京都五山・禅づらと風狂

2021年2月9日2021年神社仏閣巡り

 今週の動向

どうしても行きたかった臨済宗(りんざいしゅう)の大本山、天龍寺(てんりゅうじ)と妙心寺(みょうしんじ)に行ってきました。

天龍寺は「京都五山(きょうとござん)」の第一位に数えられている禅宗の大寺院です。ご開山は当時の文学に多大な影響を与えた詩人で、禅庭・枯山水(ぜんてい・かれさんすい)の第一人者でもあった夢窓国師(むそうこくし)です。境内には世界遺産の曹源池庭園(そうげんちていえん)があります。

京都の臨済宗の寺には、各寺院の特徴を一言で表す「禅づら」という俗称があります。天龍寺は天台宗や真言宗の教学も学ぶ三宗兼学(さんしゅう けんがく)の「兼修禅(けんしゅうぜん)」で、作詩や文学も盛んだった事から「学問(がくもん)づら」と言われるようになりました。

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こちらは別の日に参拝した京都五山・第三位の建仁寺(けんにんじ)です。建仁寺の御開山は、中国南宋(なんそう)で臨済宗・黄龍派(おうりょうは)の禅を学び、のちに曹洞宗(そうとうしゅう)の宗祖となる道元禅師に禅を教えた栄西(えいさい、ようさい)禅師です。

初期は天龍寺と同じ三宗兼学の禅風だったので「学問づら」と言われていましたが、のちに鎌倉・建長寺(けんちょうじ)を開山した渡来僧の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が住職を務めてから、純粋禅の道場になりました。

蘭渓禅師は中国臨済宗・楊岐派、純粋禅(ようぎは じゅんすいぜん)の正当な法嗣(ほうし)です。

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京都五山があるように鎌倉にも五山があり、蘭渓禅師ご開山の建長寺は第一位に数えられています。また、その伽藍(がらん)は総門(そうもん)、三門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、方丈(ほうじょう)が一直線に連なる中国禅宗様式になっています。

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中国禅宗様式と言えば、中国直輸入の臨済禅である黄檗宗(おうばくしゅう)と、その本山である萬福寺(まんぷくじ)です。江戸時代に中国臨済宗・正伝32世として来日した隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師は、京都で念仏や密教を兼修する「明(みん)禅」を伝えました。

萬福寺は五山とは無関係なのですが、臨済禅を理解する上で非常に重要なので、ここに写真をUPしておきます。

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明禅や三宗兼学・兼修禅とは異なり、純粋禅を標榜しているのが大応国師・南浦紹明(だいおうこくし・なんぽしょうみょう)、大燈国師・宗峰妙超(だいとうこくし・しゅうほうみょうちょう)、無相大師・関山慧玄(むそうだいし・かんざんえげん)の流れを汲む応燈関派(おうとうかんは)です。

応燈関派の本山は関山禅師ご開山の妙心寺と、大燈国師ご開山の大徳寺(だいとくじ)です。この二大本山は京都五山に入らない林下(りんか)の寺ですが、妙心寺には「算盤(そろばん)づら」、大徳寺には「茶(ちゃ)づら」という酷い俗称がついています。

日本国内には臨済宗の寺院が約6000ヵ所あって、そのうちの約3400ヵ寺が妙心寺派の寺院だそうです。寺院の数が多い所為か、倹約と合理化による管理を徹底した事から、このような俗称がついたのだとか。

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大徳寺の「茶づら」と言う俗称は、千利休が帰依し多くの茶人が集まった事から、その名がつきました。大徳寺の三門には利休の像が安置され、それに豊臣秀吉が難癖をつけて切腹を命じたのは良く知られた話です。

他の五山の俗称ですが、第二位の相国寺は「声明(しょうみょう)づら」、第四位の東福寺は最大規模の伽藍(がらん)を誇っているので「伽藍づら」、五山別格の南禅寺は「武家づら」と言われています。

五山と林下(叢林 そうりん)の寺院は、将軍・足利家の室町幕府との癒着により腐敗していた為、道心のある禅者ほど激しく嫌う傾向があります。「禅づら」なる俗称がついたのは、民衆からも嫌われていた事の表れと考えて良いでしょう。

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曹洞宗は只管打坐(しかんたざ、ただひたすら ぶっすわる)の黙照禅(もくしょうぜん)であり、臨済宗は公案(こうあん)を用いる看話禅(かんなぜん)です。

公案とは実在した古の禅師達の語録集であり、言わば禅の問題集です。有名なのは無門(むもん)禅師が編集した無門関(むもんかん)や碧巌録(へきがんろく)ですが、婆子焼庵(ばすしょうあん)を収録した折中録(せっちゅうろく)や道樹録(どうじゅろく)と言った公案集もあります。

曹洞宗でも公案を用いる事はありますが、臨済宗は師から与えられた公案を解く為に坐禅をするという違いがあります。昔は公案と回答が表に出る事はありませんでしたが、近年では一般人が参加する坐禅会でも普通に取り上げられるようになっています。

 

近年の傾向としては、参禅を始めた人にすぐ無字(むじ)の公案隻手の音声(せきしゅのおんじょう)の公案を与えて、ムーと唱えながら坐禅をしたり、隻手になりきる為に坐禅をさせているようです。

