清濁 思龍の場合

2020年5月28日無師独悟の先例

旅の始まり

私が加藤諦三先生の本を読んだのは、高校2年生の時だ。今にして思えば、これが全ての始まりだった。この時期は部活(柔道部)のおかげで仲間にも恵まれたし、あまり苦労らしい苦労をした憶えも無い。何故、仲間が居たのかというと、要するに、似た様な問題を抱えている連中ばかりが集まる、都立のバカ高に入ったからだ。

バカ高はバカ高でも、不思議とチンピラが殆ど居なかった為に、居心地は非常に良かった。だが、環境に恵まれたり、加藤先生の著書を読んだくらいでは、親に隷属した過去を帳消しにする事は出来ない。そこそこ平和な日々を送りながらも、私の精神はドブの如き腐敗臭を放っていた。

 

強くなりたいという願望があった為に、柔道の稽古には熱心だったが、当時はTVゲームが殆ど生き甲斐と化しており、ゲームしたさに勉強や人付き合いなどを平気で放り投げていた。当時の私にとって、現実なんぞはどうでも良かった。また強烈な愛情欲求は、私をいわゆる「ウザキャラ」に仕立て上げていた。

自分が精神的に病んでいると知ってから、漠然と経済的・精神的自立の重要性を感じる様になっていたが、それはまだ単なる情報や知識の段階に過ぎず、正直、良く解っていない事の方が多かった。無知で世間知らずだった学生時代の私は、脳内お花畑の狂人そのものだった。

高校卒業後は、鍼灸の専門学校に進学するつもりだった。中学の頃から嗜んでいた気功を活かし、鍼灸の技術を合わせて、生活の糧を得る術にしようと考えたのだ。だが、加藤先生の本を読んで、この考えは改めた。何よりもまず、自分の心の病を治す事が先だと考え、鍼灸の勉強は後回しにする事に決めた。

 

当時はバブル経済の時期であった為に、大企業にも簡単に就職する事が出来た。同期の連中は一浪して進学するとか、随分呑気な事を言っていたが、そいつらは今、大変な思いをしている。

私は加藤先生の著書により、自分がバカな上に狂っているという事を知っていたので、誰でも出来る単純作業の職場を選ぶ事にした。

 

 

社会の荒波に揉まれる

しかし、その就職先は殆ど刑務所みたいな所だった。職場の先輩はまるっきりヤクザだったし、同期入社の連中も、悪くて怖い先輩と仲が良い事や、バイクや自転車の窃盗を自慢する様なクズばかり。

だが、連中と私は、態度や表現方法こそ違えど、根っこの部分が腐っているという点では大して変わらなかった。

機能不全の家庭に生まれ、幼い頃から精神的な虐待を受けて育った私は、あまりに異質な自分に劣等感を持ち、自信の無さから命令無しでは何も出来ない事に無力感を覚えていた。

だが、ヤクザな先輩達からしてみれば、私は情けなくもウザったい迷惑者であり、成長する見込みのない足手纏いであり、排除の対象でしかなかった。

 

ちょっとした事で物凄く怒鳴られ、脅され、無理難題を吹っかけられ、虫の様に見下され、嘲笑される日々。仕事でミスをした時、物を投げつけられた事もあったし、タバコの煙を吐きかけられて負け犬呼ばわりされた事もあった。

今で言うパワハラであるが、反抗なんか出来る訳も無し。こんな地獄の日々を送る内に、本格的に心身を病み始めた。

とにかく朝が辛い。またイジメられるのが分かっているから、目覚めの不安感が凄いし、職場に行くのが怖くて仕方ない。朝のTVでやっている占いで、良い目が出ないと死にたくなる。でも、それを見ないと一日が始まらない。

ボロボロになって帰宅すると、もう寝る以外の事は出来ない。でも、酷い悪夢(迷子になる夢が多かった)にうなされるので、寝るのも怖い。

 

いつの頃からか、私は毎晩、腹も裂けよと食い物を詰め込み、浴びる様に酒を飲み、一日二箱ものタバコを吸う様になっていた。

たまの休日は、朝から晩まで寝ていたり、一日中ゲームをして過ごす。片付けをする時間すら惜しかったので、部屋の中は荒れ果て、ゴミだらけになっていった。

そしてある朝、このままでは心を殺されると思った。

 

 

