神仏分離令の悪影響と、日本人としてのアイデンティティについて

2021年神社仏閣巡り, 夢見術, 積極的隠遁

今週の動向

管理人の別サイト「水波の隔て」で長野県の諏訪大社の記事を書いていたら、色々と不備がある時に気づいてしまいました。私が最後に諏訪大社に参拝したのは、まだ一眼ミラーレスを持っていなかった頃なので、大体5~6年ほど前の話になります。

当時は御神気の感覚のみで水神・ミズハノメノカミ関連の聖地巡礼をしていた時期で、無礼は承知の上で正直に言うと、それ以外の御祭神には殆ど興味が無かったんですよ。なので取材も非常に雑であり、長らく歴史や背景などの知識も穴だらけの状態でした。

因みに、諏訪大社は上社(かみしゃ)の二社と下社(しもしゃ)の二社に分かれていて、諏訪湖を挟む形で合計で四社存在します。御祭神はタケミナカタとヤサカトメの夫婦神という事になっていますが、実際には守矢氏の始祖である洩矢神(もれやのかみ)や、土着神・ミシャグジ様を祀っています。

 

ゲームのメガテンシリーズをプレイした事がある人なら、ミシャグジ様という名前に憶えがあると思います。数々の仲魔の中で唯一「様」がついているキャラクターであり、平将門と同様、ゲーム制作中に様々な不具合や怪異を引き起こしたという逸話を持っています。

ミシャグジ様は古来より狩猟と農耕の神として祀られてきましたが、個人的には芦ノ湖の九頭龍や、榛名湖のタカオカミと同じ、大いなる止水の集合意識だと思っています。まあ、四社の拝殿や御柱(おんばしら)よりも、諏訪湖から御神気を感じるので、勝手にそう思っているだけですけど。

また、諏訪大社は拝殿があるのみで、本殿が無いというのは有名な話です。何故なら、代々諏訪氏が世襲してきた大祝(おお ほうり)という最高神職者こそが神の依代(よりしろ)であり、御神体であり、信仰の対象だったからです。

 

ですから、守屋神社と奥宮がある守屋山(もりやさん)や、御狩神事が行われる新旧2つの御射山(いさやま)は神体山ではないですし、御柱も御神体ではありません。因みに、御射山という地名は、ミシャグジ様の名に因んだという俗説もあるようです。

明治維新後に神官の世襲が廃止となり、それに伴って諏訪氏が代々継いできた大祝も廃止されたので、今の諏訪大社には具体的な信仰の対象が存在しません。敢えて悪い言い方をするなら、タケミナカタとヤサカトメの漠然としたイメージを信仰しているような状態なのです。

明治政府の政策により大祝は断絶してしまいましたが、洩矢神の末裔とされる守矢家は現在でも存続しています。しかし、諏訪大社での神官としての役割と、ミシャグジ様に御降臨していただく為の祭祀の方法は失われてしまいました。

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明治維新は歴史の必然でしたが、明治政府が出した神仏分離令は狂気の愚策と断じざるを得ません。何故なら、神道、仏教、道教、儒教などの宗教・哲学が1000年以上の時間をかけて一つになった思想を、適当に分別する事で根底から破壊してしまったからです。

明治政府が打ち出した国家神道の思想は、神道の祭祀王である天皇を神格化して求心力を高め、国民を一致団結させる為のものでした。そうでもしないと欧米列強に対抗できなかったし、仮に日本が欧米諸国の植民地になっていたら、固有の文化や宗教は跡形も無く破壊し尽くされていた事でしょう。

大東亜戦争の敗戦によって日本はアメリカに支配されて、国柄を力づくで「左側」に捻じ曲げられてしまいましたが、個人的には明治政府を牛耳った薩摩(鹿児島)海軍・長州(山口県)陸軍の薩長閥(さっちょうばつ)の悪影響の方が遥かに強かったと考えています。

 

薩長閥の思想を一言で表現すると「命は薄紙一枚」となり、それ故に兵士の死が前提の無茶苦茶な戦略を立てていました。それでも序盤はそこそこ勝てていましたが、人員・物資の不足で戦況が苦しくなってくると「本土決戦」や「一億総玉砕」といった滅びの美学を謳い始めました。

薩長閥の異常な思想は、今もなお体育会系の集団や、ブラック企業におけるデタラメな根性論に変容して生き残っています。そしてこの異常な思想こそが日本人の精神性を破壊し尽くし、結果的に経済の凋落(ちょうらく)を招いた諸悪の根源だと思うのです。

