沢庵禅師の不動知神妙録と、丹田練磨の方法について

2021年6月26日2021年レイキ(靈氣), 丹田操剣法

今週の動向

転居した事により、茶柱さんの鬱病が少し良くなってきたので、坐禅と丹田操剣法を教え始めました。先日、管理人と一緒に鬼滅の刃や柳生新陰流と縁の深い天乃石立神社(あまのいわたてじんじゃ)と芳徳寺(ほうとくじ)に参拝した事が、剣と禅に目覚める切っ掛けになったようです。

管理人としては、禅にしても剣にしても、急いで習得しようとすると消化不良になってしまうので、毎日一歩づつ、ゆっくりと時間をかけて身に付けていってもらいたいと思っています。

ただ、私は私で根が体育会系なので、油断すると「何でオレと同じ事が出来ないんだ、早くオレみたいになれ!」みたいな事を口走ってしまう病理を持っています。気を付けなければ。

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丹田操剣法は剣術ではなく丹田練磨の行法ですが、その延長線上にあるものは剣術と同じ無念無想、無心の境地です。柳生新陰流の柳生但馬守宗矩(やぎゅう たじまのかみ むねのり)と交流があった沢庵宗彭(たくあん そうほう)禅師は、その境地を不動知(ふどう ち)と呼びました。

不動智とは、心を殺して石や木のような無機物的な存在になるのではなく、対戦相手などの外部からの刺激に動揺したり、内なる煩悩に囚われたりせず、自由自在に動く事であるそうです。そして沢庵禅師曰く、不動明王とは囚われのない心の象徴なのだとか。

沢庵禅師が柳生宗矩に宛てて書いた不動智神妙録(ふどうち しんみょう ろく)という書簡には、禅の見地から剣の道が説かれています。後に柳生宗矩は剣禅一如(けん ぜん いちにょ)と言う思想を説くようになりますが、これには沢庵禅師からの影響があったと考えて間違いないでしょう。

 

不動智神妙録の原本は現存せず写本が残るのみですが、今でも関連書籍や全集なら読む事が出来ます。昔の本ばかりなので少々読み辛いのが欠点ですが、国立国会図書館デジタルコレクションでもいくつか読める本があるので、剣禅一如や不動智神妙録で検索してみてください。

沢庵禅師については、私も調べ始めたばかりです。沢庵禅師が大徳寺・第154世住持だった事や、国師号を辞退した事、宮本武蔵との交流は無かった事も、この記事を書く直前に知りました。

でも、沢庵禅師の足跡を追ったり、語録集を読み始めたりすると、面白くて止まりません。これはWikipediaにも書いてある事ですが、沢庵禅師は時の将軍から日蓮宗と浄土宗の仲が悪い理由を尋ねられ、簡潔にズバリと本質を言い当てたりしています。そりゃ誰からも尊敬もされますわ・・・。

 

沢庵禅師に興味を持つようになったら、しばらく離れていた剣術の稽古にも再び興味が出てきました。今の時代に実際に剣を振る機会などありませんが、心身の鍛錬法として見るなら、剣術は後世に伝えるだけの価値がある素晴らしい文化だと思います。

勝てば官軍、負ければ賊軍と言いますけど、単に強いだけの人物はくだらないし、強さの先にあるものを見据えていない人物はつまらない。ひとたび人間に生まれたのなら、努力・精進に愉しみを見出し、利他の精神と自己実現を見据えて生きていきたいものです。

その場の勝ち負けには運の要素も絡んでくるので、必ずしも正しい方が勝つとは限りません。むしろ手段を選ばず無茶苦茶やってくるチンピラの方が、勝率そのものは高いでしょう。しかし、卑劣な勝利には優越感と自己満足以外の価値は無く、いくら勝利を積み重ねても泣く人が増えるだけです。

 

勝利の本質は己が人生を切り拓く事にあり、敗北の本質は己が人生を閉ざされる事にあります。人生は山あり谷ありですし、勝つ事もあれば負ける事もあります。でも、最終的な勝利は常に、己が人生を切り拓いた者の手にあるのです。

悪党は欲望のまま好き放題に生きて、周囲に傷跡だけを残して死んでいきます。周囲に残した傷が多ければ多いほど、深ければ深いほど、勝利の美酒に酔い痴れますが、実際には歪んだ優越感しか得られないので心が満たされる事は無いし、肝心の自分自身には敗北しかしていません。