あの容赦なく恐ろしい先輩達をやっつけるのは無理だけど、認めさせる事なら出来ると思った。認めさせるには、仕事を頑張る事だ。あまり仕事は早くないけど、とにかく出来る限り頑張ってみようと思った。

このまま先輩達にビビリながらコソコソと生きていくのは嫌だったし、どのみち仕事は毎日やらねばならんのだから、キッチリ出来る様になった方が良い。

とことん精神的に追い詰められた結果、遅まきながら私にも現実と戦う覚悟が出来た。そして急に頑張り始めた私を見て、先輩達は「自分達の指導は正しかった」と悦に入った。

 

 

私は生まれつき分析力に恵まれていたし、しかもオタク気質な凝り性だったので、約3年ほど必死で頑張っていたら、下っ端のショボい先輩を見返せるくらいには仕事が出来るようになった。

流石に威張っているだけあって、ヤクザみたいな先輩達はハンパなく仕事が早い。

だが、当時の私は誰が見ても必死で仕事をしていたし、私の不出来を叱ると、それ以下の仕事しか出来ないショボい先輩も一緒に叱らなくてはならなくなる為、次第に態度が軟化していった。

こうなると仕事も楽しくなってくる。苦境を自力で乗り越えたのは大きな自信になったし、なりふり構わぬ必死の集中力も身につけた。私はもう子供じゃない、万事オーライと思えた。

 

 

偽りの成長の果て

仕事に自信を持てる様になり、先輩達とも上手くやれる様になってくると、自分の問題に取り組むだけの精神的・時間的な余裕も生まれて来た。必死で仕事を憶えようとしていた頃は、心理的な問題や、人生問題なんぞ、気にかけている余裕は全然無かった。

人生初の彼女が出来たのも、この頃だ。相手は高校の先輩だったが、それはお付き合いと呼べる様なものではなく、エゴと欲望のぶつけ合いでしかなかった。

 

時間と心の余裕は、カルロス・カスタネダへの傾倒を促し、知の戦士を目指すべく「夢見」や「反復」に手を出す様になった。カスタネダ氏については、中学生の頃にたまたま図書館で見た仙道家・高藤聡一郎先生の著書の中で、度々引用されていた事から興味を持った。

仕事がキツい時は気功の修行も中断していたが、それも再開。柔道の道場にも通い始めた。

当時の私は、カスタネダ本による自己洗脳と、加藤先生の本による自己観察と、武道、気功、ヨーガ、肥田式強健術などの修行が、自己救済に繋がると本気で信じていた。ただ、まだTVゲームの方が大事だったので、修行をサボる事も多かった。

 

 

加藤先生の著書を読み、己の内面を観察する事に上達していくに従って、私は私を嫌うようになっていった。心底軽蔑していた会社のヤクザな先輩や、同期入社のチンピラ共の方が、社交性がある分だけ私よりはマシだと思うようになっていった。

カスタネダ本も、これに拍車をかけた。何時まで経ってもドン・ファンの様になれない情けない自分に失望したし、作中の「自尊心を捨てる」という教えを曲解して、自己卑下をする様になってしまった。

 

自分が嫌いな人は、他人に好かれるとは信じられなくなるし、何時、他人に嫌われるかとビクビク怯えたり、不安から変なツッパリをかますようにもなる。

今日は味方でも、明日も味方かどうかは判らない。何者かが垂れ流す流言を真に受けて、ひと晩開けたら敵になっているかも知れないと考えると、気安く他人と交わる事など出来やしない。

私に声を掛けてくれる優しい人も居た。だが、その人と仲良くなろうと「努力」すると、引きつった笑みを浮かべながら去っていってしまう。

他人との距離感が判らないと、こういう事になる。これは訳も分からず嫌われるよりも、遥かに辛い事だった。

 

人との関わり方が分からない私にとって、人間とは恐いものだった。老いも若きも恐かった。男も女も怖かった。だから、如何にして他人に気に入ってもらえるか、如何すれば受け入れてもらえるかが人生の命題であり、それが恐怖心を克服する唯一の方法だと思っていた。

だが、どうすれば良いのかが判らない。みんな「仲良くしようぜ」と言っては来るけど、誰も「仲良くなる方法」を教えてはくれなかった。

愛情飢餓に苛まれ、他人の恐怖に怯え、心の飢えと恐怖心から、つい他人に媚びてしまう私を、私は心底から嫌悪した。私という人間は、あまりにも惨めだった。このまま生きてもロクな事にならない。この先、もっと辛い思いをするだけだと思った。

