精神科・心療内科の転院と診断書の話

2020年発達障碍, 転迷開悟

今週の動向

管理人が発達障碍による精神障碍者手帳(3級)を取得してから、約2年もの月日が経ちました。そろそろ手帳の有効期限が終わりに近付いていますが、今回は更新するので医師の診断書が必要になります。

引っ越しをする前にあらかじめ、心理検査を受けたメンタルクリニックで転院届(紹介状)を書いて貰っていたので、それを持って某県の医大付属病院に行きました。

病院の受付で転院届(紹介状)を提出すると、有効期限は三ヶ月間だと言われました。引っ越しが今年の3月で、それを提出したのが10月ですから、書いて貰ってから半年以上も経過しています。ひょっとしてダメかも知れんな~と思いましたが、一応、病院側に何とかしていただきました。

 

受付で諸々の手続きを行ったのが10時頃で、血圧、身長、体重を測定してから「予診」を受けました。予診は受信の経緯や、現在の私の様子を伺う為に行うものなので、家族構成から、利き手はどちらかなど、色々な事を聞かれました。

その後、血液、尿、心電図の検査を受けてから、外来担当医の決定を待ちました。初診は診察までかなりの時間がかかるので、その間に食事を済ませておけと言われたので、病院の食堂に行きました。

ラーメンは日替わりで、この日は塩ラーメン(480円)でした。正直、あまり味には期待していなかったのですが、意外とイケました。私のバカッ腹だとラーメンだけでは物足らないので、助六寿司(210円)も注文しました。

https://ideadragon.tumblr.com/post/631364239703130112/%E6%9F%90%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%8C%BB%E5%A4%A7%E4%BB%98%E5%B1%9E%E7%97%85%E9%99%A2%E3%81%AE%E9%A3%9F%E5%A0%82%E3%81%AB%E3%81%A6%EF%BC%97%EF%BC%90%EF%BC%90%E5%86%86%E3%81%A7%E3%81%8A%E3%81%A4%E3%82%8A%E3%81%8C%E6%9D%A5%E3%81%9F-%E4%B8%80%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC-%E4%BA%8C%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E5%88%B8%E5%A3%B2%E6%A9%9F

 

 

食事を終えて、13時過ぎに点呼がありましたが、それ以降はひたすらに診察待ちです。県立病院なので待たされるのは覚悟していましたが、流石に2時間以上も待たされるのは心身共にキツいものがありました。

受付番号のアナウンスがあったので診察室に入ると、30代前半に見える若い医師が挨拶をしてきました。この医師が私の担当医になる訳ですが、第一印象としては、何だか妙にプライドが高そうな人物だと思いました。

この医師は、初対面の患者である私に対して、いきなり眼(ガン)飛ばして威嚇してきたんですよ。コロナの所為でマスクをしているからそう思ったのかも知れませんけど、果たして、こんな尖がった人間性の持ち主に、精神科の医師が務まるものなのでしょうか?

 

診察と言っても、私の場合は発達障碍で良くも悪くも症状が安定していますし、症状を抑える薬を飲んでいる訳でも無いので、診断書を書く為の聞き取り調査がメインです。しかし、その聞き取りは、まるで警察の取り調べのようでした。

その医師の話を私なりに纏めると「アンタはアンタで努力して環境を整えてきたのかも知れないが、今は別に何も困ってないだろ。なのに診断書なんか書けねえよ」みたいな感じになります。

この時の医師の物言いが強烈で、私がこれまで積み上げてきた発達障害関連の努力を台無しにされた気持ちになりました。まあ、前の通院先に電話をして診断書を書くという話になったので、一応は目的を達成した事にはなりますが、かなり嫌な思いをさせられましたよコンチクショー。

 

結論から言うと、私のように発達障碍の症状が安定している場合は転院する必要が無く、心理検査を行ったクリニックに電話をすれば、再診をせずに診断書を書いていただけるようです。つまり、無理に手帳を維持し続ける必要は無く、手帳が必要な時期だけ申請する事も出来る訳です。

しかし、偽覚者・伊勢菊理に騙されて心身を病んでしまった「茶柱さん」のように症状が悪化していたり、経過を見ないと診断が難しい精神疾患を患っている人の場合は、そうもいきません。

