでは?」

管「悟りの方が難しいですし、そもそも悟りは全ての問題を解決する魔法ではありません。」

 

読「そうですか・・・。」

管「悟る前も大変ですけど、悟った後もそれなりに大変です。何せ、悟りと社会のすり合わせをしなければなりませんから。」

 

読「どうしてそうまでして生きなければならないのでしょうか?」

管「生きるのに理由なんかありませんよ。」

 

読「私は生きる意味が分からなくて、ずっと生きる意味を探し続けてきました。なのに、生きる意味など無いと言われても困ります。」

管「生きる事に意味が無いなら、どう生きても良いんですよ。それが自由というものです。しかし、自由と好き勝手は違います。」

 

読「違いが分かりません。」

管「言うならば、自分らしく生きるのが自由で、欲望と感情のままに生きるのが好き勝手です。そして悟りは自由の先にあり、自由は自己実現の先にあるものです。」

 

読「難しくて、よく分かりません。」

管「早い話、悟りと自立は一本道だという事です。」

 

読「スピ系や、他の悟り系とは、全然違う事を言うんですね。」

管「それらを薬の売り口上に例えるなら、私は薬の成分の話になりますからね。」

 

読「成分ですか・・・。」

管「結局、人間社会は勝てば天国、負ければ地獄の競争社会ですし、それ故に差別やイジメも無くなりません。その中で自己を真っ直ぐに開花させる必要があるのですが、それはとても難しい作業になります。

 

読「それは毒親持ちの私にも出来る事なのでしょうか?」

管「非常に困難ではありますが、可能です。」

 

読「その方法を知りたいです。」

管「全てを説明しようとすると途轍もなく話が長くなるので、閑居の窓というサイトを運営して、記事を書いて、時間をかけて説明していくつもりです。」

 

読「分かりました、記事の更新を楽しみにしています。」

管「今後ともよろしくお願いします。」

 

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2020年6月22日2020年対談

Posted by 清濁 思龍