 

実の所、私は幼い頃から全然成長していなかった。仕事を頑張って成長したと思ったが、それは錯覚に過ぎなかった。

鬼の様な表情をした父親に怒鳴られ、睨みつけられながら釣りや水泳やスケートなどのスキルを叩き込まれていたあの頃から、私は一歩も前に進んでいなかった。

私は両親に飼い慣らされ、牙を折られ、爪を剥がされ、舌を抜かれ、手足を砕かれ、羽を毟られ、あらゆる可能性を叩き潰されていた事を理解してしまった。

親のみならず、誰かに屈服する、もしくは飼い慣らされるという事は、そういう事なのだ。だが、そうと解った時には、全てが手遅れだった。散々我慢を重ね、散々努力をしてきたのに、それらは全て無駄だったのだ。

 

 

終わりの始まり

私は、自分自身と、その未来に絶望した。愛情欲しさに自分を売った人間の末路とは、何と惨めなものか。その後も藁をも掴む気持ちで加藤先生の著作や、それ以外の「心の処方箋」も読み漁ったが、心に響く本は一つも無かった。

私は自分の人生の立て直し方や、苦しみを根治させる方法が知りたかったのに、本にも書いてある事は、殆ど気休め同然の内容でしかないように思えた。

救いを求めて色々な分野の本を読んでいくうちに、政治の世界にも興味を持つ様になっていった。当時、雑誌「SPA」で連載していた「ゴーマニズム宣言」を読み始めたのも、この頃だ。

 

この奇書は、私が政治や経済、歴史問題に目覚める切っ掛けになったが、同時に理想と現実の落差も強烈に実感させられた。そして次第に「何故この世界は、こうも地獄なのだろう?」と考える様になっていった。

私の苦の発端は、両親だ。この人らが私をマトモに育ててくれていたら、こんな酷い人生にはなっていない。だが、仮にマトモに育ててもらったとしても、何処にでもヤクザやチンピラは存在するのだから、何時、奴らの手によって地獄に突き落とされるか分かったものではない。

この地上に安心できる所なんか何処にも無いと思ったし、自分もそういう連中と大差無い「エゴの塊」である事が許せなかった。

 

私も連中と大して変わらないなら、私が連中を恨むのはおかしな話だ。両親にしても私同様、酷い家庭に生まれ育ち、それなりに処世術を身に付け、今日まで生き抜いてきたと言う事もある。

そしてそれは祖父・祖母の代にも言える事だし、むしろ戦争経験者である祖父の方が、私の苦悩より遥かに大きかったかも知れないと考えるようになった。そんな彼らに恋愛(になっていたかは話が別だが)をするな、子を持つなと言う気には、とてもなれない。

結局私は、自分の問題は自分で解決する義務があると考えるようになった。他人の所為にするのは簡単だし、努力しなくて済むから楽だ。だが、その楽さには、先が無い。

 

それがどれだけ理不尽なものであっても、自らが背負って生まれた「業」は、自分の代で終わらせる義務があり、決して次の世代に渡してはならないものなのだ。

祖父や両親は、その義務を果たそうとしなかった。その結果、決して渡してはならないものを、次の世代に渡してしまった。それについては、本人が認めようが認めまいが、自覚があろうがなかろうが、いくら責められても仕方が無い。

しかし、いくら彼らを責めても何にもならないし、過去も決して変わらない。

 

親子三代、一族の業(カルマ)と言えるものを引き受けてしまった私には、何が何でも全てを終わらせる義務が生じてしまった。本当にロクでもないものを引き継がされてしまったが、文句を言っても仕方が無い。

自分自身の未来の為、次の世代や周囲の人々の為にも、私は真人間にならなければならないと思った。でも、真人間とはどういうもので、どうすれば真人間になれるのかは、いくら考えても解らなかった。

 

何をやっても、どう考えても、自己嫌悪は深まる一方だったし、自己無価値感や無力感は偽の罪悪感を生じさせた。罪に汚れ腐った私には、いっちょ前に食事をしたり、環境を汚してまで生きる資格は無いとまで思うようになった。

私が消費する資源や食べ物は、他の貧しい地域に生きる子供達に分け与えるべきものと考えたし、自分はゴミを漁って暮らすのが相応しい卑しい存在だとすら思った。

しかし、ゴミ漁りをしてまで生き永らえる必要など、何処にあると言うのだろうか?

