雨のキャンプと、自分の道について

2021年発達障碍, 風飡水宿(キャンプ), 内観冥想(サイコダイビング)

今週の動向

週の始めに雨が降ったので、いつものキャンプ場に行きました。何というか、我ながら頭悪過ぎる文章で呆れてしまいますが、要は雨でもキャンプを楽しめるようになったかを確かめてみたかったのです。

今の所、二つ折りにしたタープを敷いて、ポールを立てるべき所に目印としてペグを打ち、直角三角形状にロープを張り、自在金具でロープを伸ばしながらポールを立てて、立てたポールが倒れないようにタープを引っ張りながら、もう片方のポールを立てるというやり方をしています。

言葉で説明すると解り難いですけど、実際にやってみると簡単です。管理人はこのやり方をマスターしてから雨の中でも約10分ほどでタープを張れるようになり、茶柱さんも一人でタープを張れるようになりました。

https://ideadragon.tumblr.com/post/668694994673172480/%E6%95%A2%E3%81%88%E3%81%A6%E9%9B%A8%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%AB%E3%83%87%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%95%E3%81%88%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A%E5%BC%B5%E3%82%8C%E3%82%8C%E3%81%B0%E9%9B%A8%E3%82%84%E9%A2%A8%E3%81%AA%E3%81%A9%E4%BD%95%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%82%82%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AF%E7%AA%81%E9%A2%A8%E3%81%AB%E8%A6%8B%E8%88%9E%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6

 

 

この日の昼飯はスパイスから作るインドカレーにしました。インドカレーは20代前半の頃に伊藤武先生の名著「身体にやさしいインド」を読んでから作るようになり、今でも私の得意料理の一つです。焚火でインドカレーを作るのは初めてでしたが、そこそこ美味しく出来ました。

Tumblrの方にも書きましたが、デイキャンプ撤収直前に突風が起きてポールが倒れてしまいました。まだ焚火台に火が残っていたので、このようなアクシデントは非常にマズいです。原因は私がアライテント製25㎝アルミペグの性能を過信していて、天候や地面に合ったペグを使わなかった事にあります。

キャンプを楽しんでいる最中にこんなアクシデントが起きた訳ですから、私としては茶柱さんがパニックにならないか心配でしたが、割と大丈夫みたいだったので安心しました。キャンプはアクシデントを乗り越えるのも楽しみの一つなので、いよいよキャンパーらしくなってきたなーという感じです。

 

焚火を囲んで食事を摂ったり、会話を楽しんだりするのは、我々の遺伝子に刻み込まれている習慣であるように思えます。実際、100年ほど前までは囲炉裏(いろり)が家の中心だった訳ですし、焚火をいじりながら話をしていると、リラックスできる所為か、とても話し易いです。

茶柱さんとルームシェアをする前は、主にメールやSNSでやり取りをしていました。しかし、それだとあまり突っ込んだ話は出来ないので、正直、かなりやり辛かったんですよ・・・。

私のキャンプ熱が再燃して、一緒に焚火を囲んで食事や会話をするようになると、かなり突っ込んだ話も出来るようになりました。当然、ケンカも増えますが、メールやSNSとは違って即座にフォローを入れられますし、場合によっては無言のままでも構わないので、以前に比べたらずっとやり易いです。

 

 

シンパシー、エンパシー

私たちの関係は、悟りの問題や、毒親や、発達障害などの敏感な話題から始まっているので、通常の友人関係とは少々違います。根底にあるのは毒親サバイバー同士のシンパシー(sympathy)なので、戦友と表現した方が正確かも知れません。

因みに、シンパシーとは同情とか共感という意味ですが、似たような言葉にエンパシーというのもあります。エンパシーは「自己移入」とも言われていて、相手の立場を想像して理解する力という意味で使われる言葉です。

スピリチュアルの世界には、エンパス能力とかエンパス体質という言葉があります。これは共感力が高過ぎて苦悩している人の事ですが、その対極に位置するのが先天的に共感力が欠落しているサイコパス(精神病質)や、後天的に共感力を失ったソシオパス(社会病質)です。

 

茶柱さんは社会に潜むサイコパスやソシオパスに翻弄されて、本来歩むべき「自分の道」を見失い、迷子になってしまいました。苦しさのあまり精神医療やスピリチュアルに救いを求めましたが、全くと言って良いほど頼りにならず、流れ流れた末に当サイトに辿り着きました。

私も周囲の悪党共に翻弄されて「自分の道」を見失い、精神世界に救いを求めたタイプの人間ですが、実際に私を救ってくれたのは心理学的な自己分析と内観の道でした。その道行きの果てにたまたま悟りがあったというだけで、最初から悟りを求めていた訳ではありません。

ですから、茶柱さんに対しては、シンパシーを感じる部分と、エンパシーで補わなければならない部分があります。私としては、エンパシーなど発揮せず「自分はこうして悟ったのだから、あなたもそうしなさい」と言う方が楽なのですが、それを言ったらおしまいです。

 

何故なら、私と茶柱さんは別人であり、生まれつきの性質や、得手不得手も違うからです。

 

人生に悩んでいた頃の私は、何処に出しても恥ずかしくない真っ当な大人になり、真っ当な異性と真っ当で幸せな恋愛をして、胸を張って死んでいく為に頑張っていました。でも、生まれついてのハンディキャップ×2が、私の努力を台無しにしてくれたのです。

