鞍馬山周辺と、風飡水宿ノ行について

2021年7月20日2021年神社仏閣巡り, レイキ(靈氣), グラウンディング, 風飡水宿(キャンプ), 内観冥想(サイコダイビング)

今週の動向

管理人は暑いのが超苦手なので、夏は巣籠りの季節と決めています。なので、本格的に暑くなる前にレイキ・ヒーリングの聖地である鞍馬寺(くらま でら)に行ってきました。レイキ創始者の臼井甕男(うすい みかお)氏は鞍馬寺の奥の院に参籠し、そこでレイキに開眼したと言われています。

鞍馬寺は千手観音と毘沙門天の像を安置する寺として始まって、真言宗→天台宗と宗旨が変わり、度重なる火災により衰退しました。そして1949年に単立宗派・鞍馬弘教(くらま こうきょう)の総本山となり、独自の路線を歩む事になります。

古来より鞍馬山には山岳信仰や天狗伝説がありましたが、鞍馬弘教では天狗=護法魔王尊(ごほう まおう そん)=サナト・クマーラと説き、千手観音と毘沙門天と護法魔王尊の三柱を一体の存在と見做して尊天(そん てん)と呼称しています。

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鞍馬寺と奥の院に参拝した後、龍神・高龗神(たか おかみ の かみ)を祀る貴船神社に参拝しました。因みに、大雨による土砂崩れの影響で、叡山電鉄・市原駅~鞍馬駅の区間は運休しています。復旧は2021年の秋なので、当面はクルマかバイク、もしくはバスを利用する事になります。

個人的には参拝客が少なくて助かりましたが、貴船川周辺にある川床(かわどこ)料理の店はコロナ禍+電車運休のダブルパンチです。苦しいのは参拝客も同じなのか、昼時にも関わらず川床はガラガラでした。川床は京都の風物詩であり、夏季限定の名物料理なのに・・・。

私の懐事情にも厳しいものがありますが、伝統ある京都の川床料理を守る為に、1500円で鮎と一汁一菜を愉しめるお得なコースを満喫しました。何気に川床デビューを果たした訳ですが、真夏の最も暑い時期だと、もっと清流の涼しさを楽しめるのかな~と思いました。

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今回の鞍馬山登拝には茶柱さんも同行しており、何度か休憩を挟みはしたものの、朝8時からPM3時頃まで行動し続けました。流石に最後の方は疲れてしまったみたいですが、まだ鬱病が寛解していないにも関わらず、最後まで音を上げずに一緒に行動してくれたのは立派でした。

茶柱さんも鞍馬山登拝をやり遂げた事で自信がついたと言っていますし、人混みさえ避ければ割と動けるという自らの特性を理解する事にも繋がりました。正直、ちょっとばかり連れて行く事に不安を感じていたのですが、とりあえず今回の登拝は成功と考えて良いでしょう。

ただ、個人的には鞍馬山をパワースポットだとか、レイキの聖地として見る事は出来ないと思いました。レイキの先生は、山内にセカンド・ディグリーで伝授してもらうシンボルやマントラに通じるものがあると言っていたし、ネット上では金剛床のパワーが凄いとの話もあったのですが・・・。

 

 

風飡水宿

鞍馬山登拝から数日後、我が身に焚火の禁断症状が出てしまったので、症状を緩和させる為に某キャンプ場に行かざるを得なくなりました。最初は一人で行くつもりだったのですが、雨天という悪条件の中でのデイキャンプになるという話をした上で、茶柱さんも連れて行く事になりました。

私は焚火缶でフランスの郷土料理であるラタトゥイユを作り、網火で鶏もも肉とホタテ貝を焼き、小麦粉を練って無発酵のパンを焼きました。ラタトゥイユは夏野菜の煮込み料理なので、これからの季節にはピッタリですし、白ワインとセロリを入れたものは本当に美味しいです。

しかし、その語源は「Touiller=かき混ぜる」と「Rata=ごった煮」であり、元々は軍隊や刑務所で出されるような格の低い料理だったようです。まあ、キャンプで作る料理なら、むしろそういう料理の方が相応しいとも言えますね。

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私は何度も悪天候でのキャンプを経験しているので、多少の雨は気にしません。私にとってキャンプとは、風に吹かれながら食事を摂り、水辺に宿る「風飡水宿ノ行(ふうさん すいしゅく の ぎょう)」であり、それは己がサバイバル能力の向上や、自然と共に在る事を楽しむものです。

しかし、まだキャンプの経験が少ない茶柱さんはそうもいかず、終始メンタルの具合が悪かったです。例えば、雨の中で火を熾そうとして火種やマッチを濡らしてしまったり、料理を作ろうとしたら大切な食材を忘れてきたり、必要の無いキャンプギアを持ってきて雨と泥で汚したりと、散々でした。