心の支えなど、どこにも無い。いつも罪悪感に押し潰されそうだったし、自分なんか早く死んだ方が世の中の為だと思っていた。万年、精神疲労の状態で、休日に何時間寝ても目のクマが取れなかった。

 

何度か絶叫しそうになったり、ひん曲がった奇妙な笑みが浮かんできたりもしたが、それでも愛想笑いを振り撒きながら、仕事だけはやっていた。

何故なら、仕事を滞らせて皆に迷惑をかけたり、しょぼくれて不愉快な思いをさせる事など出来ないと思ったからだ。何であれ、他人に嫌われるという事は、当時の私にとって「死の宣告」そのものだったのだ。

私は自分の価値を、完全に他人に預けてしまっていた。委(ゆだ)ねきってしまっていた。依存してしまっていた。自分の人生を、自分で支えられていなかった。私には価値が無い、生きていくだけの価値が無いと思った。

 

当時の私にとって、精神的自立なんぞは夢のまた夢だった。でも、こんな自分でも、せめて正しい生き方を知れば、それなりに価値が生じ、それに頼り縋って生きていけると思った。

私にとって正しい事を知るというのは、誇張抜きで死活問題だった。だが、考えれば考えるほど、何が正しいのかが分からなくなってゆく。

 

物事は多面的に見る必要があるものだ。ある人には黒と見えても、別の角度から見ると白に見える事もある。

私の父や、会社のヤクザやチンピラ共の主張は、一応の筋は通っていた。だが、どうしても納得は出来なかった。何故なら、彼らは主観だけで生きており、他人からの視点というものが完全に欠落していたからだ。

自分は良くても他人には迷惑という様な発想は、彼らには一切無かった。ただ単に自分の言い分を、暴力と破壊によってゴリ押ししていただけだった。

 

言うまでも無い事だが、そのような生き方は明らかに間違っている。いくら主義主張の筋が通っていたとしても、そんな価値観を許したり、受け入れたりする訳にはいかない。

人間のエゴが他人を傷つけ、社会を破壊し、世界を滅ぼすなら、真の正義とはエゴ塗れの人類を滅ぼす事ではないのか?だが、それは本当に正義と言えるものなのだろうか?正義とは、悪をも受け入れ、包み込む事ではないのか?

私は父や、チンピラヤクザのように自己中心的には生きられない。私にはそんな真似をしてでも生きていくだけの価値も資格もないし、そもそも、そんな真似をしてでも生きていこうとする自分自身を許せない。

生まれてこの方、他人のエゴに散々振り回されてきた私には、悪を受け入れ、包み込む事などは出来たものではなかった。

 

私は私のエゴを受け入れられないし、他人のエゴも受け入れたくない。それもまたエゴなのかも知れないが、そんな事はどうでも良かった。私が求めているのは屁理屈ではなく、誰がどう見ても正しい人の生き方と、それを実践可能な完璧な自己だった。

周囲には善良で何の問題も抱えていなさそうに見える人も居たが、そういう人達も結局は他人を平気で差別したり、笑いものにして楽しんでいる様に思えた。私が目指すべき人、手本になる人は、何処にも居なかった。

人類の正体は悪であり、私もまた例に漏れない。人類を嫌えば嫌うほど、自分自身への嫌悪感と罪悪感も強くなっていく。

 

本当に答えが無かった。でも、答えが無いでは済まされない問題でもあった。問題があるなら、何としてでも根本的な解決策を見出さなければならないのではないか?それが罪に対する、真の償いと言うものではなかろうか?

しかし、その「真の償い」とやらは、弱く愚かな私如きに実践できる様なものなのだろうか?

いっそ自殺するにしても、何一つ解決しないまま死んだら、それこそ犬死だ。母親も泣いて悲しむだろう。しかし、あんな心の通わない母親の為に、死ぬ事すら許されないというのは、何とも理不尽だと思った。

私の人生とは、何なのだろうか?私は、どう生きれば良かったのだろうか?

