無気力・無関心を克服するには

内観冥想(サイコダイビング)心の純化

 

職員達との面談では、茶柱さんがADHDとASDの両方の特性を持っていて、感情だけが先走る衝動性と、それを原因とする思考の短絡性が目立つ事、後先を考えて行動するのが苦手な所為で、どうしても他者に依存しがちになるというような事を話しました。

因みに、幼い頃は自らの感情を殆ど抑制できず、思い通りにならない事があると発狂したかのように泣き叫んだりしたそうです。この特性の所為で家族から白い目で見られてしまい、それが未だにトラウマになっているのだとか。

今でもその傾向は残っていて、私がちょっと生活面で注意をしただけで感情的になりますし、その感情が自分自身に向かうと呼吸が乱れて動けなくなったりします。ただ、学校を卒業して会社で働き始めたばかりの頃は、衝動的な部分が表に出る事は無かったそうです。

 

発達障碍だけならまだしも、茶柱さんには酷く無気力で、傷つき易い部分もあります。無気力であるが故に、簡単に人生に絶望してしまいますし、傷つき易いが故に、前向きに生きて行くのが難しいのです。

この精神的な脆さの原因は、幼い頃に家族から受けた虐待にあります。茶柱さんの家族は、茶柱さんの特性に理解を示さず、落胆、罵倒、嘲笑などで返す事が多かったそうです。そのような日常では、誰だって無気力・無関心(アパシー)になるに決まっています。

アパシーになるとストレス耐性が弱くなるので、努力や挫折に耐えられなくなり、人としての成長が止まります。茶柱さんは、そんな自分を変える為に色々な努力をしてきましたが、結局はどれも効果が出なかったし、挙句の果てに伊勢菊理に弱みを握られ、騙されてしまったのです。

 

仏教や神道、または他の秘教や神秘行に関心を持っている人達には、より良い人生を求める気持ちと、地道な努力をするだけの気力が残っている場合が多いのですが、修行の結果としての悟りでは無く、問題解決の方法として悟りを求める人達は、殆どがアパシーの状態にあるものです。

アパシーの状態にある人達は、悟れば二度と生きる苦しみを味わわなくて済むと考える傾向があります。それだけ人生に対して生き辛さを感じていて、もう二度とこんな目に遭いたくないとか、輪廻転生なんか懲り懲りだと考えてしまう所がある訳です。

その思考の根底にあるのは輪廻転生やカルマ(業)という概念に対する不安や恐怖であり、それは外部から得た不確実な情報を真に受け易い「被暗示性の高さ」の証明でもあります。そして被暗示性の高い人は、とても騙され易いのです。

 

また、悟りに関心を持つ人達の中には、悟れば釈迦世尊のような人格者になれるとか、誰もが認めざるを得ない超常的な存在になれると考えている人も居ます。

そういう人達は、本物の覚者なら絶対に自分を傷つける事なく、安全、確実、しかも無償で悟りに導いてくれると考えたり、心の何処かで「自分にはその指導を受ける資格がある」と自惚れていたりします。

何故、そのような歪んだ考えを持つに至るのかと言いますと、被暗示性の高さから宗教やスピリチュアルの教えを額面通りに受け止めたり、そこに属する立場の人達に「あなたは高貴な魂を持っている」などと誉めそやされたりすると、安易に「自分は悟りに近い」と思い込んでしまうからです。

 

しかし、本当に高貴な魂を持っている人は、絶対に自分の人生を投げ出したり、他人の手に委ねたりはしません。どれだけ苦しくても、どれだけ状況が悪くても、常に自分に出来る最善の事を探し求め、それを実現する為に奮闘します。

ですから、マトモな神経を持っている人なら、高貴な魂を持つ人に対して「あれをやれ、これはするな」などとは言えない筈なのです。何故なら、自己に責任を負い、命懸けで戦っている最中の人に干渉するなど、烏滸(おこ)がましいにも程があるからです。

高貴な魂を持つ人とは、言わば「自分の人生の専門家」です。専門家に対して、赤の他人が「こうした方が良いんじゃない?」とか「こういう方法もあるよ?」とアドバイスをするのは、とても失礼な事なのです。

 

逆に「自分の人生の専門家」であるという自負の無い人は、他人からのアドバイスを必要以上に有り難がります。何故なら、自分の立場に寄り添ってくれたとか、助けてくれた、味方してくれたというような、専門家としてのプライドとは全く関係ない「心の飢え」に響いてしまうからです。

心の飢えを抱えている人達に「あなたは何をどうしたいのか?」と尋ねても、まずマトモな答えは返ってきません。何故なら、自分の人生への専門知識が少ないと、自分が何をどうしたいのかも分からないからです。

そして、この虚無性こそが、無気力・無関心の正体なのです。

 

アパシーを克服したいと願うなら、まずは自分自身の虚無性と向き合う必要があります。しかし、自分が無いとか、自己を喪失しているという事実は受け入れ難いものですし、無理に受け入れれば精神が崩壊する危険もあります。

茶柱さんは私との対話により、少しづつ己の虚無性を受け入れ始めていますが、そうなるまでに約一年ほどかかりました。その対話はまるで地雷撤去作業のようなもので、途轍もない慎重さと忍耐が必要でした。

私は同じ作業を自力で行いましたが、当時はノウハウも何も無い手探り状態でしたから、自分で自分に暴言を吐いて「型に嵌める」ような真似をしたり、何度もトラウマと言う名の地雷を踏み抜いたりして、散々な目に遭いました。

 

この作業は、本来なら訓練を受けた精神科医がカウンセリングとして行うべき事だと思うのですが、果たして有効なカウンセリングを行える精神科医が、日本国内に何人居るのでしょうか。と言うか、そのような人材が居ないからこそ、投薬治療の方向に舵を切ったような気がしてなりません。