診断書を書くには医師が病状を把握する必要があるので、転院してから半年ほど通院しないと診断書を書けないケースもあるようなので、手帳持ちで転院を考えている人の場合は、早めに行動した方が良いと思います。

 

それでまあ、一応は診察を終えて窓口で清算をしたのですけど、その時に何と5000円以上も支払う事になりました。最初は診断書の料金も含まれているのかと思ったのですが、係の人に聞いてみると、それは文書料になると説明されました。

改めて領収書を見てみると、初診料が74点、検査が1245点、精神専門が400点で、合計1719点。気になる文書料は0点でした。国保は負担の割合が三割なので1719×3=5157で、四捨五入して5160円の支払いになります。

診断書は二週間後に書きあがりますが、それを受け取るには文書料として5000円前後の料金を支払わなければなりません。つまり、転院して診断書を書いて貰うだけでも、10000円前後のお金が飛んでいく訳です。

 

精神障害の程度が3級の場合は、国や自治体から受けられる支援は大した事が無いので、元が取れるとは思えません。正直、お金の事だけを考えるなら、次回の手帳の更新はしない方が色んな意味で得なのではないかと思ってしまいました。

 

私は食生活や、清潔さの保持、金銭管理などの「日常生活状況」に支障は無いものの、計算能力や作動記憶に激しく難がある為、就労に著しい制限がかかります。

現時点では発達障碍を治癒する方法はありませんし、障碍の所為で前職を辞して自営業を始める事になったとも言えるので、障碍の程度が3級と言えども、生まれつき背負ったハンディキャップは決して軽くはありません。

自営業にしても未だに収益が安定せず、貯金を切り崩して生活している訳ですから、普通に考えれば支援が必要な状況です。まあ、私の場合は為すべきを成した後に余生を楽しんでいるだけなので別に良いのですが、他の人の事を考えると、今の精神医療と支援体制は「頼りない」の一言です。

 

因みに、茶柱さんは精神障害の等級が2級です。発達障碍+二次障碍の鬱病を発症しており、抗うつ剤による治療を必要としているので、自立支援医療制度を活用しています。まだ一般就労は無理なので障害年金の申請を試みていますが、肝心の診断書がなかなか来なくて困っています。

また、前の職場で私が面倒を見ていたアルバイトが、毒親の介護で全財産を失って、役所に助けを求めたものの何もしてもらえなかったという事もありました。そのアルバイトにしても、茶柱さんにしても、行政に任せきりにしていたら破滅していた可能性が高いです。

私自身も手帳関連で何度か経験させられましたが、公的施設で公的支援を求めると屈辱的な対応をされるのは何なんですかね。過去に障碍者がその事実を知ってしまって、支援を求めるのを止めて手遅れになったケースもあるのに、全く改善されていませんね・・・。

 

 

汚濁の世から学ぶ事

私も底辺とは言え会社勤めをしていた身なので、上意下達の縦割り行政や、大組織ならではの融通の利かなさなども経験しております。しかし、そこで学んだ事と言えば、人のエゴには何の可能性も無いという事くらいです。

人は誰しも保身を第一に考えているものです。それはそれで仕方の無い事ではありますが、モラルが死んだ集団や組織の中で生き残るには、他人からマウントを取ったり、組み敷いた者を徹底的に利用したり、責任をなすりつけたりするのが最も有効な手段になってしまいます。

そのような環境では、本来なら美徳である筈の生真面目さや誠実さは弱点にしかならないので、平然と悪事を行うふてぶてしい悪党しか頂点に立てません。誰であれ悪党の下に就いたなら、自分もまた悪党にならなければ生き残れません。

 

悪党の数が多くなればなるほど悪い流れに抗う事が難しくなっていき、生き残る為に意地を張れば張るほど、自分の都合以外は見えなくなっていきます。その先にあるのは個を喪失する流れだけです。大きな流れに乗るのは楽で安全な事のように思えますが、実はこういうリスクもあるのです。

確固たる自我を持たなければ周囲に流されてしまいますし、自分を守る「力」を持たなければ暴力的な悪党に支配されてしまいます。仲間同士で団結して対抗するという手もありますが、仲間を作るのが苦手な人はどうすれば良いのでしょうか。

生きる事は、抗う事であり、戦う事です。でも、生まれつき争いが嫌いな人や、心身にハンディキャップがある人や、LGBT(性的少数者)に属する人達はどうすれば良いのでしょうか? 生き辛さを抱えつつ、我慢と忍耐で生き抜くしかないのでしょうか?