我々が日本人としての帰属意識(アイデンティティ)を復活させるには、薩長閥が国全体にかけた「呪詛」を解き、学校教育やメディアによって現在進行形で上書きされているアメリカ由来のマインドコントロールを克服しなければいけません。

https://ideadragon.tumblr.com/post/659450850712944640/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93%E3%81%AE%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%AF%E8%96%A9%E9%95%B7%E9%96%A5%E3%81%AB%E7%89%9B%E8%80%B3%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%96%B0%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%A8%E6%97%A7%E5%B9%95%E5%BA%9C%E3%81%8C%E6%88%A6%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%88%8A%E8%BE%B0%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E6%88%A6%E6%B2%A1%E8%80%85

 

 

我々は日本人であり、日本という国家に帰属すべき存在です。国家とは即ち郷土・郷里の集合体であり、郷土・郷里は代々人が住んできた所です。人は自然の恵みによって生かされていて、我々の先祖はその恵みに神を見出しました。

つまる所、日本人とは八百万の神々を崇敬し、共に生きる随神道(かんながらのみち)を歩む民族なのです。そして随神道、即ち神道(しんとう)の姿には豊かな地域性があり、その地域性を受け入れる大らかさがあります。

そして、この大らかさが日本人の特徴であり、我々が決して失ってはならない貴重な文化だと思うのです。

 

神に和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)があるように、物事には功罪の両面があるものです。その両面を等しく見ていけば、片方だけが正しいとは言い切れなくなります。

例えば、右翼的な思想と左翼的な思想があるとして、「そう見做(みな)す事も出来る」という意味ではどちらも正しいものの、その観点からすれば「どちらが正しいのか?」と考える事自体がバカげています。

右にも左にも答えは無く、全ての見解は「そう見做す事も出来る」程度のものでしか無いというのが真理であるからこそ、仏教は「もの皆、空(くう)なり」と説くのです。そしてこれが分かった人には、あらゆる呪詛とマインドコントロールが無効になります。

 

しかし、人間は「決めつけ」が大好きな生き物なので、世の中に「どちらでも有り、どちらでも無し」のスタンスが浸透する事は無いですし、法律は双方にとって公平でなければならないので、法治国家に優しさは期待出来ません。そういう意味では、儒教のような道徳も必要と考える事も出来ます。

ただし、道徳は絶対的な価値観には成り得ず、地域や国家によっては真逆の道徳も存在するので、双方の道徳との折り合いがつけられない場合は闘争に発展する事があります。これは道徳の宿命であり、永遠の課題です。

神や皇帝といった権威のもとに唯一絶対の道徳を取り決め、その価値観で世界中を塗り潰すという手もありますが、未だかつて成功した例はありませんし、今後も上手く行く事は無いでしょう。畢竟、人間社会の本質はカオスであり、あらゆる価値観の叩き台であるという事です。

 

断言しますが、いくら国家を挙げて神仏を尊ぼうとも、人間社会は理想郷や仏国土には成り得ません。だからこそ、当サイトでは積極的隠遁という厭世的な価値観を説いているのです。

しかし、我々は先人が遺した各種メソッドによって神上(かむあ)がる事は出来ますし、それは人としての生において唯一やる価値のある事です。

人間は自他のエゴや、そのエゴが生みだした価値観に翻弄されるだけの無様な生物ですが、その肉体が秘めているポテンシャルだけは高いのです。であるならば、やる事は一つしか無いとは思いませんか?

 

 

更新情報

カテゴリ・各種メソッドと、そのリンク先であるnoteの有料記事「明晰夢と夢見の技法」を更新(Ver1.3)しました。行法の内容に変更はありませんが、説明文の修正と体験談の加筆をしたので、以前よりも話が分かり易くなっていると思います。

既に記事を購入されている方の所には、メールで記事更新の通知が届いている筈なので、よろしければ更新の内容をチェックしてください。更新通知をOFFにしている方も居られるでしょうから、こちらでもご報告をさせていただきました。

当サイトとしては神社仏閣巡りと夢見術はセットであり、ストレスフルで忙し過ぎる日々を送る現代人にとって、最適かつ必要不可欠な行法であるという見解に至ったので、今後は積極的に夢見術関連の情報提供をしていきます。

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