風飡水宿と毒親サバイバル

2021年漆器, 風飡水宿(キャンプ), 積極的隠遁, 毒親サバイバル

今週の動向

やっとコロナウィルスによる緊急事態宣言が解除されたので、久々に風飡水宿ノ行をしてきました。今回はデイキャンプだったので、使うギアは必要最小限に留めるつもりだったのですが、久々のキャンプなので、どうしても焚火缶を使いたくなってしまいました。

まずはタープを張って日陰を作り、昼飯は小型焚火台と飯チン(めしちん)でグラタンを作りました。残念ながらチーズに焼き目をつける事は出来ませんでしたが、まあまあ美味しく出来ました。デイだと帰りの運転があるので酒は飲めませんが、脱アルコール・ビールのヴェリタスブロイならOKです。

撤収する前に蚊帳を吊って、後日行うタープ泊のテストをしました。まだ残暑が厳しい所為か、タープと蚊帳だけでも汗だくになってしまい、翌日は疲労でダウンしてしまいました。ってか、10月ってこんなに暑かったですかね?

https://ideadragon.tumblr.com/post/664164295124402176/%E3%81%B2%E3%81%A3%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%B6%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F-%E4%B8%80%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E3%81%BE%E3%81%9A%E3%81%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%92%E5%BC%B5%E3%82%8B-%E4%BA%8C%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E6%8C%81%E3%81%A1%E7%89%A9%E3%81%AF%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%91

 

 

いつものまとめ動画を作成しました。3分程度の短い動画なので、よろしければ見てやってください。

 

 

別の日に、信玄弁当箱の実物に触れてみたくなり、京都の漆器屋を巡ってみました。そして「漆器の井助」で両方の椀に高台がついている理想のブツを発見したので、二秒で購入しました。井助ではもう信玄弁当を作る予定は無いので、複数の人が電話で注文して復刻を狙うしかありません。

https://ideadragon.tumblr.com/post/664520506800783360/%E9%AB%98%E5%BA%A6%E3%81%AA%E6%BC%86%E5%99%A8%E3%81%AE%E6%8A%80%E8%A1%93%E3%81%8C%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A4%E3%81%A4%E3%81%82%E3%82%8B%E4%BF%A1%E7%8E%84%E5%BC%81%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%8A%80%E8%A1%93

 

 

毒親サバイバル

歌舞伎町「トー横」界隈にたむろする若者達の実像(東洋経済オンライン)という記事を読みました。何時の時代でも家出する少年少女は居るものですが、今は日本経済が全体的に衰退している所為か、路上でタムロするしか無いのかなぁと思いました。

因みにトー横とは、新宿歌舞伎町にある「東宝シネマズの横」の略称です。ここはかつてヤクザが仕切る大衆芸能の殿堂「新宿コマ劇場」があった場所で、その当時から待ち合わせの定番であり、行き場の無い人達が集まる場所だったようです。

色々と気になったので調べてみると、所謂「トー横キッズ」達の平均年齢は12~20代で、集団の規模は数百人にもなるそうです。キッズ達の多くは複雑な家庭環境に育ったか、不登校やイジメにより「生き辛さ」を感じているとの事でした。

 

キッズ達が集団化したのはSNSの影響が大きいようで、最初はトー横で自撮りする女子と、それに目を付けたスカウトの集まりから始まって、次第に自撮り女子とリアルで交流する事が出来る場所として有名になり、それが集団で路上飲みをする場所に変化していったようです。

集団化した事で「トー横界隈」というマスな形での発信になっていき、それがSNSのインフルエンサーや都会に憧れる地方の若者を呼び込み、挙句の果てに無法地帯と化して薬物や自殺が横行して収拾がつかなくなり、とうとう一斉排除の動きになったという感じです。

暴対法が成立する前は、困っている時にヤクザが飯を食わせてくれたり、手配師に声をかけられて日雇いの仕事にありつくといった「縦の繋がり」による美談があったようですが、現在のトー横にも出会った者同士で助け合う「横の繋がり」があるそうです。

 

世の中には、ルールを守る事自体に息苦しさを感じるタイプの人間や、嘘と暴力で成り立つ裏社会でしか生きられないタイプの人間も居るので、無法地帯の発生を完全に抑制する事は出来ません。

それがどのような形であっても、無法者と関われば裏社会の闇に飲まれる事になりますし、深く飲まれれば飲まれるほどに一般社会への復帰は困難になっていきます。何故なら、裏社会には裏社会なりの魅力や美談があるからです。

