悟り系カルトに騙された「茶柱さん」との対談 その2

2021年1月22日2020年対談

今週の動向

毒親持ちで鬱病の既往歴がある上に、覚者を僭称した「伊勢菊理」なる者に騙されて散々な目に遭わされた読者様「茶柱さん」と対談を行いました。

茶柱さんは、伊勢菊理と関わっていた頃を思い出すと胸がつかえて息苦しくなったり、全身の力が抜けて立てなくなってしまうので、現在は貯金を切り崩しながら療養生活を送っておられます。

対談の内容が良く、記事にして公開しても構わないとの了解を得た場合は、このような形で記事にする事があります。

 

 

以下、管理人=管  読者=読

読「・・・やはり親や伊勢菊理にされた事を思い出すとしんどくなるので、今はスマフォのアプリゲームなどをして気を紛らわせています。」

管「これまでの人生で、嫌な事をしてきた相手に怒りや恨みを直接ぶつけてきましたか?」

 

読「いえ、どうせ何を言っても伝わらないので、そういう事はあまり・・・。ノートに思い出した事を書いたりはしていますが、それではダメでしょうか?」

管「ぶつけるというのは、早い話、報復や復讐です。ストレスを与えてきた本人に、同じ量のストレスを投げ返すべく、具体的な行動を起こさないといけません。」

 

読「それは、ちょっと難しいです。」

管「ふざけんなと思う事があっても、殴り返すまでには至っていない。それではストレスが溜まる一方です。」

 

読「どうしても、そういう考えに至りません。・・・何故でしょう。」

管「攻撃性の欠如による、対抗心の無さが原因だと思います。問題なのは、それが生まれつきの性格ではなく、トラウマ由来の可能性が高い所です。それでも最初にメールをくださった頃よりは、精神状態が良くなっているとは思いますけど。」

 

読「確かに、復讐したいという気持ちは出て来ています。でも、行動に移そうとは思えません。」

管「それは、ご自身の負の感情を扱い慣れていないからだと思います。」

 

読「負の感情を持つ事は、誰の為にもならないと思っていますが・・・。」

管「怒っちゃダメ、恨んじゃダメ、やりかえしちゃダメと負の感情を抑圧していたら、何時か必ず限界が来ます。他の誰かではなく、自分の為にならないんです。」

 

読「しかし、忍耐によって成長する部分もあるのでは?」

管「私が知る限り、忍耐によって成長するものはありません。故に、忍耐や我慢を美徳と考えるのは間違いだと思っています。」

 

読「では、世の中で言われている事は、一体なんなのでしょうか?」

管「個人的には、物わかりの良い人を黙従させる為の方便とか、ただのモラハラに近いものいう認識を持っています。」

 

読「そこまで言いますか・・・。」

管「酷い事をされたなら、酷い事をしてきた奴に怒りを向けなければなりません。怒りという感情は、己を守る為にあるのです。」

 

読「それはそうですけど・・・。」

管「怒りに任せて行動するのは愚かな事ですが、怒りそのものは決して悪いものではありません。むしろ必要なものだからこそ、誰にも備わっていると考えてください。」

 

読「はあ・・・。」

管「悪いのは、人を怒らせる側に決まっています。でなければ、何の為にルールやマナーがあるのでしょうか。もちろん、他人を威嚇する為に怒ったり、他人の事は一方的に殴るけど、やり返されたら怒る人は最低です。」

 

読「他人に怒りをぶつける事は、悪い事だと思っていました。なので怒りは抑圧するか、自分自身に向ける事にしていました。」

管「怒りを抑圧する為に、自分で自分を叩いたり、髪の毛を引っ張ったりしていたそうですね?」

 

読「はい、そうでもしないと頭がおかしくなりそうだったので・・・。」

管「際限なく攻撃されても笑っていられる人間など居ませんし、何処かでやり返さなければ舐められてしまいます。愚かな人間ほど攻撃的なものですし、慈悲や手加減を期待しても無駄です。」

 

読「周囲の人達も、みんな見て見ぬ振りをして、助けてくれませんでした・・・。」

管「ならば、みんな同罪ですよ。何もしない事で、一方的に振るわれる暴力を認めている事になりますから。」

 