私には最初から、愛し愛される暖かい人間関係を経験したり、人としての真っ当な幸せを掴める可能性は無かったのです。当然の事ながら、その理不尽な運命を知った時には人生に絶望しましたし、一番欲しいものが得られないと分かっているのに、恥を晒してでも生きる理由など無いと嘆きました。

しかし、私の場合は幸せになれる可能性が無かったからこそ、本当に正しい事や、正しい生き方を命懸けで探求する事が出来たという面もあるのです。

 

本気で真理・真実を探求するという事は、この世の一切を根底から疑う事でもあります。何一つ信じずに、タブーを犯す事も厭わず、全てを疑い尽くして唯一無二の真実を見いだそうとする事こそが、真の探究の在り方です。

そして私は生まれつき、探求を成し遂げるのに必要な厳格さと、嫌いなものを最後まで嫌い抜く激烈な気性を持ち合わせていました。この本来なら忌むべき性質を持っていたからこそ、私はエゴに汚れ腐った己自身を徹底的に嫌い抜き、エゴの正体を見極めるまで自己論破を繰り返す事が出来たのです。

私は導師や道友を持てなかったので、ここまでの暴走をしても止めてくれる者など居はしませんでした。今にして思えば、あの探求は自殺と大して変わりませんでした。尤も、当時の私は本気で死にたがっていたので、それも当然なのですが・・・。

 

言うまでも無い事ですが、こんな狂気の探求を他人に勧められる訳が無いですし、もし茶柱さんが「探求に導いてくれ」と言っても断ります。探求は努力や覚悟の問題では無く、飽くまでも個人としての生き方と死に方の問題なのです。

ですから、かつての私と同様、もはやエゴと刺し違えるより救われる手段が無い人以外に、探求を勧める事はありません。そして私が探求を勧めた人は、最期を看取るつもりで指導をする事になるでしょう。

私個人としては、指導の対象となり得る人物との出会いを求めてなどいませんが、万が一、出会ってしまったら覚悟を決めるしかありません。その場合は誠心誠意、エゴを確実に縊り殺す手段としての見道(けんどう)を伝授させていただきます。

 

 

ティーチング、コーチング

私自身は悟りによって救われましたが、私と同じ事が出来る人は滅多に居ないし、私のコピーを作り出す行為を指導とは言いません。もし誰かのコピーになりたがっている人が居るなら「自分の道」に立ち返らせなければいけないし、それが出来ない人は悟りの道の指導者にはなれません。

例えば、茶柱さんを指導する場合は、まず精神的・社会的な自立を果たして「自分の道」に立ち返らせるのが先決です。「自分の道」が見えてくれば、その先に「悟りへの道」が見えて来るかも知れないし、見えて来ないかも知れませんが、そこまでは分かりません。

何故なら、それは本人の努力や覚悟の問題では無く、運命の問題だからです。運命や天命という言葉を嫌う人も居ますけど、認めようが認めまいが確かに「大きな流れ」は存在しますし、言うならば我々はその流れを作っている水の一滴や、細胞に等しい存在なのです。

 

また、茶柱さんの自立を妨げているのは、過去のトラウマだけではありません。本人がトラウマや他の脅威に対抗するべく作りだした、あまり現実に即しているとは言えない防御機構も自立を妨げる要因になっています。

何故そのような事が起きるのかと言うと、その防御機構は子供の頃に作りだした稚拙で欠陥だらけのシステムだからです。でも、本人はそうと気付かず、未だに役に立つと思い込んでいるので、そのシステムに執着して手放そうとしません。

もはや害にさえなっているシステムを破棄する事が出来ないのは、それ以外に頼り縋れるものが無い事と、システムを作り出す切っ掛けになった自分自身の経験や、積み上げて来た努力への執着心、そして何らかの形で報われて欲しいという願望があるからです。

 

逆を言うと、新たに頼り縋れるものが出来れば、古いシステムに固執する必要は無くなります。ですから、その頼り縋れるものを如何にして見つけ出すかが課題であり、見つけ出せるように導く必要がある訳です。

今の所、通い始めた就労支援センターや、認知行動療法がその役割を担ってくれるのではないかと期待しています。もしダメだったとしても、次を探せばそれで良い話です。

本来なら精神科や心療内科のカウンセリングに期待したい所なのですが、精神科医は患者の自然良能に期待しつつ薬を投与するだけの存在ですし、国家資格を持つ公認心理師にしても直接的なアドバイスは控えるでしょうから、あまり頼りにはなりません。

 

何故、アドバイスを控えるのかと言うと、相談者によって必要なアドバイスが違ってきたり、噛み合わないと逆効果になる場合もあるからです。それに、医者が一昔前の自己啓発セミナーや、カルト宗教のマインドコントロールみたいな真似をするようになってはいけません。

相談者に必要なアドバイスをするには、アドバイザーと相談者がお互いを良く知り合って、信頼し合える良好な人間を構築する必要があります。というか、これをせずに的確なアドバイスをする事など、誰にも出来はしませんよ。

個人的には、キャンプと焚火は人間関係を構築する際の最強ツールだと考えていますし、利害では無く、趣味で繋がる人間関係こそが望ましいと思っています。なので、手始めにTwitterでキャンプ用アカウントを作成してみました。いい加減に私も、アカウントを作ったり消したりを止めなければ・・・。

 

 

更新情報

「風飡水宿・その壱」をリライトしました。実際、いつものキャンプ場では、コールマンのツーリングドームを良く見かけます。あれはいいものです。

風飡水宿・その壱