野営の流儀と、トラウマ治療について

2021年風飡水宿(キャンプ)

今週の動向

年内最後のテント泊をする予定でしたが、茶柱さんのメンタルが安定しないので、管理人ひとりだけでソロのデイキャプをしてきました。この日は敢えてトランギアのケトルと、LOGOSのツーリングクッカーだけで、チリコンカン&パスタを作りました。

それに加えて「バープレー」というパンも作ってみました。これは水で練った小麦粉を丸めて熾火の中に放り込むだけという、非常に原始的な料理法です。バープレーは焼き上がりのインパクトが強くて面白いし、焼く為の調理器具を必要としないので、ミニマムスタイルのキャンプに向いています。

これから本格的に寒くなってくる訳ですけど、今使っているタープはグロメット(はとめ)の数が少ないので、真冬の冷たい風を凌ぐ為の複雑な張り方が出来ません。なので、そろそろグロメットの多いタープを買わなきゃいけないないのかなぁ・・・などと考えています。

https://ideadragon.tumblr.com/post/669992551582924800/2021%E5%B9%B412%E6%9C%88%E4%B8%8A%E6%97%AC%E3%83%87%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%81%A8%E7%84%A1%E7%99%BA%E9%85%B5%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%92%E4%BD%9C

 

 

因みに、チリコンカンはスペイン語で「肉入り唐辛子」という意味の、テクス・メクス(メキシコ系アメリカ)料理です。民間発祥の料理なので起源はハッキリしませんが、西部劇でカウボーイやガンマンが日常的に食べていたとか、刑事コロンボの好物だという事で知られています。

西部劇と言えば、クリント・イーストウッドの出世作「ローハイド」です。日本でも放送されていた時期があるので、今でも根強い人気を誇っている作品なのですが、劇中で料理人のウィッシュボーン氏が作る料理がポークビーンズかチリコンカンだと言われています。

西部劇の時代背景は1860~1890年代ですから、肉類と言えば乾燥・燻製・塩漬けの肉か、ぺミカンと呼ばれる保存食しかありません。ならばきっとウィッシュボーン氏の豆料理には、新鮮とは言い難い肉を美味く食べる為の工夫が凝らされていた筈です。

 

 

そう言えば、カウボーイって思いっきり野営系のキャンパーなんですよね。そう考えると急に西部劇に親しみが湧いてきますし、キャンプには豆料理こそがベストチョイスであるような気もしてきました。

野営の源流は、狩猟や放牧にあります。保存食のぺミカンにしても、元は狩猟系ネイティブアメリカンが育んだ生活の知恵です。日本国内にもアイヌやマタギの狩猟文化が残っていますし、そもそも米の農耕が始まる前の縄文時代は、狩猟と採集の時代でした。

狩猟は他の生物の命を奪う行為ですから、後先考えずに片っ端から獲物の命を刈り取っていけば、いずれ自分達が食べるものが無くなります。ですから、獲物への感謝と、獲物を与えてくれる自然(神)に対する畏敬の念が無ければ、遅かれ早かれ狩猟生活は破綻してしまう訳です。

 

何と言いますか、個人的にはそのあたりに「人間本来の正しい生き方」みたいなものを感じるんですよ。だからこそ縄文時代の狩猟文化に起源を持つ諏訪大社や、自然を神仏の世界と考えて、自然と一体になる為に修行をする修験道に心惹かれてしまうのかも知れません。

そして、その「人間本来の正しい生き方」は、禅の世界にも通じるものがあります。曹洞宗の宗祖・道元禅師は「水は是(これ)、生命なりと知るべし」と説き、使い残した半柄の水(杓底一残水)も大切にしたと言われています。

その視点に立てば、大量生産・大量消費の現実に違和感を覚えたり、自らが利益を得る為に他人を蹴落とす社会の在り方に嫌悪感が湧くのは当然なんですよ・・・。

 

まあ、難しい理屈はさておき、誰だって大自然に抱かれて、満天の星空の下で焚火を囲み、美味い飯を食いたくなる瞬間はあると思うんです。それは恐らく、我々の遺伝子や本能が求めている事だと思うんですよ。

で、そういう時の料理というのは、変に気取ったりせず、いい加減な感じの方が絶対に美味しいです。肉の塊を焚火でジュージュー焼いたり、適当な食材と調味料を鍋にドバッと放り込んでコトコト煮込んだり、それをワンプレートで雑に盛り付けるくらいの方が雰囲気が出て楽しいです。

野営は基本的に野卑なものですが、それでも自分なりのスタイルを確立した人には、カウボーイ達に通じるワイルドな魅力が備わります。私は魅力というものには殆ど関心が無いのですが、野営の際にキラリと光るワイルドさだけは欲しいです。

 

でも、そのワイルドな魅力というものは、完全に洗練された禅の流儀とは正反対のものだと思うんですよ。ワイルドと洗練の両極端だからこそ心惹かれるのかも知れませんが、正直、ここは自分でも良く分からない部分ではありますね~・・・。

