奈良県・長谷寺への参拝と、精神的な出家
今週の動向
日本三長谷の一つ、奈良県の長谷寺(はせでら)に行ってきました。長谷寺は真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山で、その近くには大和朝廷と深い関係があり、日本最古の神社と名高い大神神社(おおみわじんじゃ)があります。
関西で有名な紫陽花の名所と言えば、矢田寺(やたでら)の名が挙がるようですが、長谷寺の紫陽花もなかなか見応えと撮影のし甲斐がありました。外舞台からの眺めも素晴らしかったので、紅葉の季節になったらまた参拝&撮影をしに行こうと思っています。
総本山であり修行の寺なので、パワースポットとして期待していたのですが、パワー(御神気)だけなら川の向こう側にある與喜天満神社(よきてんまんじんじゃ)の磐座(いわくら)や、参道がある神体山の與喜山(よきやま)の方が凄かったです。
僧侶としての資格を得るには、世俗から離れて欲を断ち、大本山や各専修道場で厳しい修行を経験しなければなりません。海外の上座部仏教の僧侶も出家修行をしますが、特にタイには「一時僧」という制度があり、数年間出家修行をして還俗する人が多く居ます。
例え一時的と言えども、ストイックな出家修行を経験した人は人間的に成長しますし、立派な社会人としての地位も得られます。逆に、出家修行を経験していない成人は、未熟者として扱われてしまう事もあるようです。
僧侶としての成長とは、世俗に流されず心の清らかさを保つ事です。還俗して仕事に就いたとしても、心の底に超俗的な部分が残っているなら、人の道を踏み外す事は無いでしょう。
出家修行に限らず、人間が成長するには優良な教育が必要不可欠です。しかし、日本国内の学校や会社で行われている教育は、ハッキリ言ってロクなものではありません。極論すると、国内でイジメや各種ハラスメントが横行し、心を病んだり大量の自殺者が出るのは、教育が悪いからです。
諸悪の根源たる教育を正しもせずに、法律を厳格化した所で、より一層息苦しくなるだけです。病んだ社会に適応する必要などありません。
管理人は会社員時代に酷いパワハラを経験しましたが、そうなったのは当時の上司の悪行を猛烈に批判したからです。ある意味、私がトリガーを引いた事になりますが、批判の内容には正当性があったと確信しているので、別に後悔はしていません。
世渡り上手なお利口さんなら、上司の悪行に目を瞑り、黙従して評価を上げて、立身出世の弾みにするでしょう。私も「御上」からそういった対処を望まれましたが、敢えて無視して上司と戦いました。その結果、私は「御上」から見限られてしまい、別の部署に異動する羽目になりました。
その上司には、被害者ぶって責任転嫁する悪癖がありました。それまで都合の悪い事は全て私の所為にしていたのですが、私が去ると同時に責任転嫁がバレてしまい、周囲から猛烈に批判されたそうです。上司を庇った「御上」も責任を問われて、出世競争から脱落したと聞きました。
トラブルを起こさないよう未然に防ぐという考え方は正しいものの、事勿(ことなか)れ主義や隠蔽体質の原因になってはいけません。職場に人間関係のトラブルはつきものですし、積極的にトラブルを乗り越えていく事でしか問題解決能力は身に付きません。組織の自浄能力も同様です。
ダメなものはダメと主張する事が許されず、常にスケープゴートを必要とする病んだ環境に適応する必要はありません。職場は更生施設では無いのですから、腐ったミカンは排除するに限ります。それが出来ない場所からは、何時でも自らの意志で出ていけるように準備しましょう。
世俗に流されるという事は、保身に走るという事です。何故なら、殆どの人間は「我が身可愛さ」で動くものだからです。保身では無く、心の清らかさを保とうとするなら、環境や時流に迎合しない超俗的な生き方をしなければなりません。そしてそれは「精神的な出家」とさえ言えるものです。
当サイトは、都市部での隠遁生活という「精神的な出家」を提唱していますが、世の中には二束三文の土地を購入して小屋で暮らす「Bライフ」や、集団農場兼駆け込み寺を経営するというスタイルを実践している人達も居ます。
最近知ったのは、限界集落の廃校舎で集団生活をする「山奥ニート」というスタイルです。家賃ゼロで月の生活費が2万円という、異常なまでのコスパの良さには度肝を抜かれました。個人的には、こういった新しい社会形態は、歪んだ社会に対する静かな抗議活動みたいなものと考えています。
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地道に買い物系SNSの「楽天ROOM」を更新しております。私はお勧め商品の一覧表としてROOMを活用しているので、実際に買ってみて本当に良いと思ったものだけをピックアップしています。ただ、楽天で販売していない商品はピックアップ出来ないので、それをどうするかが今後の課題ですね。