 

私にとって、生きる事は、死ぬよりも辛い事だった。生きるに生きられず、死ぬに死ねず、考え抜いて答えを出す事も、考えるのを止める事も出来ず、自分も他人も受け入れられず、落ち込む事は許されず、開き直って楽しく生きていく事も出来ない。

私は、八方塞がりに陥ってしまった。

当時、仕事でキリスト教の修道院に行った時に、そこのシスターが私を一目みるなり、血相を変えて「人間はみんな神の子!あなたも神の子!!」と叫んでくれた事がある。

自分では何も表には出してないつもりだったが、判る人には判るヤバいものが漏れ出てたのかも知れない。

 

底の底

25歳になる頃には「何が本当に正しいのか」という問い以外は、何も出てこなくなった。こんな状態になっても、私は未練たらしく生きていた。いや、心底から納得する答えを得るまでは、死ぬ訳にはいかなかっただけか。

近い将来、地獄に落ちて未来永劫苦しむにしても、生きているうちに真実を知っておきたかった。それが私なりのケジメのつけ方だったのだ。

毎日毎日、壊れた人形の様に愛想笑いを浮かべながら、仕事をこなすだけの日々。早く答えを得て死にたかった。楽になりたかった。このどうしようもない世界と、殺したいくらい嫌いな自分自身から解放されたかった。

 

もはや人生に何の夢も希望も無かった。ただただ死にたかった。答えを得て、心安らかに死にたかった。それだけが私の望みだった。でも、もし答えを得られたなら、少しで良いから人生を楽しんでみたいと言う気持ちもあった。

仕事を終えて帰宅したら、一秒でも早く布団に潜り込んで寝てしまう。でも、心が苦しくて眠れない。自分の意志とは関係無く、勝手に涙が溢れてくる。暗い部屋と、夜の闇と、布団の温もりだけが、心地良さを与えてくれた。

強引に寝入ったにしても、睡眠中でさえ漂う思考が私を苦しめた。もう酒を飲んだりはしなかった。酒なんか、何の救いにもなりはしない。生き甲斐だったTVゲームも、いつの間にかやらなくなっていた。

 

転迷開悟

生き地獄の日々が続く中、忘れもしない1999年の11月21日に、一大転機が訪れた。

ノストラダムスの予言が外れて死に損ねたと思っていた私は、ふと仕事帰りに近所の本屋に寄ってみる気になった。するとそこには、坂口尚 「あかんべェ一休」の文庫本が平積みになっていた。この日は一休禅師の命日だったのだ。

当時は禅などに興味は無かったが、一休禅師の遺徳か、はたまた子供の頃にアニメの一休さんを観ていたからかは分からないが、何故かその本だけは読んでみようと思った。

 

本を買って家で読んでみたら、掛け値なしに面白かった。全てのキャラが立っていて普通にマンガとしても楽しめるし、作中のセリフや文章にもたまらない魅力がある。

謙翁和尚の登場から話の中身が急に難しくなり、何でそうなるんだ、全然解からんとか思いながらも読み進めていった。

そして上巻560ページの「叢林の内にある大徳寺を出たのは得心しますが、京を離れ、この静かな堅田へ来たことは、濁(じょく)と清(せい)を分けたことになりませぬか?」というセリフを読んだ途端に、目が覚めた。

 

 

そう・・・分けていたのだ。

 他ならぬ「私」自身が!!!!

 

 

私は根本的な間違いに気がついた。初めから物事が清と濁に分かれている訳ではなく、私の心が物事を清と濁に分けていただけだったのだ。

本来、世界は美しくも醜くも無いし、人類は善良でも邪悪でも無い。物事を善悪正邪や美醜などといった価値観で量ろうとしている、自分の心の働きこそが醜いのだ。それは認知の歪みに過ぎないのだ。

しかし、私の認知だけが歪んでいた訳ではない。人の認知には歪みがつきものなのだ。もっと言うと、人体の持つ認識能力は物事を歪めて受け取る事しか出来ないし、それを言語や文字で表現すれば更に歪めてしまう事になる。

 

人間は、物事を整理したり、デフォルメしないと「理解」が出来ないのだ。そして、これこそが全ての元凶であり、無明そのものであり、諸悪の根源だったのだ。

問題なんか初めから無いのに、わざわざ問題を作り出して勝手に苦しんでいるとは、人とは何と愚かな生き物なのだろう。でも、己の愚かさに気付いている人はまだマシで、殆どの人間は自分が最も賢いとか、一番分かっていると考えていたりするものだ。