無法者は無法者同士で集まってコロニーを作りますが、そのコロニーは「勝てば良かろう」的な弱肉強食の掟と、自分を強く見せる為の嘘やハッタリが横行する社会の底辺です。そんな環境では、人間としての真っ当な社会性が身に付く訳がありません。

 

ある意味、当然の成り行きとも言えますが、底辺コロニーには「夜回り組長」として有名になった石原伸司のように、家出少女の体を目当てに手を差し伸べる犯罪者も入ってきます。少し前に茶柱さんを騒音問題で苦しめた男性も、地雷系ファッションの少女を囲っていたそうです。

無法者は他人を情で支配し、犯罪の片棒を担がせて共犯者に仕立てる事で、逃げ道を断とうとしてきます。無法者から見れば、女性は自分で抱いて良し、体を金に変えて良しの便利な商品ですから、そう簡単には逃がさないし、底辺から這い上がらせようともしません。

女性の側も、夜の仕事で大金を稼く術を身に付けると、その後は地道に働くのがバカらしくなると言います。畢竟、底辺コロニーで成功したり、コロニーを拡大させたりする事に意味は無く、大切なのは底辺に落ちないように踏ん張ったり、落ちたら落ちたですぐに這い上がる為の努力をする事なのです。

 

 

底辺はサード・プレイスに成り得ない

「ホストや風俗も立派な仕事」という価値観が浸透した所為か、近年ではホストに会いたいという理由で歌舞伎町に行く人が増えているそうです。稼げるホストはギラギラとした活気のある世界の中で、バリバリ大金を稼いで自信満々に生きているように見えるので、つい憧れてしまう人も多いみたいです。

しかし、成功するホストなど一握りですし、その成功も複数の女性から金銭を搾取する事で成り立っています。ホスト側は「女性への癒し」を口にしていますが、その僅かな癒しを得る為に全財産を差し出して破滅する女性もいるのです。

騒音加害者の男性が囲っている地雷系の少女にしても、最初は男性と一緒になって一晩中騒いでいたのですが、騒音の苦情を機に自分達が迷惑な存在でしかないと気づいたらしく、罪悪感から精神を病んでしまったと聞いています。

 

個人的には、トー横などの底辺コロニーにサード・プレイスを見出すのは間違いだと思っています。それは宗教やスピリチュアルの世界にも言える事なのですが、何処かに居場所を求める事自体が、そもそも間違いなのです。

何故なら、我々の居場所は「いまここ」であり、それ以外には無いからです。

例え楽しみが少なく、何もかもが思い通りにならなかったとしても、今、この瞬間を全力で生きるより他は無し。そう覚悟を決めたなら、後はなるに任せるしかない。人生とは、ただそれだけの事なのです。

 

「そんなのつまらない」と思う人は多いでしょうし、毒親、毒教師、毒上司に虐げられて地獄を味わっている最中なのに、今この瞬間に集中する事など出来ないと嘆く人も居るでしょう。でも、そうなものは仕方が無いじゃないですか。

人間社会など、所詮は虚構です。本当に必要な仕事は少なく、生きる為に止むを得ず、無意味な仕事をしている人が殆どです。そんな虚しさを抱えて生きる大人達が、家庭に恵まれなかった子供達にしてあげられる事は無く、国の福祉政策もアテにはなりません。

私自身も機能不全家族の出身なので、親ガチャでハズレを引いた人の気持ちは分かるつもりです。実の両親から毎日ちょっとした事で怒鳴られたり、嘲笑されたり、問答無用で「出て行け」と言われる辛さは、それを経験した者にしか分からないと思います。

 

ある意味、毒親持ちが苦労するのは当たり前です。それについては「そういう運命だ」としか言えませんし、その理不尽な運命を受け入れて「いまここ」に集中するしかありません。何故なら、いくら嘆いても運命は変わらず、時間が過ぎていくだけだからです。

残酷で理不尽な運命を受け入れるのは簡単ではありませんが、決して不可能ではありません。悩み、嘆き、もがき苦しみ、その末に「自分なりの答え」を出す事で、我々は自分の運命を受け入れるだけの準備が整います。

そして「自分なりの答え」を出すには、周囲からのノイズが少ない孤絶した環境に身を置く方が良いのです。人生には独りで居なければならない時期と、独りで居てはいけない時期があり、そのタイミングを見極める力を養い、自分の責任で判断する必要があるのです。