昔のやり方とはかなり違うように思えますが、このやり方でも見性(けんしょう)を認められる人が出ているので、特に問題は無いのでしょう。棒で叩かれ、殴られ、蹴られるのが当たり前の古式に則(のっと)った厳しい指導を受けなくても、悟る人は悟るべくして悟るのです。

「各宗派の大本山に行かなければ坐禅修行は出来ない」と考える人も居るかも知れませんが、そんな事はありません。近所の禅寺や、臨済宗・方広寺派の教学部長を務めていた向令孝(むかいれいこう)禅師が主催する「いまここ禅道場」でも禅を学ぶ事は出来ます。

 

座禅修行がしたいのではなく、ちょっと禅に興味があるだけだと言う人は、福井県の永平寺(えいへいじ)や、岩手県の圓通 正法寺(えんづう しょうぼうじ)、静岡県の松陰寺(しょういんじ)、京都府の酬恩庵・一休寺などに参拝すれば、何かを学べると思います。

本山格の寺ではありませんが、神奈川県の風外窟(ふうがいくつ)や、長野県の正受庵(しょうじゅあん)、京都・宇治橋付近の興聖寺(こうしょうじ)、愛知県の香積寺(こうしゃくじ)も良かったです。こういった禅関連の場所に参拝していくと、次第にタフで風狂な精神が身に付いていきます。

何故なら、高名な禅師達は実に「濃ゆい」人生を送っており、そのゆかりの地に赴けば自然に影響を受けるからです。

 

風狂と言うと一休禅師のような破戒僧や、中国唐代の寒山・拾得(かんざん・じっとく)のような奇僧の名が挙がります。しかし、面壁九年の達磨大師や、太鼓腹の布袋尊、20年間橋の下で暮らした大燈国師、穴居人の風外慧薫、乞食桃水と呼ばれた桃水雲渓、愛人持ちの良寛も十分過ぎるほど風狂です。

禅の世界のみならず、老荘思想の老子・荘子や、王子時代の釈迦世尊も風狂と言えば風狂ですし、近年では褌一丁の聖者ラマナ・マハルシや、セックス・グルと悪名高いバグワン・シュリ・ラジニーシ(OSHO)、酔いどれダンテス・ダイジに、無明庵EOこと鈴木崩残も、実に風狂な人物でした。

彼らのキャラの濃さとユニークな人生に統一性は無く、何ものにも囚われず本人が本人らしく生き抜いたとしか言いようがありません。そして、その多様な姿こそが、人間らしい生き方や、人としての正しい心の在り方の答えそのものであるように思います。

 

人生とは、どのように生き、どのように死ぬかの問題です。その答えが見つかろうが見つかるまいが、良くも悪くも時間は誰の身にも平等に、非情に、とどまる事無く過ぎ去っていきます。

誰だって死にたくは無いし、誰にも死んでほしくないという気持ちはありますが、それは無理な願いというものです。死ぬ人や、不幸な人を一人でも減らしたいと思うなら尚(なお)の事、物事を正しく見極める目を養わなければなりません。

物事を正しく見極める目を養うには、心を乱すストレス全般への対抗力を養い、遅かれ早かれ必ず訪れる死の運命を受け入れて、未来を見据えて自他の命を活かそうとする視点を持つ事が肝要です。

 

怖いからと言って死を遠ざけようとすればするほど、人は弱く、醜くなっていきます。人を弱く醜くするのは煩悩の働きであり、極論すれば煩悩とは「何かを望む事」であると言えます。五山叢林が今も残る「禅づら」なる不名誉な俗称を得たのは、室町時代の禅僧が名利栄達を「望んだ」からです。

何かを望めば、それが弱味になり、付け入る隙が生まれます。しかし、何も望まず、死をも厭わず、ただあるがままに生きる覚悟を決めた風狂人には、付け入る隙などありません。

命を失う事や、財産を失う事、愛や名誉を失う事を恐れれば恐れるほど、人は愚かになっていきます。新型コロナウイルス関連の自粛警察や「不謹慎狩り」にしても、我々の心の底に潜む「失う事への恐怖心」が生み出した怪物と考えるのが相応しいと思います。

 

今こそ、風狂な先人達から生き方と死に方を学ぶべき時です。我々ひとりひとりが失う事への恐怖心に対抗し得る精神力を持とうとしなければ、結局は別の形の死や破滅を呼び込む事になるでしょう。

その際、小悪党の狡っ辛い(こすっからい)立ち回りなど、何の参考にもなりません。エゲツない手段を用いてその場を凌いでも、死後に残るのは薄汚れた魂と不名誉な俗称くらいのものです。

先人達の語録集である古則公案に参じるという事は、彼らと同じ悟りの境地に立とうとする事でもあります。その境地から見えるものを自分なりに体現したものが風狂であり、それは不自由と不寛容の対極に位置するものなのです。

 

 

更新情報

カテゴリ・古則公案SSの記事を更新しました。今回は隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)です。

私説・隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)

 

2021年2月9日2021年神社仏閣巡り

Posted by 清濁 思龍