伊勢神宮と神上(かむあ)がり

2021年神社仏閣巡り, 心の純化

今週の動向

言わずと知れた国内最高クラスのパワースポットである、三重県の伊勢神宮に行ってきました。管理人が最初に伊勢参りをしたのは、前回の式年遷宮が行われた2013年秋の半年後で、その時から私の聖地巡礼・日本一周の旅が始まりました。

式年遷宮とは、20年に一度、8~9年の年月をかけて外宮・内宮の建物を全て建て替え、調度品を全て新調する神事です。この神事を定めたのは、藤原京の構想を練り、古事記・日本書紀の編纂を指示した天武天皇です。

実際に式年遷宮が開始されたのは、天武天皇の皇后(妻)であり、その政策を引き継いだ持統天皇の時代です。中断と延期の記録はあるものの、それ以降の約1300年間、神宮では式年遷宮の神事が継続して行われてきました。

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式年遷宮の歴史が約1300年、外宮(げくう)に豊受大神が御遷座されて約1500年、内宮(ないくう)に天照大神が御遷座されて約2000年と言われていますが、伊勢に御遷座される前は天皇の皇居と共に移転を繰り返したり、各地を点々としていた時期があるようです。

その為、一時的に天照大神が祀られていた「元伊勢」と呼ばれている場所(伝承地)が複数あり、最初の元伊勢は奈良県の大神神社(おおみわ じんじゃ)の摂社・檜原神社(ひばら じんじゃ)と考えられています。

大神神社と檜原神社は神体山・三輪山の麓にあり、檜原神社に天照大神の御神体を御遷座した第10代崇神天皇の皇居・瑞籬宮(みずかきのみや)も三輪山の麓にあります。今では遺跡くらいしか残っていませんが、奈良が日本の中心だった時代もあるんですよねえ・・・。

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外宮・内宮の順に参拝した後、おかげ横丁の赤福本店で、夏季限定の赤福氷(あかふくごおり)をいただきました。赤福本店は五十鈴川の近くにあるのですが、内宮の御手洗場とは違って御神気は全く感じられません。恐らく、宇治橋より下流は俗世という線引きがされているのでしょう。

内宮の五十鈴川を神域たらしめているのは、天照大御神の姉とされる瀧祭神・彌都波能売神(みづはのめのかみ)です。彌都波能売神は奈良県の丹生川上神社・中社の主祭神として祀られている水神で、古来より祈雨止雨を司り、井戸や湧水口の守護神として祀られてきました。

五十鈴川の治水を祈念して瀧祭神として祀られるようになったという事ですが、基本的に河川は瀬織津姫(せおりつひめ)の領域なので、彌都波能売神が祀られている川は珍しいです。

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伊勢参りの帰りに、伊勢参宮街道沿いにある和田金(わだきん)で、名物の「寿(す)き焼き」をいただきました。創業者の松田金兵衛氏は、松阪で生まれて江戸・深川の和田平(わだへい)で修業を積み、1878年に地元で精肉店としての和田金を開業した人物です。

松阪牛(まつさか うし)と言えば和牛の最高峰ですが、和田金は松阪牛肉の元祖であり頂点です。自前の牧場を持ち、全国から最高級の食材を仕入れ、調理用の炭(樫の菊炭)にまでこだわり抜くと言う徹底ぶりは畏敬の念を感じるほどで、客前で調理する仲居さんには試験まで課せられているそうです。

究極や至高の追求は人間性の極みであり、それは如何なるジャンルにも共通しています。その領域にまで到達する人は稀ですが、食に関しては料金を支払えば誰でも最高級の本物を体験する事が出来るので、この特権?を活かさない手は無いと思います。

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原点を知る事と、現時点での最高到達点を知る事は、今後の指針となり得る重要な体験です。逆を言うと、原点と到達点に興味の無い人は指針となるものを求めていないと言う事になりますし、それ即ち、心の底では変化や向上を望んでいないという事です。

生きる事は変わる事ですが、人間のエゴは成長という形で自分自身が変化「する」事を望むのではなく、他人が自分の都合に合わせて変化「させる」事を望みます。それは征服と支配の要求であり、自己中心的かつ幼稚で邪悪な欲求です。

自らの幼児性や邪悪性に嫌悪感を覚えない者は、他人を虐げる事を当然の権利と錯覚しますし、邪悪な他人に虐げられた経験を持つ者は、自己を虐げた者よりも邪悪になろうとします。しかし、自分より上か下かという判断基準で生きているうちは、究極や至高に手が届く筈もありません。

 

神道は八百万の神と共に歩む道であり、仏道は自己もまた神(仏)である事に気づく為の道です。どちらの道も、ちっぽけなエゴの視点や価値判断を越える為の道であり、人間としての上昇経路です。

万有引力の法則ではありませんが、人間としても昇るより落ちる方が楽ですし、単純に生存のみを考えるなら先に落ちた方が有利だったりもするのですが、行き着く先は人間未満・動物以下の中途半端な存在です。まあ、所詮は下降経路に過ぎないので、そうなるのは当たり前ですけどね。

上昇・下降を問わず、人として生きるのは大変です。しかし、自らが歩むべき道を歩んでいるなら、多少大変でも心の迷いや生き辛さは感じません。もし、心の迷いや生き辛さを感じているなら、それは今現在、歩むべき道を間違っているという事です。

 

今からでも歩むべき道を正したいと考えるなら、まずは人間としての原点に立ち返ってみましょう。我々日本人にとっての原点とは、八百万の神と先人の御霊(みたま)と共に歩む道であり、随神道(かんながらのみち)です。

随神道は感謝の道であり、この世、かの世のあらゆる物事に神を観て、畏れ、尊びます。また、優れた先人の功績を学び、伝え、より優れたものを生み出そうと努めます。それ以外に具体的な教義も無く、師と仰ぐ教祖も居ません。何故なら、我々人間もまた神の一柱だからです。

他の神にものを教えるなど烏滸(おこ)がましいにも程がありますし、自己中かつ幼稚な悪神は困りものですが、そのような存在が居るのもまた事実ですから、速やかにお去り頂くように努めるか、自らが立ち去ればそれで良し。悪神と正面からカチ合っても、無駄に被害が拡大するだけです。

 

人間のエゴは、常に「何か」を変えようと目論見ます。口先では世の為、人の為と言いながら、結局は自分の都合で動いていたりするものです。そういった自他の醜いエゴの働きに気づき、理解し、対処していく事で、人は神上(かむあ)がっていきます。

自らが神上がれば上がるほど、細部に宿る善神の働きが見えてくるので、より上を目指そうという気持ちになっていきます。逆に、エゴに飲まれれば飲まれるほど、自分の都合以外は見えなくなり、目に入るもの全てを見下したり、貶(けな)さずには居られなくなっていきます。

上昇は覚醒の道であり、神に還る道です。下降は鈍磨の道であり、弱肉強食の道です。しかし、どちらの道を選ぶかは本人次第であって、他人がとやかく言う事ではありません。

 

 

更新情報

精神世界というジャンルにも、究極や至高を追求した偉大なる先人が存在します。彼らは後進の為に数々のメソッドを遺しており、その中でも夢見術は突出した可能性を秘めています。夢見術を極めれば、八百万の神々や他の高次存在から秘術を伝授して貰う事も夢ではありません。