初めからそのように出来ているのだから、人の愚かさはどうにもならない。本当にお手上げだし、この件に関しては降参するしかない。そして、永きに渡る真理の探求に、遂に終止符が打たれたと実感した。

 

この目覚めの際に、歓喜は無かった。いわゆる光明体験も無かった。ただ、ただ驚いた。しかし、その驚き方はハンパではなく、天地崩壊と呼ぶに相応しいものだった。狂気の認識は空ぜられ、私の心が生み出した「私の世界」は崩壊した。

しばらく開いた口が塞がらなかった。衝撃のあまり我を忘れ、完全に思考停止の状態になっていた。何故か耳の後ろがビリビリと痺れていた。あれほど渇望していた答えを得たというのに、嬉しさよりも「何だそりゃ、冗談だろ」とか「今までの苦労は何だったんだ」という気持ちになった。

まさか、まさか、いくら何でも、こんなオチがつくとは思っていなかった。完全に斜め上、想定外だ。まるで夢遊病者の様に、買った本(上下巻)を全部読み、風呂に入って、歯を磨いて、その日は寝てしまった。とてもじゃないが、他には何も出来なかった。

 

その晩、夢の中に、誰かは判らないが「知っている人」が現れた。その人は「我が庵に入るが良い」と言って、番傘を大きくした様な掘っ立て小屋に、私を迎え入れてくれた。

まずトイレで用を足し、その後に粗末な食事を頂いた。夢の内容はそれだけだったが、これは私が「遥か昔」から望んでいた事だった。

その後も、場所と登場人物こそ変われど、同じ内容の夢を七日間に渡って見続けた。

 

やがて最初の朝が訪れて、私は眠りから覚めた。こんなにグッスリと熟睡出来たのは、何年ぶりだったか。文字通り、生まれ変わったかの様な気分だった。

否、気分ではなく、本当に私は「同一にして別人」に生まれ変わっていた。その日を境に私は戸籍上の名前が自分の本名とは思えなくなったし、自らの記憶すらも自分のものとは思えなくなった。

そのおかげで、自分が「何者」であるのかが、全く分からなくなってしまった。別に記憶が失われた訳ではなく、自分の記憶が自分のものとは思えなくなっただけなのだが、それが齎した変化は大変なものだった。

果たしてみなさんに、親兄弟を見ても「ただの存在」としか思えないなどという心境が、理解出来るだろうか?

 

また、散々私を苦しめてきた劣等感や罪悪感は跡形もなく消し飛び、何故か愛情飢餓も感じなくなっていた。これは愛に飢えなくなったと言うより、もう誰かに愛される必要が無くなったと表現する方が的確だ。

私の中では、愛というものの価値が、たった一晩で底値まで大暴落してしまっていたのだ。私は、愛という分別心の賜物では、誰も、何も、救えないと知ってしまった。だから仏教は愛では無く、慈悲を説くのだろう。

それだけでは無い。好意、悪意、肯定、否定、優劣といった他の分別心の産物までもが価値を失っていて、それらに対して何の魅力も、影響も感じなくなっていた。そしてこれら一連の根本的、本質的な変化は、私にとって救い以外の何物でも無かった。

 

私は、かつて私を苦しめていたもの一切から、自由になった。それ即ち、私はもう悪い業(カルマ)を積む事や、神や閻魔の裁きを恐れなくても良くなったという事だ。

むしろ、高次の存在とやらが居たとして、そいつが私に善悪の裁きを下そうというのであれば、逆に徹底的に論破し、真理を説いてやろうとさえ思った。それは思い上がりや過信などでは無く、そういう事が出来ると言う確かな自信があった。

この時の心境を例えるなら、引越しが決まって、ずっと掃除をしていなかった部屋を片付け、カラッポのスッカラカンになった時に感じた、清々しい気分に似ていた。散々苦しんできたが、ついに報われた。私の願いは叶い、知りたい事(想像していたものとは全然違ったが)を知った。

私は、成すべき事を為した。それは文字通り「目覚め」だった。心の働きやエゴという名の悪夢からの目覚めだった。なるほど、これが悟りを開くという事か、と思った。

 

悟境

私の心にかかる雲は無く、晴れ晴れとしていた。もう思い残す事は無い。もう、いつ死んでもいいと思った。「死にたい」と「死んでもいい」には、天地の差がある。それは全く正反対だ。死にたいという気持ちは、ある種の逃避だが、死んでもいいというのは、もう何も要らないと思えるほどの満足から来る気持ちなのだ。