茶柱さんは発達障碍の所為で、原因と結果の因果関係を考察するのが苦手です。また、毒親に見下されてきたので、非常に繊細で傷つき易く、常に自己の内面にばかり気を取られていて、外の世界に関心を持てずにいます。

 

スピリチュアル的に言うと、グラウンディングが出来ていないという事になるのですが、そんな茶柱さんが何らかの行動を起こしても、大抵は失敗に終わります。

キチンと後先を考えず、気持ちだけで先走れば、こうなるのは当然です。しかし、茶柱さんは因果関係を考察するのが苦手なので、何故こうなるのかが理解出来ずに混乱してしまうか、呆然と立ち尽くしてしまうのです。

このようなハンディキャップに理解を示してくれたり、丁寧に指導してくれる人が茶柱さんの側に居たなら、鬱病を患ったり、伊勢菊理に騙される事も無かった筈です。でも、実際には「自分の事が自分で出来ないのか?」と嘲笑したり、侮辱するような奴しか居なかったのです。

 

己を知り、己自身をより良く変えていくのが自己成長のセオリーですが、そもそも「己を知る」事さえ満足に出来ない人間の方が遥かに多いものです。何故なら「己を知る」には、徹底した自己観察を支えるだけの強靭な精神力が必要になるからです。

そしてその精神力を身に付けるには、精神の集中を妨げる要素を排除する事から始めなければなりません。色々な事に関心を持つのは大切ですが、一つ一つの事をキッチリと終わらせて己が糧とし、最後まで残る「自己の存在性」にオールインしなければ、精神力は分散したままです。

精神力を自己と言う一点に集中させるのは大変なので、大抵の人は保身に走ります。つまり、自分の人生に対して言い訳をし始めるのです。その言い訳の一つに「自分はアイツよりマシ」というものがあるのですが、このくだらない優越感が、他人を嘲笑したり侮辱する醜さに直結しているのです。

 

優越感を持つのは悪い事だとか、謙虚になるのが良い事だとは言いません。そうではなくて、人間は優劣や善悪などの分別心に囚われる事なく、とことん自己と向き合って、徹底的に自己の心を観察し尽くすべきだと言いたいのです。と言うか、人間はここまでしなければ、真理に手が届かないのです。

逆を言うと、精神力を自己に全集中させる事が出来るなら、誰でも悟れるという事でもあります。誰の身にもいつか訪れる滅びや死を受け入れて、必要以上に恐れたりしなければ、自ずと成すべき事に集中するようになります。そして、それこそが人の本来あるべき姿なのです。

他人からの心無い言葉や、侮辱、嘲笑を恐れる気持ちは分かるのですが、それを恐れて何もしなければ、滅びや死を受け入れる事も出来ません。ならば、まずは他人が干渉してこない環境を見つけ出し、そこに身を置くべきだと思います。

 

学校や会社などの社会の中で、他者からの干渉を排除するのは困難ですが、自然の中にそのような環境を見つけ出すのは簡単です。とは言え、いきなり自然の直中(ただなか)に身を投じる訳にはいかないので、最初は観光地と化した霊山や、最寄りのキャンプ場から馴らしていくと良いでしょう。

誰も干渉してこない場所で、自分の好きな物や、自分で選んだ物に囲まれながらトライ&エラーを繰り返し、生活力や、サバイバル能力を高めていく。知らない人ばかりの場所で自らと向き合い、己を知る。果たして、それ以上に大切なことなどあるのでしょうか?

成長した自己、変化した自己は、未知の自己です。人間は未知のものに不安を感じるように出来ているので、自己成長と不安はセットになっています。不安に対する緊張感は、我々が成長するのに必要な栄養です。その栄養を拒絶すれば、いつまで経っても成長出来ず、時間だけが過ぎていきます。

 

 

更新情報

悟りについて言うならば、仏教でいう八正道(はっしょうどう)の正見(しょうけん)さえ出来たなら、後は何とでもなります。生きる事の苦しみから、深刻な人生問題の解決、愛情飢餓からの解放、生き方、死に方、死後についても、ほぼ完全な答えを自力で出せるようになります。

悟りとは、全ての終わりであり、新しい始まりです。でも、人は新しい始まりを恐れるように出来ているので、どんなにくだらないものであっても旧来の全てに執着して、手放そうとはしません。

執着心を根こそぎ断ち切るには、物事を正しく観察するしか無いのですが、正見を実践するには相応の覚悟と精神力が要求されます。その覚悟と精神力を養う為に、当サイトでは数々の行法や思想を紹介しているのです。そして観察の妙諦は、下記リンク先の有料記事に集約させてあります。