玉置神社と風飡水宿
今週の動向
熊野三山の奥宮と言われる奈良県の玉置神社に行ってきました。最近は強力なパワースポットとして人気があるようで、複数の霊能系YOUTUBERが関連動画をUPしています。管理人が本殿に参拝した時も、神道系の霊能者らしき人物が境内で祝詞を奏上している所に出くわしました。
玉置神社に参拝した後、仙人風呂で有名な川湯温泉の田辺川湯キャンプ場でテント泊をしました。この日の為にサーマレスト・マットを購入しておいたのですが、高額商品だけあって抜群の寝心地でした。翌日に玉置山の登山を予定していたので、今回は動画の撮影を行いませんでした。
翌日、キャンプ場を出て熊野本宮大社に参拝してから、再び玉置神社に向かいました。前日とは別のルートを通って本殿に参拝した後、玉置山の山頂を目指しました。その途中にある玉石社で、複数人に囲まれつつ祝詞を奏上している霊能者と遭遇しました。
・・・でもまあ、私も茶柱さんを連れていたから、似たようなもんか(汗)
「呼ばれないと行けない」という噂について
玉置神社は「御祭神に呼ばれないと辿り着けない」と噂されている神社の一つです。何故そのような噂されているのかは分かりませんが、標高1000mの山奥にある事から一般の神社仏閣よりもトラブルに見舞われる確率が高いのは確かです。
幸い、私は何のトラブルも無く参拝する事が出来ましたが、これだけ道が険しければ辿りつけなかった人も多いだろうなと思います。天候はもちろん、体調、食事、トイレなどの問題もあるので、参拝を諦めざるを得ない状況になる事は十分に考えられます。
また、玉置神社行きの公共交通機関は存在しないので、自家用車かバイク、もしくはバスツアーを利用するしかありません。一応、自転車という手もありますけど、かなり無理があります。この参拝までの敷居の高さが、呼ばれないと辿り着けないという噂を呼んだのかも知れません。
個人的には「玉置神社には霊的な階層があり、高次の階層には呼ばれないと行けない」という噂がある事に驚きました。流石にそれは無いだろうと思いましたが、気になったら確かめずに居られないのが私の性分です。
余計な知識があると先入観に惑わされてしまうので、今回は敢えて情報を仕入れない状態のまま現地に向かいました。そして私なりに「呼ばれないと行けない」という噂について考えてみました。
考えた事については後で説明するとして、まずは帰宅後に調べた熊野信仰や玉置神社についての説明から始めたいと思います。
熊野信仰と神奈備信仰について
熊野は国生みの陰陽夫婦神・伊弉冉命(いざなみのみこと)が葬られた霊地であり、熊野修験道は熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)の熊野三山を中心とする山岳信仰の体系です。
修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)は、奈良県吉野山・金峯山寺(きんぷせんじ)を開山し、熊野三山と縦に結ぶ大峯奥駈道(おおみね おくがけみち)を開きました。奥駈道は修行場そのものであり、熊野古道(くまのこどう)の中で最も険しく、最も神聖な道です。
奥駈道には75ヵ所の靡(なびき)と呼ばれる霊場があり、熊野本宮大社から金峯山寺に向かう事を順峯(じゅんぷ)と言います。玉置神社は順峯の第10靡に数えられており、紀元前33年に創建された熊野本宮大社とほぼ同時期に創建されたと言い伝えられています。
玉置神社の社伝では、神武天皇が東征により熊野から奈良に向かう際に、八咫烏(やたがらす)の案内で十種神宝(とくさのかんだから)を奉納し、安全を祈願した事が霊地としての始まりと伝わっています。
修験道の開祖である役小角は仏教公伝後の8世紀頃の人物ですが、玉置神社がある玉置山(たまきさん)は修験道が興る前から霊地と見做されていた事になります。
また、昔の神道(古神道)は神奈備信仰(かんなびしんこう)ですから、修験道の聖地となる前の玉置神社は、拝殿のみで本殿は存在しなかった筈です。
恐らく玉置山では、遥か昔から山の神~白山社間の巨大な磐座を御神体として崇拝していたのでしょう。玉置神社の「玉置」という社名にしても、磐座を構成する「枕状溶岩」が重なり合って、玉を重ねて置いたように見える所があるから、その名がつけられたという説があります。
また、修験道の行者は本殿よりも先に玉石社に参拝するそうですが、その慣習は役小角が奥駈道を開く前のルートに由来していると思います。
神武天皇は東征の折に和歌山から奈良に向かって北上しましたが、そのルート上に玉石社があり、当時から信仰の対象になっていた磐座の方向に向かって祈願をしたと考えるのが自然です。
実際に私が参拝した時は、山の神の先にある参道の分かれ道に入った所で、胸を射抜かれるような鋭い御神気を感じました。そして翌日に白山社がある方の参道を歩いた時に、霊的な階層云々についての謎が解けたような気がしました。
私的な解釈
オカルティックかつ感覚的な話になるので、へー、そんなもんかなー、くらいに受け止めてもらいたいのですが、霊的な階層云々については、それを言い始めた者が己の霊感か、御神気についての解釈を間違えたのではないかと思います。
同じ日に一緒に参拝しに行ったのに、人によって御神気を感じたり、感じなかったりする事は良くあります。例えば、私が御神気を感じた場所に、茶柱さんが行っても何も感じないという事は普通にありますし、御神気を感じないから呼ばれていないと考えるのも早計です。
そもそも玉置山の磐座に降臨する神霊は、天狗や龍神よりも高次の存在だと思いますし、我々が山中に生きる蟻の一匹一匹を識別しようとは思わないのと同じように、高次存在が人間如きを選り好みしたり、呼んだり呼ばなかったりする事もありません。
ただ、他の人間とは違う動きを見せた場合は、神霊の関心を引く事もあります。言うならば「おお、コヤツはここに関心を示しおったか!」みたいな感じにね。ですから、神社仏閣の歴史に興味を持っている人や、御神気を感じられる人は、少しだけ目を掛けて貰える可能性があります。
では、私自身はどうだったのかと言いますと、玉置神社参拝を機に熊野修験と大峯奥駈道に興味を持ち、是非とも奥駈道を踏破してみたいと思うようになりました(笑) おかげさまで、我が風飡水宿ノ行は更なる深みを得ましたよ。
しかし、生駒山に参拝してからの短い期間で、玉置神社にまで参拝するようになるとは思いもしませんでした。自分の人生なのに先が全く読めなくて何となくアレな感じですけど、これも人生の醍醐味と考える事にしますかね。
更新情報
風飡水宿・その壱を更新しました。今回の和歌山キャンプで、ソロキャンのグランドシートはオールウェザー・ブランケット一択であると確信しました。スリーピングマットに関しては、エアマットよりもサーマレストの方に傾きつつあるものの、まだ結論は出ていない状態です。