無師独悟という選択肢

2020年9月13日預流果を目指す人達へ

ごちゃまぜの「自分」という存在

悟りとは「本来の自己の在り方に目覚める事」であり、それは「自己の空性を見極める事」と言い換える事も出来ます。自己の在り方が分かれば世界の在り方も分かりますし、逆に世界の在り方が分かれば自己の在り方も分かるようになります。

悟りの形は一つですが、その表現の仕方は様々です。覚者は一切を「あるがまま」に見ていますが、それを言語で表現する時には、必ず個人の体験や主観が入り込みます。覚者と言えども、悟り得た真理を言語で正確に表現する事は不可能です。

故に覚者の数だけ教えや宗派が増えて行きますし、そのどれか一つだけが正しいという事にはなりません。しかし、使う言葉や表現方法は違えども、覚者は全員が全員「本来、全ては一つである」とか「貴方という存在には実体が無い」と言う真理を伝えようとしているのです。

 

また、悟りとは自己実現の果てに起きる現象です。自己実現とは、己を曲げる事なく、高みを目指して成長をし続けて、それなりに納得の行く「到達点」に立つ事です。それでも飽き足らず、より高みを目指して限界を知り、己に絶望するも無謀な挑戦を諦めなかった人だけが、人としての限界を越えられます。

その姿は、さながら種子が芽を吹いて大きく育ち、花を咲かせて実を付けて、やがて爛熟した実がボトリと落ちるさまに似ています。

しかし、その時にボトリと落ちるのは、自己意識(セルフ)では無く、自我(エゴ)だけです。エゴの性質と限界を思い知り、こんなものは何の役にも立たない、もう要らないと完全にエゴへの執着心が断たれた時に、ふとした事から自己意識と一体化していた肉体やエゴが分離・脱落するのです。

 

肉体やエゴと言う個別性の根拠から分離した純粋な意識は、自己なる存在を認識する事が出来なくなります。これが「悟り」と呼ばれている現象です。要するに「本来の自己とは純粋な意識であり、それに個別性と言えるものは無い」と悟る訳です。

純粋な意識は、肉体が持つ認識能力や、過去の記憶とも分離されているので、物事を純粋に認識する事が出来るようになります。これがいわゆる「観照」とか「あるがままに見る」という事です。

物事を観照する、またはあるがままに見ると言う事は、善悪正邪や是非などの分別が行われる前の世界を見るという事です。それは苦や楽が生じる前の静寂な世界であり、何でもありの自由な世界です。古くから天国や浄土と言われてきた世界とは、正にこの「あるがままの世界」を言うのです。

 

世界は元より、今現在もただあるがままに在り、起きる事が起きているだけです。しかし、人間の認識能力は、物事をあるがままに受け止められるようには出来ていません。人間は善悪正邪や是非などの分別が行われた後の世界しか認識する事が出来ないのです。

人間のエゴや認識能力という名のフィルターを通した世界は、欲望と偏見に満ちた、何の可能性も無い地獄の如き醜悪な世界です。運悪く他人のエゴに地獄を見てしまった人には、たった二つの選択肢しかありません。

一つは、己の心の中に他人より凄惨な地獄を作り出して、暴力で支配する側に回る事。もう一つは、先ほど説明した自己実現から自我脱落への道を歩む事です。

 

 

自我超越の衝動

自己実現はともかく、そこから自我の脱落を目指すのは、相当に厳しい道のりになります。しかし、人類の中には真実から目を背けられないという精神的資質か、それだけの動機や理由を持ってしまう人が居ます。これがいわゆる「悟りに近い人」です。

悟るべくして悟る人物が、必要に応じて悟るのであって、可能性の無い人間が偶発的に悟る事はありえません。また、他人を人為的に悟りに至らしめたり、悟りに近づけさせるのも不可能です。悟りとは飽くまでも個人的な領域の話であって、己の意志と選択の末に起きる事なのです。

 