 

マイノリティの中には政治活動に身を投じる人も居ますが、残念ながら法の改正と規制では、人間が持つ認識能力である「差別心・分別心」に端を発する問題は解決出来ません。

法規制の末にあるのはガチガチの管理社会であり、最終的には美醜や老若男女を差別するなという訳の分からない話になっていきます。「差別心・分別心」は二元的な解釈の産物であり、根本にあるのは個人の主観です。それを否定したり、規制しようとするのは無理があります。

二元的な思考には答えは無く、二元論の超越や、一元への回帰こそが、あらゆる哲学・思索の最終的な答えです。因みに一元の世界は、二元論という問題が生じる前の世界であり、完璧な世界です。

 

人間は、人生の意味や、本当に正しい事について考えたがる生き物ですが、それは我々の認識能力が「エゴ(自我意識)」と呼ばれている概念を中心に考えるように出来ているからです。

エゴは「自分の考えこそが物事の核心を突いている」と考えたがるので、そのままにしていると他の意見や可能性を全否定し始めます。それは単なる視野狭窄に過ぎないのですが、エゴは「自分が正しい」と考えます。

人類全員の視野狭窄を正す事など出来ませんが、自分の視野を広げる事なら可能です。視野を広げる為の努力は、二元論を超越して一元に回帰する為の努力であり、悟りの修行と言い切ってしまっても良いものです。

 

通常の人間は「エゴに使われている状態」ですが、悟ると「エゴを使える状態」になります。何故なら、エゴは「真我」では無いからです。「真我」は我ならぬ我であり、全体性(一元)そのものです。

悟りには階梯がある為、一足飛びに究極の境地(大悟)に至る人は稀です。しかし、地道に視野を広げて「観察の目」を養う努力を続けていけば、いつか誰でも究極の境地に至ります。その為に、まずは「初歩の悟り(預流果)」を目指すと良いでしょう。

しかし、昨今の精神世界は究極の境地ばかりを見て、初歩の悟りをおろそかにしています。初歩の悟りに達するにはエゴの成熟(自我の確立)が必要で、エゴの成熟にはある程度まで欲求を満たして自己実現を果たさなければならないのですが、現状ではその為の道が正しく説かれているとは言えません。

 

自我の成熟と初歩の悟りは観察の行によって起きるものであり、そしてそれは当サイトのメインテーマです。私はこれからその事を、何度でも繰り返し訴えていきます。

隠遁生活とミニマリズムにしても、独立起業と収益の話にしても、筋トレや、キャンプや、坐禅や、気功や、これから紹介していく数々の神秘行にしても、全ては視野を広げる為であり、初歩の悟りへの手掛かりに過ぎません。

仏教修行には資糧道・加行道・見道・修道・究竟道の五道があるのですが、私はそれに倣って、初歩の悟りへの道である観察の行を「見道(けんどう)」と呼んでいます。何故なら、本当にエゴが社会における諸問題の根源である事を理解したなら、加行道までの修行は済んでいると考えても良いからです。

 

見道修行に、戒律や瞑想修行は必要ありません。やるべき事は、ただ自分や他人のエゴの働きを観察するだけです。観察の方法には単純なコツがありますが、それはコロンブスの卵のようなものであり、決して難解な内容ではありません。

また、見道修行は独り往く道である為、仲間や指導者は必要ありません。私は飽くまでも、見道の道標を設置する役割を担っているだけです。

観察のコツ、妙諦については、noteの有料記事にしてあります。どうしても自他のエゴを受け入れられないとか、訳あって本気で預流果を目指す気になった人は、是非ともご一読ください。

 

2020年発達障碍, 転迷開悟

Posted by 清濁 思龍