 

「苦悩の末に孤独を受け入れる」という試練を乗り越えなければ、毒親持ちが大人になる事は出来ません。似た者同士で馴れ合っていれば、一時的に孤独を忘れる事が出来るかも知れませんが、それは大人になるチャンスを逃す事にもなりかねません。

孤独に徹するべき時期は、学びの時期でもあります。優れた先人の名著を読み、それを参考に自分で考え、トライ&エラーを繰り返して、腑に落とす。学びの道はこれしかないですし、それは若い時に経験しておくべき事でもあります。

何もかも自分でやれとは言いません。何かにつけて他人を頼れとも言いません。何故なら、あなたの人生における正解は、あなた自身にしか分からないからです。夜の世界で働いたり、生活保護を受ける事で人生を立て直す人が居るかと思えば、逆に身を持ち崩す人も居ます。正解は誰にも分かりません。

 

 

犀の角のようにただ独り歩め

今ではこんな事を言うようになった私自身も、若い頃はオンライン・ゲームの世界にサード・プレイスを求めたり、酒を通じてサード・プレイス的な場所を作ろうなどと考えていた時期があります。でも、そのトンチンカンな目論見が破綻したのは、私にとって幸運でした。

私はコミュ障で良かった。ボッチで良かった。もし仲間を作るのが上手かったら、自分で作った人間関係に振り回されて、己の世界観を熟成させる事は出来なかったでしょう。

仲間に囲まれる人生が悪いとは言いませんが、少なくとも私にはその生き方は合っていないし、やろうにも出来ませんでした。何故なら、生まれ育ちが普通では無いからです。私の人生は発達障害と毒親持ちの運命であり、その運命を生きるしかなかったのです。

 

私は私であり、私以外の誰にも成れないし、成る意味もありません。だから私は私を全うするべく、今後も私なりの人生を切り拓いていきます。もし人生の開拓に失敗して早死にしても、それは前向きな挑戦の結果ですから、後悔など全くありません。

でも、こんな人生であっても、自己を生きるのは楽しいものです。例え発達&毒親の二大ハンデを背負った上に、中年・独身・低収入の三拍子が揃っていても、キチンと自分らしく生きているなら、大いに人生を楽しめるのです。

「止まない雨は無い」と言いますが、無気力に雨が止むのを待っていたり、ずぶ濡れ同士で慰め合ったり、雨に打たれても平気でいられる強者になろうとする事には意味がありません。何故なら、我々は「雨が降っていない所」に行く事も出来るからです。

 

そして、その「雨が降っていない所」は、己の心の中にこそあるのです。人間社会は雨どころか火宅であり、人類の地球上における役割はトリックスターやトラブルメーカー以外の何物でもありません。何故なら、それが人が持つエゴの基本設計だからです。

トー横キッズに限らず、毒親持ちに特有の「生き辛さ」は、社会の仕組みを変える事では解消しません。何故なら、いくら法律を整備しても、エゴの基本設計までは変えられないからです。

エゴの基本設計を変えられないという事は、いくら教育や福祉を充実させても、諸悪の根源である毒親、毒教師、毒上司を根絶させられないという事でもあります。それと同じ理由で、無法者や犯罪者を根絶させる事も出来ません。

 

我々毒親持ちは、自己観察と他者との交流によってエゴの仕組みを知り、世の中には理不尽な部分があると思いつつも社会性を身に付け、経済的な自立を果たして自分だけの安全地帯を確保し、そこで密かに自分で自分を育て直さなければなりません。

嫌な言い方になりますが、社会に対しては面従腹背(めんじゅうふくはい)で良いんですよ。毒親が嫌だと言って衝動的に家出をするより、高校を卒業するまでは表面的にでも従う方が利口ですし、どのみち堪え性(こらえしょう)が無いと社会に出ても長続きしません。

そして働きながら準備を整えて、時が来たら世の中なんぞは捨て去れば良いのです。私は40代半ばで隠遁生活に入りましたが、もっと早く遁世(とんせい)と言う道があると知っていたら、もっと上手く、もっと軽やかに会社員時代を乗り切れたと思っています。

 

ただ、自我の強度が低いと面従腹背を貫けず、つい楽な方に流されたり、無法者との戦いで屈服する羽目になるので、やはり最後は坐禅か675問題の話になってしまいますね。