人間は、知覚する生き物です。知覚する事それ自体には、意味も理由も無いのですが、それでも我々は知覚を積み重ねる為に日々を生きています。知覚の積み重ねとは、即ち、人生経験を積む事です。我々人間は、人としての経験を積む為に生きていると言っても間違いではありません。

人生経験とは、例えるなら養分です。素晴らしい人生経験を積み重ねれば、人はより良く育つものですし、下らない経験しか積めなければ、それなりの人間にしかなれません。そして、人生経験の質を向上させるには、己の欲望を満たす事と、自己実現を果たす事の違いを知る必要があります。

 

欲望を満たす事と、自己実現は、本質的に別ものです。単に欲望を満たすだけなら、後先考えずに衝動に身を任せて、快楽に酔い痴れれば良い話です。しかし、それでは動物と何も変わりません。

必要なのは「人間ならではの経験」であって、それには飽くなき向上心や、より良い知覚体験が求められます。人間として生きるという事は、己が持つ力の全てを総動員して、生命を爆発的に開花させる事なのです。

それこそが人としての正しい生き方であり、正しい人生経験の積み方です。そしてそれは己の運命や天命を知る事と同義であり、誰もが潜在的に自我超越の衝動を胸に秘めています。つまり、本当は誰もが熱く生きて、自分を完全燃焼させたいと思っているのです。

 

運命、天命を生きるのは厳しく大変ではありますが、それはとても清らかな生き方です。己自身の本来の在り方が運命や天命の本質であると理解すれば、人間以外の生きとし生けるものや、山川草木を含む万物がそのまま、運命や天命を生きている事も分かります。

人間が他の生き物達と違うのは、欲望を満たす為に己の運命や天命を否定する所です。欲望そのものは決して悪いものでは無いですし、むしろ積極的に味わったり、より高次な満たし方を模索するべきものです。

しかし、低次な欲望を満たし損ねたままだと、次のステージに進む事は出来ません。人が先に進むには、「もうこれでいい」と思える程度の満足感を得る必要があるのです。基本的に欲望には果てがありませんが、そこそこの満足感を得るくらいなら難しくありません。

 

 

主な不満の原因

満足感を得られず、不満を感じる理由は様々です。人間の三大生理欲求と言われる睡眠欲・食欲・性欲については、単に満たすだけでなく、それぞれの質を上げる努力が必要になってきます。日々の生活を向上させる方法については、別カテゴリの修道記にて雑談を交えながら説明しています。

満足できる生活を維持していく上で、どうしても必要になるのが「お金」です。我々はそのお金を得る為に、嫌々働いたり、就職の為に学校に行ったりしている訳です。お金が無いと満足な生活が出来ませんし、迫り来る死の影に怯える事になります。

だからこそ、必死の我慢をしてブラック企業で働き続けたりする訳ですが、それは独立起業して稼げるようになれば解決する問題でもあります。起業を視野に入れるなら、先にホームページやブログの開設と、収益を得る方法を知っておきましょう。

 

否応なしに会社で働かなければならないなら、人間の心理や社会の仕組みを知り、その中で生き抜く為のサバイバル術を身に付ける必要があります。その為の知識やテクニックは、当サイトの積極的隠遁というカテゴリで説明をしていますので、よろしければご一読ください。

また、働く時間を少しでも減らす為に、金運をUPさせる方法も知っておきましょう。こういった各種メソッドを実践するだけの気力が無い人は、脳内伝達物質の量を上げてやる気を出す方法を知っておくと良いと思います。

自分の人生に手ごたえと満足を感じられるようになってきたり、自我の確立や、精神的な高みを目指したいと思うようになった人は、心の純化と自己実現というカテゴリの記事をご一読ください。

 

もし「悟り」と呼ばれている体験をしたかも知れないと思ったなら、無師独悟の道程や、古則公案SSの記事を読んでみてください。また、当サイトにおける悟りの定義の記事もあります。これらの記事は、悟りを人生の最終目標にと考えておられる方にもお勧めです。

 

2020年9月13日預流果を目指す人達へ

Posted by 清濁 思龍