 

 

トラウマ治療と、その危険性

茶柱さんのメンタルが不安定になったのは、就労支援センターでの訓練の先に「再就職という現実」が待ち受けていると実感したからです。これまでも茶柱さんなりに再就職について考えていたようですが、先週、私が余計な事を言った所為で、急にリアリティを感じるようになったのだとか。

その時、私は「人に話しかける時は、いきなり本題から話すのではなく、まず前振りをするように」という人間関係の基本とも言える話をしたのですが、茶柱さんはその話を「こんな基本的な事も分からないのか?」というような意味で捉えてしまったのです。

私も薄々「きっと悪い意味で捉えるだろうな」と思っていたので、ずっとこの話をするのを避けてきました。でも、再就職の事を考えたら、今のうちに優しく言っておいた方が良いと思ったのです。でも、残念ながらいたずらに不安を煽るだけに終わってしまいました。

 

他人から指摘されて傷つくのが嫌ならば、自分で調べるしかありません。でも、茶柱さんは鬱病の所為で、何かを調べるだけの体力が無いのです。他人に指摘されれば心が傷つくし、自分で調べる体力も無い。だからと言って放置しても、再就職先で誰かに指摘されてしまう・・・。

だから今回は思い切って、極力傷つけないように優しく言ったつもりだったのですが、それでもやはり茶柱さんに大ダメージを与えてしまいました。ここで問題になるのは「何故、茶柱さんの心はここまで傷つき易いのか?」という所です。

本当に心の奥深い所は茶柱さん本人にしか分かりませんが、私が観る限りでは自意識過剰という問題が根底にあるように思いました。一般的に自意識過剰は「自分が考えるほどには、他人は私に関心が無い」と気付く事で症状が軽減されると言われていますが、それも人によります。

 

茶柱さんの場合は、他人への恐怖心と不安が自意識過剰の原因になっていますし、更にその根っ子には「本当に苦しい時に誰も助けてくれなかった」という疎外感や、その苦境を乗り越えられず「自力では如何ともし難かった」という自己無力感が横たわっています。

自意識過剰は飽くまでも表面化したものに過ぎず、その源となっているのは、恐怖、不安、無力感、疎外感、その他もろもろの脅威に対する警戒心です。故に、これらの問題を「自力で乗り越えられる」という自信を身に付けるまで、茶柱さんの苦悩は続きます。

トラウマを癒す方法はカウンセリングを始めに色々とある訳ですが、最近ではEMDRなる心理療法が脚光を浴びつつあります。しかし、この療法にもリスクがあって、過去の強烈なトラウマがフラッシュバックしてしまい、パニック状態になった人も居るという話です。

 

トラウマ治療は、例えるなら地雷処理作業のようなものです。そもそも何処に地雷が埋まっているか分かりませんし、もし地雷を発見しても解除法を間違えれば「ドカン!」です。

トラウマ治療をカウンセラーに任せっきりにしたら時間ばかりが過ぎていきますし、かと言って自力でやるには要求されるスキルが高過ぎます。「なら、どーせいっちゅーんじゃ!」という話ですけど、これが日本の精神医療の限界なんですよ。

だから医師は患者を薬漬けにしたがるんです。

 

トラウマ治療の難しさは、個人差があり過ぎて普遍的な療法を確立するのが実質的に不可能だという所にあります。

例えば、誰が聞いても酷過ぎる体験なのに、本人からすれば意外とトラウマは浅かったりとか、本人も些細な体験としか思っていなかったのに、実は病理の核だったという事も普通にあります。

個人的にはトラウマ治療は職人芸みたいなものであり、自己のトラウマを克服した人間にしか治療に携わる事は許されないと考えています。実際、自分の治療という成功例が無いと「何処まで踏み込めるか?」という微妙な加減が分かりませんし。

 

それプラス、本人の素養と言うか、生まれつきの自我強度や、何処まで自我境界線を明確化する事が出来ているかという事も関係してきます。

別の言い方をすると、自我強度を上げれば自力でトラウマ治療をする事が出来るようになりますし、自我境界線を明確化すれば、自我強度を上げられなくても人間社会で生きていけるようになる訳です。と言うか、自我境界線が曖昧なままだと、自我強度を上げる事すら儘(まま)なりません。

なので、当サイトは「何をするにもまず、自我境界線の明確化から始めるべきだ」と考えています。その為に必要なメソッド自体は、既に思竜庵時代に作り上げているのですが、これからより洗練した形で記事にしていきます。

 

 

更新情報

下記リンク先の記事で説明していますが、関西限定でゆる~いソロキャンのグループを立ち上げました。とは言え、今の所メンバーは私と茶柱さんだけです(笑)

悟りだの、行法だの、トラウマだのはさておいて、とりあえず私と一緒にソロキャンを楽しんでみませんか?

風飡水宿(ふうさんすいしゅく)とは何か?