タープ泊と経典の誦し方について

2021年神社仏閣巡り, 風飡水宿(キャンプ), 観想

今週の動向

奈良県の藤原京跡でコスモスを撮影してきました。素晴らしい景観だとは聞いていましたが、実際にこんなに広い範囲でコスモスが咲き乱れているとは思いませんでした。平城京とは違って建物はありませんが、春に菜の花、夏に蓮、秋にコスモスが見られるのは良いですね。

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別の日に、以前から狙っていた河原の砂地にタープを張って蚊帳を吊り、念願のタープ泊をしてきました。これで管理人の風飡水宿ノ行(ふうさんすいしゅくのぎょう)も一歩前進した事になります。

テント泊と比べて、タープ泊は要求される知識と技術が多いので、キャンプとしてはやや難しい部類に入ります。しかし、私は近い将来、野宿前提の徒遍路(かちへんろ)や霊山登山をするつもりなので、どうしてもタープ泊のスキルを磨いておく必要があるのです。

野宿をする際に、登山用の軽量小型テントを使用すると言う手もありますし、実際に野宿をしている時の写真も見ましたが、正直、悪目立ちが過ぎると思いました。いくら四国にお遍路が根付いていると言っても、公園や橋の下でテントを張るのは問題がありますよ・・・。

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基本的に私のキャンプ・スタイルはミニマムな方だとは思いますが、今回のタープ泊は野宿遍路の際に持っていけないギアを複数使っているので、私の中ではグランピング(グラマラス・キャンピング)の部類に入ります。

タープとポールとロープとペグとハンマー、シュラフと蚊帳とマットとグランドシートは必需品ですが、鉄製の二段棚と椅子は持っていけませんし、リキッド・キャンドルを入れたチムニー・ランタンもサイズ的に厳しいです。

そもそもお遍路に薪や手斧(ちょうな)なんか持って行ける訳が無いですし、そうなれば焚火台も不要です。焚火をしないなら焚火缶や飯チンやトライポッドは無い方が良いですし、出来ればタープ用のポールも4本ではなく2本で済ませたいと思っています。

 

そのあたりの取捨選択が出来ていないという事は、まだまだ私の行が足りていないと言う事です。それにまだハンモックで一晩熟睡する事も出来るようになっていないので、今以上に励まなければなりません。

また、この日は強風が吹き荒れていたので、タープが風に煽られて何度もペグが抜けてしまい、何度も張り直す羽目になりました。最終的に大きな石にロープを巻き付けてタープを安定させましたが、そのアイディアを捻り出すまでに時間がかかり過ぎて疲れました。これもまた経験不足が原因です。

他にも課題はありました。小型の焚火台を使う為に、手斧で松材を細く割ったのですが、松は杉材とは違って火力が弱い事を忘れていた所為で、何度も焚火が消えてしまいました。暗い中で再び火を熾すのは難しいので、チムニー・ランタンの火で松材を燃やしましたが、LEDランタンだけだったら料理を作れなかった可能性が高いです。

 

今回は非常に学ぶべき事の多いキャンプでしたが、それでも私としてはとても楽しかったです。今回はまとめ動画を作成していませんが、その代わり40分間、焚火だけを撮影した動画をUPしました。一応、般若心経を誦(しょう)しながら薪をくべていますが、私の声は聞こえないようにしてあります。

坐禅やトラタカ冥想のお供にどうぞ。

 

 

お経の誦し方について

ついでにお経の上げ方についての話をしておきます。お経とは釈迦世尊が残した八万四千(はちまんしせん)の経典群の事を言うのですが、実をいうと釈迦直筆の経典はこの世に一つも存在しません。何故なら、釈迦族が用いた「パーリ」という言語には、そもそも文字が無いからです。

昔は識字率が低かったので、記録すべき事を口伝の詩(うた)として残す文化がありました。それが「パーリ聖典」として現代にまで伝わっている訳です。そしてこのパーリを誦する時は、歌を歌う時のように若干の抑揚が付け加えられます。

抑揚が付けられた理由は定かではありませんが、全くの棒読みだと憶えにくいからだとか、途中で何処まで誦したか分からなくなるのを防ぐ為だと言う説があるようです。また、抑揚の付け方は宗派によって違うので、お経の誦し方で宗派が分かると言うメリットもあります。

 

釈迦世尊は直筆の経典を遺していないし、経典の誦し方についても言及していません。パーリ聖典や後世の仏弟子達が書き残した大乗経典にしても、宗派によって抑揚の付け方が違います。ですから、お経の「正しい誦し方」というものは、初めから存在しないのです。

霊能者の中には「抑揚の付け方が正確でなければ、お経を読んでも効果が無い」と主張する人達が居ます。確かに抑揚の付け方が正確であれば、連綿と続く仏教宗派の法脈という「威」を借る事なら出来るでしょう。

昔の人達は信心深かったので、神仏の「威」に逆らう事などは出来ませんでした。また、昔の寺院の権勢は凄まじかったので、その宗派に属している事を匂わせるだけでも十分な牽制になりました。でも、科学が信仰に取って代わり、寺社が権勢を失った現代においては、殆ど意味がありません。

 

現代人の我々が経を誦する際に問われるのは、キチンと「観想(かんそう)」が出来ているか否かです。観想とは要するにイメージの事なのですが、例えばキチンと観想の修行を積んだ行者が観無量寿経を誦すると、それを聞く者に浄土のイメージを伝えられると言う話があります。

私も焚火の前なら不動明王を観想しつつ呪を唱えるべきではないかと考えましたが、真言を唱えるのは慣れていないし、不動明王を観想しようにも発達障害の所為でイメージそのものが出来ません。

なので、少しでも伝わるものがあれば良いなと願いを込めつつ、般若心経の意味や、あるがままの空(くう)なる世界を観想しながら、小声で読経をさせていただきました。観想の行については伝えたい事が割とあるので、機会があればまた関連記事を書きます。

 

因みに、浄土宗や真宗が行ずるのは口称念仏・専修念仏であって、阿弥陀仏や浄土をイメージしながら念仏を唱える観想念仏(かんそうねんぶつ)ではありません。ですから、彼の宗派の僧侶の読経を聴いても何も伝わらないとか、何のイメージも伝わってこない、などとは思わないようにしてください。

 

 

木曽御嶽山と諏訪大社へ

来週は久しぶりに遠出します。実際にどうするかは分かりませんが、今の所、建部大社→多賀大社→南宮大社→御嶽神社登拝→諏訪大社四社→御射山神社というコースを考えています。出来れば帰りに愛知県の輝東寺や真清田神社、伊奈波神社三社にも参拝したいものです。

諏訪大社には何度も参拝しているので問題ありませんが、御嶽山は初めて行くので勝手が分からない上に、標高3000m級の本格的な登山になります。また、先日に阿蘇山が噴火した事もあって、2014年に噴火して多数の犠牲者を出している御嶽山に登るのは、正直ちょっと恐いです。

日程や天候、もしくは体力的に厳しいようなら今回は奥宮登拝を諦めるかも知れませんが、それも行ってみなければ分かりません。ともあれ、久し振りに御柱守りを身につけて、旅を楽しんできます。