我々日本人の精神性の根底には常に「刀」の存在がありますし、それは人としての正しい生き方を切り拓く為に必要な力の象徴でもあります。その象徴としての「刀」を自他を活かす為に用いるか、ただの人斬り包丁として振り回すかで、その人の価値が決まると考えて良いでしょう。

心身を鍛える丹田操剣法

 

 

レイキと坐禅

レイキにはスピ的で胡散臭いイメージがありますけど、レイキ創始者の臼井甕男(うすい みかお)氏は禅の出身です。結果的にヒーリング法として広まる事になりましたが、元々は臼井氏が「人生の目的とは何か?」という問題に苦悩した挙句、偶発的に会得したものです。

私が知る限り、伝統靈氣と西洋レイキは同じもので、初伝では頭頂から背骨にかけての回路(経絡で言う衝脈か?)を開いてもらえます。因みに、回路を開くと言うだけなら簡単ですが、中国仙道やクンダリニー・ヨーガなどで同じ事をしようとすると、命懸けの修行になってしまいます。

そんな事をたった2~3万円でやって貰えるのは、価格破壊以外の何物でもありません。しかも伝授さえ受ければ誰でも同じ事が出来るようになるというのですから、これはもう異常としか言いようが無いです。自力修行の世界だと、こんな事はまずありえません。

 

基本的に私は自力修行側の人間ですが、心身に深刻なダメージを受けている茶柱さんと出会ってから、度々ヒーリングを行うようになりました。何故なら、自分ではどうにもならない状態の人に対して、自分の事は自分でやれと言って突き放すのは、ただの暴力に過ぎないからです。

初伝のレイキ・ヒーリングを行っても心身の問題が根治する事はありませんが、一時的に苦痛を和らげる事なら可能です。そして世の中には、それを必要としている人も居る事も知りました。

プロのレイキ・ヒーラーにヒーリングを依頼すると、一時間で何千円も支払わなければいけませんが、自分でヒーリングを行うなら伝授の受講料以外はかかりません。そして、どうやらレイキにはヒーリング以外の使い道もあるようなのです。

 

試しに座蒲や単布団に坐り、仙骨を倒して坐禅の姿勢を決め、逆腹式呼吸により横隔膜で真上から丹田に圧をかけてみてください。これを丹田呼吸とか丹田禅と言うのですが、その際に丹田にレイキを降ろすと、全身にレイキが行き渡って大変に気持ちが良くなります。

この気持ち良さは無心や忘我の状態に導いてくれるので、非常に坐禅修行が捗ります。丹田呼吸だけで気持ち良くなろうとすると数年程度の修行期間が必要になってしまいますが、レイキをプラスすると気持ち良くなるまでの期間がかなり短くなります。

また、レイキによって丹田の「氣」を強化する事が出来るので、ひょっとしたら仙道で言う大周天の別ルートを開拓する事が出来るかも知れません。まあ、我ながら流石に夢を膨らませ過ぎのような気もしますが、可能性の模索は悪い事ではないので、まずは思いついた事を試していこうと思っています。

 

余談ですが、私は長年の気功修行と悟りの影響で既に衝脈が開いていましたが、まだ頭頂のサハスラーラ・チャクラは開いていませんでした。それがレイキの初伝伝授でアッサリと開いてしまい、おかげでサハスラーラ・チャクラの正確な「意識の座標」を感得する事も出来ました。

各チャクラの「意識の座標」を感得すると、意識によって各チャクラを連結させる事が可能になり、そしてそれは意識レベルの上昇と自己成長を齎します。また、個人差はあるものの、六神通の発現も見られるようです。

現代に伝わる六神通の内容は眉唾ものですが、本来、六神通とは神仏などの高次存在や、肉体を持たない非有機的存在の行動能力そのものを言います。つまり、肉体の軛(くびき)を外す事さえ出来れば、誰の身にも六神通の発現が起きると言う事です。

 

あまり神通力やら超能力やらの話をすると、オウム真理教や他のインチキ宗教と大して変わらくなるので、このあたりで止めておきます。とりあえず、人間は自分達が思っている以上に神秘的な生き物であり、多くの可能性を秘めていると知ってもらえれば、それで結構です。

 

 

更新情報

下記リンク先の記事を更新しました。私は料理と食事が趣味なので、ライティングの際にはとても気合が入りました。でも、料理の世界は奥が深く、全く終わりが見えないので、この記事は何度もリライトする事になると思っています。

禅的ミニマリズム・料理編

 

2021年6月26日2021年レイキ(靈氣), 丹田操剣法

Posted by 清濁 思龍