石清水八幡宮参拝と、福岡県五歳児餓死事件について

2021年3月17日2021年神社仏閣巡り, 時事, 風飡水宿(キャンプ), 積極的隠遁

今週の動向

前々から欲しかったロゴス社のキャンプ・ギア「スキュアマスター」を購入する為に、京都のロゴスランドに行ってきました。ロゴスランドはこれで二回目の訪問になります。来週、茶柱さんと和歌山のキャンプ場に行く予定なので、その時に使ってみようと思っています。

他にもアルペン社系列・スポーツデポにて、大流行のホットサンドメーカーを買ってしまいました。アウトドア系の動画で頻繁に使われているギアなので、ついつい欲しくなってしまったのです。実際に使ってみると凄く便利なので、キャンプ時のみならず日用使いもしています。

更に和歌山行きの準備として、スウェーデン製のモーラナイフ、コンパニオン・ヘビーデューティーとテント用ペグも購入しました。ミニマリストを自称する割には色んなギアを買っている今のわたくし。本当にこれで良いのかと自問自答する事が増えました・・・。

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同じ日にロゴスランドの近くにある、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に参拝しました。石清水八幡宮は京都の裏鬼門の守護であり、毎年元旦に皇居で行われる四方拝という重要祭典で礼拝されている由緒ある神社です。

昔、仁和寺の和尚が麓にある高良社を御本社だと思い込み、他の人が男山に登っているのを見ながら自分は登らずに終わったという話があります。それだけ過去の高良社は隆盛を極めていたという事ですが、この逸話は「小さな事にも案内人が必要」という教訓として用いられるケースが多いようです。

でも、管理人が神社仏閣巡りをする時は、下調べは必要最小限に留めています。何故なら、入念に調べて行くと緊張感が無くなったり、余計な知識が思い込みを生じさせて色々なものを見落としてしまうからです。誰だって適度な緊張感や危機感が無いと、成長なんか全然しやしません。

https://ideadragon.tumblr.com/post/645495865676595200/%E7%9F%B3%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE-%E4%B8%80%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E7%94%B7%E5%B1%B1%E3%81%AE%E9%BA%93%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E9%A0%93%E5%AE%AE%E3%81%AE%E9%B3%A5%E5%B1%85-%E4%BA%8C%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E6%A1%9C-%E4%B8%89%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E9%A0%93%E5%AE%AE%E6%8B%9D%E6%AE%BF

 

 

福岡県五歳児餓死事件について

御存知の方も多いかと思いますが、福岡県で五歳の男の子が餓死させられました。容疑者はその母親と知人です。母親は知人にマインドコントロールされていて、夫と離婚させられ、全財産を奪われ、挙句の果てに我が子を死なせてしまったのに、逮捕されるまで知人を心底から信頼していたそうです。

この手の事件が明るみになる度にメディアが大騒ぎしますけど、実際には似たような事はそこら中で起きています。ただ単に事件として発覚しないまま終わったり、強い権力を持つ巨大組織や宗教団体が事件をもみ消している事例が多いだけです。

例えば、キャンプ仲間の茶柱さんは偽覚者・伊勢菊理にマインドコントロールされていましたし、私自身も毒親の洗脳を受けたり、某巨大新興宗教の信者から一方的にレリジャス(宗教)・ハラスメントとマインドコントロールを仕掛けられた経験があります。勿論、どれも未発覚のケースです。

 

自己防衛の為にマインドコントロールの手口を勉強するという手段もありますが、騙す側は獲物の無知な部分や、モラルや、良心に付け込んでくるので、決定的な対策にはなりません。

悪党には優しさと弱さの区別などつかないし、順法意識もありません。むしろルールを守るのは弱い者の義務だとか、弱者の隙を突く自分は強くて賢いと思っているようです。

事件の容疑者である知人は、日頃から餓死児童の母親をバカ呼ばわりしていたようですし、恐らく逮捕された今でも、口先だけで他人を屈服させ、完全支配した己の実力を誇らしく思っている事でしょう。大事件を引き起こす悪党の価値観は、それほどまでに狂っているのです。

 

支配者気取りの危険人物は何処にでも居ますし、嘘八百で仮想敵を作り出し、自分は味方の振りをして搾取するという手口にしても、社会の底辺ではそれほど珍しいものではありません。

また、知人の容疑者はクレーマー&トラブルメーカーとして知られており、他のママさん達は警戒して近づこうとしませんでした。なのに餓死児童の母親は、そんな奴に自分から声をかけて「話が面白い」と評価していた訳です。

もちろん騙す方が悪いに決まっていますけど、餓死児童の母親は余りにも迂闊ですし、危機感が無さ過ぎます。宗教絡みの厄介な問題だったと言う報道もありますが、例えそれが事実でも母親は我が子を守らないといけない立場なのですから、簡単に騙されてしまうようでは話になりません。

 

学校であれ、会社であれ、人の集まる所には、悪党やカルト宗教の信者などの危険人物が入り込む可能性があります。もし餓死児童の母親がその事実を受け入れて警戒を怠らなかったら、これほどまでに悲しい事件は起きなかったかも知れません。

餓死児童の母親は、容疑者たる知人の言い分を信じる前に、その話が事実かどうかを確認する為に、他のママさん達と積極的に情報交換を行うべきでした。

少々厳しい意見になりますが、餓死児童の母親は脳内お花畑のままで運任せに生きて来て、その運が尽きたら大切なものを何一つ守れなかったと言う事です。

 

 

やられてもやり返さないのが正しいのか?

