認識の一大転換がやってきた

2021年

今週の動向

もう今生は無理だろうと殆ど諦めていましたが、とうとう我が身にも「大きな気づき」がやってきました。

今回の気づきは降参(サレンダー)に属するものだったので、これまで何十年も障碍とハンディキャップを隠す為に被ってきた「理性の仮面」を外す事になりました。

まだ今の存在状態に慣れていないし、これまでの酷い人生経験からすると、今の状態は危険としか思えないので、何もかもが怖く思えて震えと動悸が止まりません。

 

このまま「気づき」が体に馴染むか、ただ通っていくだけなのかは分かりません。

ただ、いつまでも精神的に丸裸のままで居られる訳もないので、なるべく早く落ち着きを取り戻さなければならないと考えています。

ただ、今の私は複雑な記事を書けるような存在状態では無いので、今週は記録程度の内容に留めます。

 

 

気づきの瞬間

大きな「気づき」が来たのは、茶柱さんの介助と引っ越し準備をしている時でした。

ある出来事から、これまで私が身を守る為に使ってきた「理性の仮面」が何の役にも立たないと思い知らされてしまい、とても強い精神的ショックを受けました。

結局、私と茶柱さんは似た者同士であり、人として生きるのが苦手な社会不適応者だという辛過ぎる現実を認めた瞬間、私の「理性の仮面」は役立たずとなり、勝手に外れてしまったのです。

 

仮面の下の素の私は、危険なまでに優しく、寛大で、臆病で、ただ寝床で猫のように寛(くつろ)ぐのが好きな人間でした。私自身、こんな素地が自分の中にあるとは思ってもいませんでした。

「理性の仮面」をひっぺがしたのは、私自身の慈悲心と、献身と、愚直さです。やはり人徳を磨く努力と、傷つく覚悟がなければ、我々が精神的に進歩する事は無いのでしょう。

酷い心の痛みと引き換えに、私は独りで生きる事を辞めました。おかげで少しばかり弱くなってしまいましたが、少しばかり人間らしくもなりました。

 

「人は独りでは生きていけない」と言いますが、正確には「独りで生きていると人間にはなれない」というべきだと思います。

何をするでもなく、ただそこに居るだけで価値がある。ただ単に手を差し伸べるだけで、他人を救ってしまう。それが人間という生き物のあるべき姿であり、本来の姿なのでしょう。

以前の私なら、こういう事は絶対に言いませんでした。何故なら、悟りとは絶対的無意味、絶対的無価値に安住する事であり、人は犀の角のように独りで歩むべきだからです。

 

しかし、人間社会には質の悪い連中がウジャウジャ居るので、ノーガードの存在状態のままで在り続けるのは危険です。

なので、やむを得ず「理性の仮面」を再び被る事にしました。

以前の状態に戻る事を「意図」するだけで、アッサリと素の私は隠れてしまいましたが、仮面が外れてしまったと言う事実は変わりません。

 

以前と同じようで、実はもう以前とおなじではない。今の所はこんな感じです。

 

2021年

Posted by 清濁 思龍