読「外に行ったり、トイレで怒りおさめたり、何度も気持ちを切り替えようとしました。」

管「気持ちを切り替えるだけでは、やられっぱなしの現状は変わりません。その末にあるのは破滅だけです。助けは「求める」ものであって「期待する」ものでは無いですし、声を大きくして被害を訴えなければ周囲の人々も助けようがありません。」

 

読「でも、助けを求めて叫んだり、家族や他人と言い争いをするのはイヤなんです。」

管「自分の感情を抑圧をするクセがついている人は、過去に問答無用で頭を押さえつけられた経験があるものです。もしそうなら、その過去を乗り越えなければなりません。」

 

読「誰が相手でも、間違っていると思うなら逆らえと?」

管「全降伏・全肯定のイエスマンが正しいとでも?」

 

読「そんな・・・。人と戦うなど、恐ろしいです。」

管「経験が無いから、余計に恐ろしいのです。それに私は正面切って戦えとは言っていませんし、そんな蛮勇は必要ありません。」

 

読「戦い以外の解決法は無いのでしょうか?」

管「あなたと相対する者が全て反省し、悔い改めれば良いですけど、その可能性はまず無いです。それにロクでなしは家庭のみならず人間社会の何処にでも存在しますし、そういう連中と出会う度に逃げていたら行き場が無くなります。」

 

読「もう生きていたくありません。あまりにも面倒ですし、辛いです。」

管「抑圧された感情は自分を傷つけ、やがて死を望むようになります。人の心は誰かに隷属するようには出来ていませんし、動物でさえ群れのボスが追い落とされたら殺そうとします。」

 

読「自分の人生は、自分で切り拓けと仰るのですか?」

管「怒りとは、自分を守るだけでなく、自分を助ける為に必要な感情です。その怒りを抑圧して自分で自分を見殺しにしていれば、おかしくもなるでしょう。」

 

読「そう言われても、闘志が湧いてきません。」

管「自分の為に戦うのが、そんなに嫌ですか?」

 

読「闘志が湧いてこないんです。もう死にたい。」

管「死ねば戦わずに済むとでもお考えですか?」

 

読「どうしても自分を愛せませんし、誰かが私を愛してくれるとも思えません。況してや、愛せない自分の為に戦うなど・・・。」

管「なるほど、そこに辿り着きますか。ならば、愛する何かの為なら戦えると言う話になりますよね?」

 

読「守りたいと思えるほど大事なものや、心から愛するものなどありません。」

管「ではまず、自分よりも大事なものや、愛すべき何かを探す事から始めてみましょう。」

 

読「何故、そうまでして私を戦わせたいのですか?」

管「戦わせたいのではなく、生存の為の戦いは避けられないというだけです。人間界は競争の社会ですし、競争から降りるには、その後の生活を支えるに足るだけのお金が必要になります。」

 

読「それは隠遁資金を貯めろという事ですか?」

管「ええ、それが私の出した答えですから。不浄な世への聖なる怒りは、人を崇高なるものに近づけます。崇高さを求める人の集団もありますが、人の動きは金の動きなので、いくらもしない内に俗化します。宗教団体や政治団体が良い例です。そういう所は、禅寺も大して変わらないでしょう。」

 

読「集団に属せない私は、一人で生きていくしかないのでしょうか?」

管「遁世者同士でルームシェアをしたり、精神疾患を経験した人達が経営する農場で働くという手もありますよ。規模が大きくなると面倒も増えるので、キチンと話し合って上手くやらないといけませんが。」

 

読「何故、酷い目に遭ったり、嫌々戦ったりしてまで生きなければならないのですか? 生きる事の意味が分かりません!」

管「生きる事に意味はありません。それは誰もが同じです。仮に人生に意味があるとするなら、自分らしく生きる事が人生の意味です。」

 

読「自分らしさとは何でしょうか?」

管「それを知る事が今後の課題です。つまり、自己喪失から回復する為の戦いが始まったという事です。」

 

読「自己喪失ですか。」

管「あなたの場合は、自己喪失こそが生き辛さの原因だと考えています。恐らく、自己抑圧の悪癖を克服し、自分を取り戻す努力をしていけば、鬱病も寛解に向かう筈です。」

 

読「もしそうなら、頑張ってみたいです。」

管「及ばずながら、私もお手伝いしますよ。一緒に頑張りましょう。」

 

 

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2021年1月22日2020年対談

Posted by 清濁 思龍