春日大社参拝、デイキャンプ、発達障碍、夢見術などの話
今週の動向
奈良公園内にある世界遺産・春日大社に行ってきました。御神体は、古の時代から山岳信仰の修行場として尊ばれてきた春日山(御蓋山)、毎年八月に3000基もの灯籠に火が灯される「万灯籠」と呼ばれる行事で有名です。
特別参拝料(500円)を納めれば、幣殿の先に進んで数多くの灯籠が並ぶ場所で撮影をしたり、御蓋山遥拝所で参拝をする事が出来ます。奥にある藤浪之屋では、暗い部屋の中で万灯籠の再現がされているので、夜景用の明るいレンズを持って行くと良い写真を撮れます。
パワースポットとして見るなら摂社の若宮神社や紀伊神社の方が優れていますが、それは単にあまり人が来ないから場が荒れていないだけなのかも知れません。山岳信仰が関係する神社なのに、雰囲気としては柔らかめなのが印象的な神社でした。
野外センターでデイキャンプ
別の日に、いつもの野外活動センターで茶柱さんとデイキャンプを行いました。今回は材木屋でもらった廃材を薪にしたり、キャンプでインド料理を作ってみたりと新しい事に挑戦してみたのですが、正直、失敗ばかりでした(笑)
インド料理は若い頃にハマった時期があって、今でも気が向いたらターメリック、コリアンダー、クミンなどのスパイスからカレーを作ったりします。今回はシークケバーブ(インド風つくねの串焼き)と、プラオ(インド風炊き込みご飯)を作ってみました。
しかし、シークケバブのネタが緩くて串に刺しても落ちてしまうわ、プラオは味の決め手となるスパイスを入れ忘れるわ、茶柱さんもせっかく100均で買ったキャンプ用ギアを忘れてくるわで散々でした。でもまあ、こういうトラブルこそがキャンプの醍醐味なのですけどね。
恒例のまとめ動画です。途中の動画処理落ちは、Googleフォト・ビデオエディターに問題があるようです。いい加減、有料の動画作成ソフトを買わないと・・・。
今回のデイキャンプで、茶柱さんは〇イソーで購入した「折り畳み蒸し器」を焚火台として使用しました。ソロキャンプ用のギアを自分で調べて、今はこれで十分と判断したようです。サイズ的に太い薪は燃やせないので、次は大きめの焚火台を購入する事になると思います。
このようにパカッと開いて使います。茶柱さんはステンレスを皿を灰受けにしていました。ただ、ゴトクが無いので、このままではクッカーを乗せる事が出来ません。私のようにトライポットを使うか、他に何らかの工夫をする必要があります。
焚火台で料理をしている時の写真です。この野外活動センターには据え置きの鉄柵があるので、ゴトクやトライポットが無くても料理が可能です。なので、焦らずギアを揃えていきましょう。
茶柱さんとの対話
B型作業所でトラウマを刺激された茶柱さんは、現在、かなりの苦境に陥っています。辛く苦しい記憶が際限なくリフレインして夜も寝られず、体調も最悪なので働きに出られません。何とかキャンプには来てくれましたが、自宅では家事も満足に出来ないと言っていました。
市役所には何の権限も無いと言われたので、県の方にも苦情を言ったけど、そこでも何の権限も無いから作業所には改善をお願いする事しか出来ないと言われたそうです。どうやら就労支援の作業所は、悪い形で守られてしまっているようですね・・・。
問題児が入ってきても排除できず、教育も出来ないのでは我慢するしか無いですし、最終的に利用者が問題児だらけになれば仕事どころではありません。変な話ですが、本気で再就職を目指している人は、就労支援作業所など利用するべきでは無いと言う話になると思います。
茶柱さんが通っている心療内科で作業所の話をすると、デイケアに通う事を勧められたそうです。近いうち見学にいくみたいですが、コロナ禍の所為で建物の外から見学するという訳の分からない話になっているのだとか。そんな形の見学しか出来ないのでは、見学をする意味がありませんね。
障碍年金を申請する為の病歴・就労状況等申立書も読ませてもらいましたが、その内容は悲惨の一言です。何処かで働く度に心身ともに傷ついてボロボロになり、何度も死にかけています。確かにこれでは就労不可能です。むしろ茶柱さんが障碍年金を受給出来ないなら、他の誰が受給できるのか。
ハローワークで障碍者でも出来る内職系の仕事を探すという考えもあるようですが、果たしてどうなる事やら。茶柱さんは何とか自立しようと努力してきましたが、残念ながら生活保護の受給しか生きる術は無いのかも知れません。
何が原因で、これからどうすべきか?
