四国・淡路島に行ってきた
今週の動向
古の山岳信仰および修験道と真言宗について学ぶ為に、四国と淡路島に行ってきました。敢えて宿の利用はせずに、高速道路のPAかSAで車中泊をしました。二月上旬の一番寒い時期だったので、単布団+シュラフ+毛布でもちょっと寒かったですけどね。
四国と言えばお遍路です。私も時間とお金に余裕が出来たら「歩き遍路(徒遍路・かちへんろ)」をしてみたいと思っていますが、今回の目的は主に「石鎚修験」「金比羅修験」「元熊野」を識(し)る事だったので、四国八十八ヶ所の寺は一番札所と75番札所にしか参拝していません。
同じ理由で、弘法大師・空海が居住した場所とされる室戸岬の御厨人窟(みくろど)と、その隣にある神明窟(しんめいくつ)にも行っていないので、いずれまた四国には行かなければならないと思っています。
初日
高知県・土佐神社(とさじんじゃ)→愛媛県・一宮神社(いっくじんじゃ)→石鎚神社(いしづちじんじゃ)→前神寺(ぜんしんじ)の順に参拝しました。修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が御開山の石鎚神社では、十種神宝(とぐさのかんだから)御守りを授与していただきました。
御守り袋の中には、十種神宝の焼き印が押された八角形の板が入っていました。十種神宝は饒速日命(にぎはやひ の みこと)や奈良県・石上神宮と関係がある神器ですが、それがどのような形で石鎚神社と関係しているのかは分からなかったので、今後の勉強の課題にするつもりです。
石鎚神社の祖霊社の奥には、御神水が湧いています。その音を録音してみました。
二日目
香川県・金毘羅宮(ことひらぐう)→善通寺(ぜんつうじ)→田村神社(たむらじんじゃ)の順で参拝しました。金毘羅宮の石段は拝殿まで785段、奥社まで1368段あります。参拝後、参道沿いにある「虎屋」の金毘羅うどんを食べてみたかったのですが、残念な事にコロナで店がお休みでした。
弘法大師生誕の地として知られる善通寺では、五百羅漢像の中から愚鈍ながらも掃除で大悟したチューラ・パンタカの像を見つけました。創建1300年の歴史を誇り、龍神と桃太郎の伝説で知られる田村神社では、カッコイイ龍の写真を撮る事が出来ました。
三日目
徳島県は八十八か所の一番札所・霊山寺(りょうぜんじ)→大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)→兵庫県淡路島・伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)の順に参拝しました。霊山寺ではお遍路用の装備一式を購入する事が出来るので、予めネットで購入しておく必要は無いみたいです。
弥山の山頂に大麻比古神社の奥宮があるので、出来れば登拝したかったのですが、金毘羅宮参拝の疲労が残っていて体が重く感じたので、今回は登拝を断念しました。
伊弉諾神宮の東には日本最初の都である藤原京(ふじわらきょう)と伊勢神宮(内宮)があり、南には「元熊野」愉鶴羽神社(ゆづるはじんじゃ)、北には出石神社(いずしじんじゃ)、北西には出雲大社(いずもたいしゃ)があります。
伊弉諾神宮に参拝する前に、鳴門海峡大橋の展望台に行きました。残念ながら渦潮は見られませんでしたが、四か所ある展望台からの眺めを比較する為の動画を作成する事が出来ました。
四日目
南淡路の産宮神社(さんのみやじんじゃ)→磤馭盧島神社(おのころとうじんじゃ)→諭鶴羽神社(ゆづるはじんじゃ)の順に参拝しました。産宮神社は18代・反正天皇の生誕地であり、仁徳天皇も利用した大和朝廷の狩猟地であり、淡路宮が置かれていた所であり、神聖な瑞井(みずい)がある所です。
伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の陰陽夫婦神は、天の浮橋の上に立ち、天の沼矛(あめのぬぼこ)を持ち海原をかき回しました。矛の先から滴る潮が、自ずと凝り固まって島となったのが磤馭盧島です。伊弉諾と伊弉冉は磤馭盧島に立ち、淡路島、四国、九州と次々に創っていきました。
諭鶴羽神社は「元熊野」と言われた修験道の聖地です。熊野権現は最初に福岡県・英彦山(ひこさん)に降臨し、石鎚山から諭鶴羽山に渡り、今は和歌山県・熊野大社にお鎮まりです。また、欠史八代・開化天皇の時代に、鶴の羽根に乗られた伊弉諾と伊弉冉が諭鶴羽山山頂に遊んだという伝説もあります。
今回の旅のお土産です。
まとめ
元熊野・諭鶴羽山と石鎚修験は熊野信仰で繋がっており、金毘羅修験は明治政府の神仏分離によって滅ぼされ、元熊野は二度の戦乱により滅亡しました。しかし、金毘羅信仰は完全に消滅してはいませんし、諭鶴羽修験を復活させようとする動きもあります。
明治政府が掲げた「王政復古」「祭政一致」の理想と、政令としての神仏分離は、江戸中期に興った国学(こくがく)と呼ばれる学問体系の影響もある為、回避不能の歴史的必然と言わざるを得ません。因みに国学では、儒教や仏教の影響を受ける前の古神道に日本人としての精神を見出そうとします。
ある意味ゴチャマゼの神仏習合の時代が本当に良かったかと言われると微妙ですが、千年かけて交じり合った信仰を強引に分断した所為で、今の神道や仏教は辻褄の合わない歪な姿になっています。今後はスピリチュアルと伝統宗教の習合が進んでいくものと思われますが、はてさてどうなる事やら。
神道・仏教・修験道などの伝統宗教や、儒教・国学などの学問体系は、人としての生き方や幸福とは何かを説き、心から迷いや苦しみを取り除く為にあります。しかし、それらの宗教や学問はあまりにも複雑で、日常生活や仕事などで精神をすり減らしている現代人の心には届き難くなっています。
迷い苦しむ人々が欲しているのは、即効性のある鎮痛剤のように心に平安をもたらす優しい言葉です。しかし、鎮痛剤に治療の効果まで期待するのは間違いです。本当に楽になりたいのであれば、苦痛をもたらす原因を取り除かなければなりません。
極論すると、精神的な苦痛の原因は我々が持つエゴそのものであり、エゴという諸悪の根源を取り除くには、大悟・解脱するより他はありません。そこまで行かなくても初歩の悟りに手が届けば、精神的苦痛は殆ど無くなります。
となれば、誰もが「気楽に悟れる方法」や、誰かに「悟らせてもらう方法」を求めるのは当然の流れです。その為に「易行道(いぎょうどう)」を説く僧侶が世に出たり、民衆を救う為に自ら厳しい修行を積んで「法力・験力」を得ようとする密教僧や山伏が現れたのです。
修行者の求道心・探求心の源は二種類あって、一つは生きとし生けるものを慈しむ心であり、もう一つは汚濁の世への悲憤です。この二つの感情は表裏の関係にあるので、慈悲心として一括りにされています。
慈しみの心が強い人は積極的に世に出て他人と関わろうとしますが、悲憤が強い人は独りで自己を高めようとします。「慈」と「悲」は両方とも人間性の高みの表れですが、大抵の人はどちらかの傾向が強く出るものです。
一般的に「人間性が高い人は悟りに近い」と思われていますが、それはこの辺りの話から出てきたもののように思います。実際には慈悲心だけでなく、真実を求めて止まない「探求心」も養わなければならないのですが、その事についてはまた別の機会にお話しさせていただきます。