私は思う存分、至福を味わった。しかも、この至福には根拠が無いので、終わる事や、尽きる事が無い。文字通り、汲めども尽きぬ「無限の源泉」だった。「本当は何も無い」と言う事が、あらゆる物事が「あるがまま」に在る事が、たまらなく愉快だった。

山川草木悉皆成仏。真理は常に目の前にあった。真実を探し求める必要など、初めからありはしなかった。私は答えの中に居ながら、答えを探し求める愚か者だったのだ。

 

とは言え、真剣に真実を探し抜かねば、無いものは無いと言う真理に到達するのは不可能である。迷いなければ、悟り無し。探して探して結局どこにも無いと思い知って、初めて「あるがまま」の価値が判るのだ。

悟りの道とは、その事を実感する為に、散々迷う事を言うのかも知れない。

 

悟りを開いてからの一週間は、何か物事を見る度に、そこに真理を見出した。一ヶ月の間は、毎日新たな悟りを開いていた。睡眠中も続く強い至福感は、丸一年間続いた。そして恐るべき事に、何と人間は「悟りの至福」にすら飽きると知った。

別に至福そのものがイヤになった訳ではないのだが、こう毎日続くと、流石に飽きるのだ。また、強い至福感が私の脳内にお花畑を作り出し、物事に対する判断を誤らせた事が何度かあった。このままでは生活に支障を来たすと思う様になったので、やがて私は至福を捨てた。

捨てるのは簡単だった。ただ「もう要らない」と思えば、それで良かった。カスタネダ風に「捨てる事を意図する」と表現しても良いかも知れない。ただそれだけで、まるで夢から覚めたかの様に、至福は消え去った。

 

あまりにもあっけなく至福が消え去ったので、結構ビビった。正直「何だったんだアレは」という感じだった。正気に返った私は、それでも消えずに残る「微かな歓喜」に気がついた。

今までの至福は全てを焼き尽くすかの様な性質を持っていたが、この微かな歓喜は、例えるなら「ぬるま湯」である。吹けば消し飛ぶ様な頼りない感覚ではあるものの、気分が良く、健康で正常な感じがした。

私はこの感覚が大いに気に入り、ご飯を毎日食べても飽きが来ないのと同じで、これも飽きる様な性質のものではないと思った。

 

正気に返るまで丸一年間、強い至福感が続いた事は、私の悟りが本物だという自信の源になった。でも、この「微かな歓喜」に比べると、自家中毒的な感じがするのは否めない。悟りや至福というものに執着すると、真の悟りを開いた本物の覚者ですら道を踏み外すと思った。

これはあまり言いたく無いのだが、悟りを開いた後、それなりに神秘的な体験もしている。睡眠中に丹田に紫色の鮮やかな光を放つ「気の塊」が勝手に発生して、仙道でいう「衝脈」を勝手に押し開いてグイグイ上昇し、頭頂に抜けていった事もあった。

だが、この様な体験に執着していると、狂気に飲み込まれていくと思う。

 

神秘体験によって悟りを開いたならともかく、悟った事によって起きる神秘体験には、全く値打ちが無い。それは強い光によって出来る影の様なものであって、単なる副産物やオマケに過ぎない。だから、神秘体験や至福欲しさに悟りを求めると言う事は、本末転倒なのである。

私が本末転倒から正気に戻っても、相変わらず世界は本末転倒のままだった。おかしな人達が、おかしな考えを基準に、おかしな行動をして、おかしな感覚に酔っている。

でも、彼らはおかしな社会に上手く適応している為、自分達がおかしいとは思えなくなっているし、おかしいと思う必要も無いときている。ハッキリ言って救いようが無いし、むしろ下手に手を出さない方が良いと思った。

 

我々人類は、同じ地球上に暮らしてはいるものの、全員が全員、それぞれの心が作り出す別の世界に生きている。そして個々の世界は、他人の世界と決して重なり合う事は無い。

この宇宙において、私は一人だ。悲しいほど一人だ。そして、それでいいんだと思った。いつの間にか私は、憧れのナワール、ドン・ファン・マトゥスと、同じ事を言うようになっていたのだった。

 

 


 

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2020年5月28日無師独悟の先例

Posted by 清濁 思龍