konsenさんの場合

2020年5月28日無師独悟の道程

 

私が預流果に悟った?のは20年ほど前のことです。平成の元号の発案者である安岡正篤先生の著書を読んでいた時でした。安岡先生は全国師友協会という啓蒙活動をされていました。先生が亡くなられた後、この組織をどうするかでお弟子さん達が集まって話しあわれたそうです。

その中で先生の側近の方がこうおっしゃいました。「先生は生前よくこのようにおっしゃっていた。『僕(安岡先生のこと)を名目に無理な事をしてはいけない。すべては消えてゆくそれでいいんだよ』と」

私はこの 『すべては消えてゆくそれでいいんだよ』を目にした時、心の中で「あっ、消えていいんだ」と妙に納得した気持ちになり、次の瞬間本当にすべてが消えました。

 

ほんの一瞬の出来事でした。預流果という言葉は知っていたので、預流果になったと勝手に思い喜びました。特に悟りの歓喜も神秘体験もありませんでした。ただ一つ貴重な体験は、すべてが消えた後、右目の眼球からカサブタみたいなものが、ハラリと剥がれ落ちました。

不思議な事に眼球から剥がれる物理的感覚が伝わってきたんです。「目からウロコ…」と言いますが、言葉のアヤで無く、本当にウロコがあるんだと実感させられました。

こちらのブログ(※当サイトの前身、思竜庵の事)には2度知恵を授けて頂きました。御礼の気持ちを込めて書かせていただきました。次回は一来果?のことを書かせていただきます。

 


 

前回の続きです。

幾百幾千の生涯を彷徨っていた私が、後七回人間界に生まれれば阿羅漢果ということなので、それで十分満足でした。一来は遥か彼方に思えましたので。ところで、私が仏縁を頂けたのは13歳の時で、この世の不条理に疑問を持ったのがきっかけでした。美しい人醜いひと。幸せな人不幸な人、恵まれた人不遇な人などなど。

後に業報思想に触れて、この世の様々な差別を理解することになりましたが、当時の私は、世の中が悪いと考えていました。そんな折、イランに革命が起こり私は革命を思いたったのです。ただ私の革命は頭脳の革命でした。

10%位しか使われてない脳をフル回転させれば、高度に発達した人になり、そんな人が多くなって高度な人類社会になるんではないかと大真面目に考えました。そこで、脳を開発するやり方を求めて行き着いたのは求聞持聡明法でした。これを教えるという教団で、期せずして阿含経やらブッタの教えである原始仏教を知ることになった訳です。

 

30歳過ぎに自分の無能さを知り、求聞持聡明法は諦め教団を辞めました。預流果の体験はこれより3年位前に起きていたことです。これ以後はどこの教団やグループにも入らず、スッタニパータの犀の角を拠り所に生きてきました。人生において特にやりたいことも他になかったし、小悟を得て十分満足でしたので、まさに社会の底辺で気楽に生活していました。

突然の転機は一昨年のことです。職場の人間関係でえらく辛い思いをすることが起きました。今にして思えば、どーって事のないことなんですが、当時の私はまさに地獄の苦しみでした。何で預流果の私がこんなに苦しむのかと疑問に思いました。

この時まで悟りの勉強はほとんどしておらず、悟れば苦脳はないと思っていましたので。ネットで「預流果」をキーワードにググリました。

 

すぐにこちらのブログを訪ねることが出来まして、記事を幾つか読んで、清濁様が悟り人であることは、時間がかからずわかりました。その後は、記事やQ&Aサイトの返答を乱読して2つのことを知りました。

一つは、一来は苦悩の原因を探る、迷苦の因縁を求めるということと、ウィパーサナ瞑想でした。他の方のブログですが、上座部の解釈で「一来向のためにウィパーサナを開始する…」というのも知って、自分は一来向へ歩み始めたと思いました。

苦しみの場である職場は辞め、苦悩から解放された私はウィパーサナに取り組みました。ある日、ウィパーサナ瞑想をしていたのですが、その頃ネットで知ったワンネスやら実相無とはどんなものだろうかと、つらつらと妄想になっていました。

 

 

そんな時、指の先の先が何かに触れたイメージがおこりました。私の中にドバドバと入って来たと同時に、私が何か領域に沈み込んで消えました。一瞬のことでしたが無我の境地でした。後で気づいたのですが、この時のことが入我我入ではなかったかと。

預流果の時は、全ては消えましたが自分が消えた思いは特にありませんでした。しかし今回は、はっきりと自分は消えました。

なんだか般若心経が読みたくなり、ネットで直訳したのを見たら、 般若心経が理解出来るんです。縁起も四諦も悟りすらないということがわかるんです。おかしいのが意訳が全て間違ってるんです。直訳が合ってるのに意訳してるのが変なんですね

 

よく水は冷やせば氷となり、熱すれば水蒸気となる。この事から縁によって実体が変わるから実相はなく空としてるんですが、そもそも水や氷や水蒸気なんか空の世界には無いんです。悟りすら無いんですから。

2度目の無常無我の体験なので、勝手に一来果になったと喜びました。神秘体験はありませんでした。今は死んだら兜率天に行って、弥勒仏様からありがたい教えを聞くことを楽しみに生きてます。

もし私のお悟りが偽物なら、また迷いの生涯を続けるだけです。ただ次の生涯もブッタの教えに巡り逢えるなら、迷いの中でも救われると本気で思っています。

 

 


 

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2020年5月28日無師独悟の道程

Posted by 清濁 思龍