松尾大社と鈴虫寺に行ってきた
今週の動向
京都の松尾大社(まつのおたいしゃ)と、鈴虫寺(華厳寺)に行ってきました。松尾大社は神体山の松尾山を祀っている神社で、酒の神様としても知られています。本来なら神体山に登拝出来るのですが、二年前の台風で参道が崩れてしまい、今は閉山しているそうです。
鈴虫寺は、漫才みたいなユニークな説法と、年間を通して鳴き続けている約4000匹もの鈴虫を飼育している事で知られている、臨済宗の禅寺です。山門の前にある幸福地蔵大菩薩は、願いを一度だけ叶えてくれると言われています。
管理人は、このお地蔵様に「夢の中に出て来てください」とお願いしてみたのですが、そうしたら本当にわらじを履いたお地蔵様が夢の中に出て来てくださったのでビックリしました。そりゃ人気の観光名所にもなるわなぁ~と納得しましたよ。
京都には臨済宗の総本山がいくつもある所為か、禅寺と言えば臨済宗だそうです。臨済宗で有名な僧侶と言えば、他の地域なら白隠禅師の名が真っ先に挙がりますけど、京都だと一休禅師になるようです。管理人は一休禅師と縁があるので、この傾向は結構嬉しかったりします(笑)
鈴虫寺のすぐ近くに、一休禅師が幼少の頃に修行していたと言われる「竹の寺・地蔵院」があります。この日は他に行く所があったので境内に入る事はしませんでしたが、近いうち拝観しにいくつもりです。
松尾大社と鈴虫寺に参拝した後、一休禅師が一年ほど住んだと言われる山奥の尸陀寺(しだじ)に行こうとしたのですが、松尾大社と同じく台風の影響で土砂崩れが発生し、通行止めになっていたので断念しました。
釈迦世尊が説いた「仏法」そのものは極めて単純なのですが、その法を嗣いだ祖師方が尽力した結果、「仏教」は一生かかっても学びつくせない程の、極めて難解で複雑怪奇な学問体系になってしまいました。
一休禅師は仏法を分かり易く伝える為に、本を書いたり説法をしたりと様々な努力しています。それが当時としては斬新奇抜でユニーク極まりないものだったからか、非常に多くの人々の支持を集めました。
鈴虫寺で行われる説法にしても、ワケワカメな仏教用語などは殆ど用いず、身近な事を漫才のように面白おかしく法を説いています。住職さん曰く、そのような形で説法をしているのは、人々と寺との距離を縮める為だそうです。
「仏教」は「仏法」が分からないと、形だけしか学べません。いくら仏教の情報を得て知識を深めても、決して仏法を理解するには至りません。しかし、ひとたび仏法を会得すれば、仏教を学ぶのは簡単になるという面白いロジックがあります。
仏法とは即ち真理であり、真理を会得すれば祖師方と同じ視点を持つに至ります。そうなれば仏教の要点を簡単に抑える事が出来るので、広く仏教を理解し、宗派の垣根を超える事も出来るようになります。
とは言え、いきなり仏法を会得する事は出来ないので、まずは釈迦世尊や祖師方が残した仏教を学ぶ事から始めるしかありません。言うならば、仏教は仏法の教科書であり、各種行法は真理の体験学習みたいなものです。そして教科書は、内容が優しいものから読み始めた方が良い訳です。
更新情報
カテゴリ・古則公案SSの記事を更新しました。引っ越しに手間取り、長らく記事更新の時間が取れない状態が続きましたが、今後は精力的にUPしていくつもりです。