騙す側と騙される側では騙す側が圧倒的に有利ですが、だからと言って「騙されるのが怖い」と怯えて生きる訳にもいきません。幸い日本社会はまだ善人の方が数が多いですし、善人には善人なりの強みもあります。

善人の戦い方と言えば「非暴力非服従」とか「右頬を打たれたら左頬を差し出せ」とか「暴力に対して愛で報いる」と言うような、実践するのが困難な方法を連想する人が多いかも知れません。

某TVドラマの「やられたらやり返す、倍返しだ!」というセリフが流行った事もありますが、このやり方では報復の連鎖を生んでしまいます。個人的には、やられっぱなしも倍返しも間違いで「やられたら等価で返す、因果応報だ!」というのが善人の生存戦略であり、戦いの流儀だと考えています。

 

因みに、スピリチュアルでは「受け身の正当性」なるものを説く場合があります。曰く、戦いや悪い行いをしなければ「ギフト」が降りて来て、誰でも簡単に幸せになって平和な世界を実現する事が出来ると主張している訳ですが、果たしてそれは事実なのでしょうか?

国民の大半が「仏様を拝んでいれば平和に暮らせる」という共通の価値観を持ち、一向に軍事力を持とうとしなかった仏教国のチベットは、現在進行形で民族浄化の生き地獄を味わっています。

仮にチベットが祈りの力で平和になったとしても、ギフトが降りなくなれば再び侵略の憂き目に遭う事でしょう。しかし、それでは餓死児童の母親と何も変わりません。

 

悪党は善人の弱みを知り尽くしていますが、善人は悪党を知りません。しかし、善人が戦う覚悟を決めて本気で悪党を分析すれば、楽をする事しか考えていない悪党に勝ち目はありません。

平和はタダで得られるものではなく、不断の努力によって維持していくものです。そして、無力なまま悪党の脅威から逃げ回っているうちは、自分に自信を持てるようにもなりません。

大人になるという事は、大切なものを自分で守れるようになるという事です。そしてそれは、人を育てる側に立つ為の必須条件でもあるのです。

 

 

「波動」を高めれば悪党から身を守れるのか?

スピリチュアルでは「波動」という言葉をよく使います。これは物事には固有の振動数(ヴァイブレーション)があるという考え方に基づいていて、その視点からすると悪党は波動が低く、善人は波動が高いという事になるようです。

曰く、自らの波動を高めるには、波動の高い環境に身を置き、波動の高い飲食物を摂れば良いとされています。そうすれば愛に満ちた高次の世界と繋がって、平和で幸福に生きられるようになるのだとか。この説が正しいなら、高い波動を維持するだけで、波動の低い悪党との接点は無くなっていく筈です。

しかし、悪党の関心は波動の高低ではなく強弱にあるので、いくら波動を高めても「こいつは弱い」と思われたら普通に狙われてしまいます。つまり、波動を高めるだけでは、悪党から身を守る事は出来ないという事です。

 

因みに、悟りという現象を振動数(ヴァイブレーション)という視点で考えると、全く振動していない状態(無振動)か、あらゆる振動を相殺する負の振動数(虚振動)という表現になる筈です。そしてその無振動・虚振動を以ってしても、悪党から身を守る事は容易ではありません。

悪党はくだらない優越感を得たいが為に、暴力によって積極的に他者の人生を否定する愚かで迷惑な存在です。そのような生き方しか出来ないのは、地道な努力と絶えざる忍耐を必要とする「人間らしい生き方」を心底バカらしいと思っているからです。

仏弟子のアングリマーラや今昔物語の源太夫のように、間違いを間違いと認める事さえ出来れば救いもあるのですが、優越感で肥大した悪党のエゴはそれを絶対に許しません。悪党は他者に勝利する事で自分を維持していますが、自分自身のエゴには常に負けっぱなしの状態なのです。

 

波動という視点で考えるなら、克己心が強い者ほど波動も高いという事になる筈です。もちろん悪党は論外ですし、どれほど善良な人物であっても意志薄弱ならば波動が高いとは言えません。

本当に波動が高い者は常に己自身のエゴと戦っていますし、その戦いの経験は悪党との戦いでも活かされるものです。何故なら、人間なら誰もが同じエゴの仕組みを持っているからです。

畢竟、人生とはエゴとの戦いであり、その戦いの末にエゴと刺し違える事で起きるのが悟りという現象です。その悟りの視点から言えば、善も悪も無く、敵も味方も居ない事になるのですが、悟る前には必ずエゴとの闘争を経験しなければならないのです。