茶柱さんは発達障碍を抱えており、ADHD(不注意)とASD(自閉)の両方の傾向を持っています。医者は心理検査の結果ADHD寄りとの診断を下しましたが、私はASDが生き辛さの根底にあると見ています。
茶柱さんは幼い頃から家庭内でスケープゴートの役割を担わされており、自己主張の類をほぼ禁じられて育ちました。その立場に甘んじてしまったのは、発達障碍の特性により内省や自己主張が苦手で、他人や社会を理解する事も難しいという「負い目」があったからです。
常に「自分が悪い」とか「自分が変だ」と考えるようになってしまったら、どう足掻いても自信など身に付きませんし、社会に出て働く事に強い不安を感じるのも当然です。こういうのは「気が弱い」とは言いません。
私と話をしている時でも、社会のルールやマナーの話になると「分からない」と言って頭を抱えてしまう事がありました。ASDも重症になると、他人に迷惑をかけると言う事自体が理解できなかったりするようですが、幸い、茶柱さんはそこまで酷くはないです。
しかし、ASDの特性である「拘り」が強い所為で、どうでも良い事を何時までもつつき回したりしますし、納得のいかない事や許せない事があると際限なくリフレインさせて苦しんだりもします。その上、雑音や刺激にも敏感なので、日々の生活だけでストレスがマッハで溜まっていくようです。
そして、自己の処理能力を超える出来事があるとパニック状態になり、後先考えず衝動的に逃げ出してしまうのです。これらの問題点は本人も自覚しているのですが、障碍が原因なので努力によって克服する事は出来ません。
これまで茶柱さんは鬱病治療をメインにしていましたが、私は発達障碍と愛着障碍の緩和・克服が先だと思ったので、発達障碍支援センターへの通所を勧めました。しかし、その支援センターでもロクでもない扱いを受ける可能性があるので、同じ障碍者である私が一人で行って様子を見てきます。
茶柱さんは今のままでは救われません。対話で問題解決を図るにしても、その対話に耐えるだけの精神力が無いのです。自分の足で立とうにも、その足が無いに等しい状態なのです。私はこの状態から立ち直る方法を知りませんし、いくら頭を捻っても良いアイディアは出て来ません。
ただ、一つだけ挑戦するべき道が残っています。それは故・鈴木崩残先生が遺した分割希釈自我復元法です。試しに分割自我復元のDVDと、音声のみ録音したSDカードを貸しました。本来なら自分で購入すべきですが、今の茶柱さんにはDVDを購入する金銭的な余裕が無いので仕方がありません。
全自我に復帰しても発達障害は治らないとの事ですが、自らの特性を理解して受け入れたり、苦手な事を別の方法で補えるようにはなるみたいです。自我率が低いとそれさえも覚束(おぼつか)ないので、崩残先生は復元作業を実践するかしないかだけが、その人の明暗を分けると主張していました。
私自身は発達障碍の影響で「画像のイメージ」が全く出来ないので、イメージの代わりになる方法を編み出さない限り、全自我復帰は不可能です。これまでも思いつく限りの事を試してきましたが、どれも上手く行ったとは言えません。
例えば、実際に行った事のある大病院を想起して「呼びかけ」するという方法を試した時期があるのですが、残念ながら上手く行った実感はありませんでした。崩残先生亡き今となっては、根本的にやり方が間違っているのか、単に非効率的なだけなのかも分かりません。
自我を分けてくれる人の「座標」を指定する事が出来るなら話は別ですが、私はその方法を一つしか知りません。「座標」に成り得るのは名前、生年月日、住所です。つまり、現状では知人を「呼びかけ」の対象にするくらいしか手段が無いのです。
復元作業のみならず、何にでも言える事ですが、実際にその場に行ってみて、五感全てで知覚するというのは非常に大きいです。これをやると、やれる事や出来る事が一気に増えます。私が全国の神社仏閣を巡っているのも、神仏を味方につけるという作業の一環です。
神仏を味方につけると、人脈に似た独自のネットワークが構築されます。因みに、私は過去生でも似たような事をやっていたらしく、霊能者が霊視すると凄い数の古きアーリア系の神々がズラーッと並んで視えるそうです。
「神仏を味方につけている割には、障碍と毒親持ちで大変な人生じゃないか」と言われそうですが、振り返ってみれば乗り越えられなかった試練は一つも無いし、結果的に叡智と呼べるものにも手が届いています。まあ、私の守護神は戦神なので、こういう運命になるのは仕方が無いのかも知れません。
神仏は人間では知り得ない叡智を保有していますが、常人にはそれを聞き出したり、理解するだけの能力がありません。いわゆる「お告げ」は最後の手段であって、神仏に人の領域にまで降りて来てもらい、意思疎通の手段としては欠陥だらけの「言語」を使わせる形になります。
それは神仏に大きな「借り」を作る事なので、何らかの形で返さなければなりません。大勢で祀り上げて信仰し続けるという返し方もありますが、信仰=恥と化した今の時代に合ったやり方とは言い難いです。
頻繁に「お告げ」を受け取っている事を自慢する霊能者も居ますが、自ら望んで神仏の下僕に成り下がり、わざわざ言語化してもらって形骸化した叡智を仰々しく受け取って喜んでいる訳ですから、本当はあまり良い事では無いんですよ。
そんな真似をしなくても、我々が神仏の領域にまで駆け上がり、言語化される前の叡智を「あるがまま」に受け止められるようになれば良い話です。私が知る技法の中で、この目的に最も適しているのは「夢見術」です。むしろ、これをおいて他には無いと断言できるほど有効です。
夢見術が出来るようになると、神仏などの高位存在との接触の回数が格段に増えますし、言語ではなく五感(+α)を以て、自然かつ対等な形で情報を得られるようになるので、情報の質も比較にならないほど向上します。何より、高位存在に「借り」を作らなくて済むのが大きいです。
それに自我復元も夢の中での作業なので、技法としての相性も悪くありません。指導者不在となった自我復元は、もはや自分で自分の道を切り開くタイプの人にしか実践出来ないと言い切っても過言ではありません。
更新情報
夢見術を学ぶには、高藤聡一郎先生の著書「あなたを変える夢見術入門」を読むのが一番ですが、高藤流の夢見術は危険なネイティブアメリカンの呪術が基になっているので、そのまま実践するのはリスクと難易度が高過ぎます。
当サイト流の夢見術は、神仏との交流や分割自我復元法に寄与する部分に焦点を当てているので、比較的安全に取り組めると自負しております。