「氣」と坐禅

2020年6月22日2020年

今週の動向

管理人は日課として、坐禅と気功の修行をしています。中学の頃に高藤仙道を知り、それ以来サボりながらも修行を積み重ねてきました。坐禅を志したのは、奇しくも三年前の今日、2017年5月11日の事でした。

加齢の所為か、体質なのかは知りませんけど、未だに結跏趺坐を組めません。でも、進歩の実感はそれなりにあります。一番大きな進歩は姿勢と呼吸によって生じる「丹田の感覚」を知った事であり、そしてそれは「氣」の感覚が教えてくれました。

つまり私にとって、気功(立禅)と丹田練磨(坐禅)は地続きだったという訳です。その所為か、坐禅の座法にしても、ヨーガのアーサナと言った方が良い坐り方になっています。単布団や座蒲を使いはするものの、指は法界定印ではなく、チン・ムドラーにしています。

 

座具の類を使う所と、左足が上になる所以外は、ほぼ下の画像と同じです。

 

 

「氣」の感覚が教える通りにすると、目と顎が上向きになって天を見上げ、胸を開いてのけ反るような形になります。のけ反りについては、座具を使うと姿勢が修正されるので、全く問題になりません。

坐禅中は吸気・呼気ともに腹圧をかけ続けているので、腹式呼吸と逆腹式呼吸の合いの子のような呼吸法になっています。確か正式名称があったと思いましたが、失念してしまいました。すみません。

具体的には、吸った息を下腹にストンと落とし、その時にかかった腹圧を下げないように、ゆっくりと息を吐きます。その際、常に腰の仙骨を前方に倒して、丹田を内側から押し続けます。腹部の張力と仙骨の圧が釣り合った状態で、呼吸によって腹圧をかけ続けていると、丹田に強力な「氣」が生じます。

 

丹田に生じた「氣」に、前後左右上下から圧を掛け続けていると、やがて「氣」は頭部に向かって上昇します。その際、喉を緩めておかないと「氣」がつかえてしまいます。丹田に生じた「氣」が頭頂に達すると、体の中に「氣」の柱が立ったかのような状態になります。

この時は得も言われぬココロモチとなり、そのままずっと坐っていたくなります。まあ、そのうち足が痛くなってくるので、否応なしに止めざるを得なくなるのですけど。

そういうものなのか、私のやり方が悪いのかは分かりませんが、気功の時とは違って、丹田呼吸で生じた「氣」は体内に留まらず出っ放しになります。何とか「氣」を練り上げて体内に収めたいのですが、今の所、その試みは上手く行っていません。

 

もちろん自分自身でも、こんなのは坐禅じゃないと思っています。なので、視線を下に向けて、法界定印を組んで坐る事もあるのですけど、どうにもイマイチ気持ち良くないので続かないんですよね。

いっその事、この変な坐り方を最後まで貫き通してやろうかとも思っているのですが、それだと禅の師家さまの指導を受けるのは諦めないといけないのかなーと思います。しかし、どうも私が歩む道は独自路線になってしまって、師と呼べる指導者との出会いが無いですね・・・。

コロナ騒動がひと段落して、夏が終わって涼しくなったら、いまここ塾の向令孝禅師の所に参禅に行く事を考えてみます。会場は静岡県浜松市の祥光寺ですから、転居前より行き易くなりましたし。

 

 

更新情報

カテゴリ・「自由への道標」の記事を「積極的隠遁」「心の純化と自己実現」に分けて、各記事に個別タイトルをつけました。私が一番言いたい事を書いた記事なのに、誰も読んでくれないのでテコ入れしてみました(笑)

旧ブログ「思竜庵」の読者にはお話ししましたが、人間は悟る手前の段階で「疑団」とか「大疑団」と言われる状態になります。これはエゴの断末魔に他ならず、ハッキリ言って死んだ方がマシなくらい苦しみます。

ただ、その苦しみは地獄のそれではなく、天国に入る前の浄化が行われる煉獄の苦しみなんですよ。でもその苦しみがあまりに凄まじいので、途中で自殺したり、心が壊れてしまう人もいる訳です。

 

煉獄の苦しみは、根性で最後まで耐え抜くようなものではなく、一切の執着心を断ち、何もかも全てを手放す事でしか終わりません。そして一切の執着を捨て去るには、それまでの人生に、自分なりにケリをつけておく必要があります。

そのケリをつけるのに必要な条件の一つが、自我の成熟です。成熟した自我だけが、全てと引き換えに現実や真実を受け入れる事が出来るのであって、それは精神的に未熟な人には無理なのです。ですから、悟りたいなら、まず自我の成熟を目指さなければなりません。

「積極的隠遁」「心の純化と自己実現」は、その為に必要な事を書いた記事なのです。

 

あと、これは蛇足になりますが、またTwitterのアカウントを作りました。別にこれが初めてという訳ではなく、過去に何度も作っては消しています。今度は一般人?のふりをして、主にメンタル系の事について呟いてみるつもりです。

しかし、どうにも私はコミュ障野郎で、SNS向きの性格ではありません。でも、Twitterじゃないと本音を話せない人も居ますし、そういう人達の話を聞きたいので、諦めきれず何度もチャレンジしているのです。

本来ならツイートではなく、当サイト用の記事を書くべきだと思うのですが、上手い表現が思いつかなくて難航しています。なので、心の純化や自我の確立の方法については、しばらくTwitterで呟いてみるつもりです。まあ、いつ下手を打ってアカウントを消すか分かりませんがね。

 

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2020年6月22日2020年

Posted by 清濁 思龍