笠置寺と精神医療の現状について

2021年神社仏閣巡り, レイキ(靈氣), 風飡水宿(キャンプ)

今週の動向

年内最後のテント泊をしてきました。この日は天気が良く、風もそれほど強くは無かったのですが、とりあえずタープを張りました。

自分でも「風が弱く、防水性の高いLOGOS製のテントもあるのに、わざわざタープを張る必要があるのか?」と思いましたが、タープには他人の目を遮ったり、夜にランタン等の光を反射して明るくする効果もあるので、やはり張っておいて損はありません。

ソロで一晩過ごした後、茶柱さんが電車に乗ってキャンプ場まで来たので合流しました。茶柱さんは購入したばかりの新しいシュラフを使ってみたかったようで、すぐさまタープを張ってマットを敷き、シュラフに潜り込んでいました。

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茶柱さんが来る前に、早起きして笠置キャンプ場の近くにある笠置寺(かさぎでら)に行ってきました。笠置寺は、藤原京の造営や日本書紀・古事記の計画をした天武天皇に由来する古刹で、役行者が修験道という体系を確立する前の、古き山岳信仰の行場でもあると言い伝えられています。

笠置寺には自動車で行くのが一般的ですが、今回はキャンプ場から山頂まで徒歩で行ってみました。登山道が悪いので杖と登山靴が欲しい所ですが、早朝なら車道を歩けば良いので、あまり問題にはなりません。登山道なら大体20~30分、車道を歩くなら大体30~40分と言った所ですかね。

因みに、笠置寺の御本尊は摩崖仏の弥勒菩薩で、本堂はその隣にある正月堂(しょうがつどう)です。奈良公園の東大寺には「お水取り」が行われる二月堂がありますが、その行事は笠置寺が発祥の地だと考えられているそうです。

https://ideadragon.tumblr.com/post/671410453484912640/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E7%AC%A0%E7%BD%AE%E5%AF%BA-%E4%B8%80%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E7%AC%A0%E7%BD%AE%E5%B1%B1%E7%99%BB%E5%B1%B1%E5%8F%A3-%E4%BA%8C%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E6%AD%A9%E3%81%8F%E3%81%A8%E7%B5%90%E6%A7%8B%E3%82%AD%E3%83%84%E3%81%84%E3%82%88-%E4%B8%89%E6%9E%9A%E7%9B%AE-%E7%AC%A0%E7%BD%AE%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E9%96%80

 

 

 

先週から茶柱さんは心身の調子を崩していて、テント泊をするには不安がありました。だから合流という形にしたのですが、それはそれで「徒歩キャンプ」というスタイルとして楽しめたと言っています。JR笠置駅はJR奈良駅から近い所にあるので、こういう真似も出来るのです。

ただ、その後も不安と緊張が収まらず、かなりしんどそうにしています。布団で横になっているだけなのに心臓がバクバクしていたり、ちょっとした事でキレて自暴自棄になり、人生を投げ出そうとしてしまうので、正直、私も介助するのがしんどいです。

一度だけですが、かなり理不尽なキレ方をされてしまい、私もつい頭に血が上って暴言を吐きそうになってしまいました。向こうは感情のセーブが効かず被害妄想が駄々洩れになっている状態なのに、こっちは反論も許されず、ひたすら耐えねばならんのかと思うと、流石にゲンナリしてきます。

 

「本当にこの人は立ち直れるのか?」と考え始めると私も不安になりますし、この状態が何年も続けば確実に共倒れになる、早く逃げなきゃと思う事もあります。鬱病患者には介助が必要なのは誰でも知っている事ですが、実は介助者にも助けが必要な場合もあるのです。

しかし、介助者に年金や補助金が出る事はありませんし、こういう時に病院の精神科や役所の福祉課は何の役にも立ちません。むしろ頼りになるのは、民間企業に過ぎない就労支援センターの方だったりします。

ただ、私の場合は修行の一環として介助をしている面もありますし、この程度の試練を乗り越えられないなら見道(けんどう)の普及など不可能だと思っているので、一般的な介助者とはちょっとばかり考え方が違うかも知れません。

 

それはともかく、私が保身に走って茶柱さんを精神科の閉鎖病棟に入れたら、薬漬けにされて二度と出て来れなくなる可能性が高いです。一応調べてみましたが、相変わらず隔離室の評判はすこぶる悪いようです。

かなり昔の話になりますが、私の高校時代の知り合いが失恋を機に心身のバランスを崩し、薬漬けにされて閉鎖病棟に入れられた挙句、キリスト教系のカルト宗教に入信してしまった例を見ているので、閉鎖病棟に対しては悪い印象しか無いんですよね。

でも、騒音などの悪い刺激が少なく、誰かが食事や入浴の世話をしてくれて、具合が悪くなったら何時でも看護師が飛んで来てくれるような環境となれば、病院くらいしか思いつきません。でも、実際に茶柱さんを閉鎖病棟に入れたら、全てが終わる予感しかしません。ならばどうするか。

 

悪い刺激が少なく、食事と入浴の準備をしなくて良いというだけなら、医療機関でのショートステイやビジネスホテルでも事足ります。ならばいっそ、それらの場所で「セルフ・森田療法」をやってみるべきではないかと考えました。

去年の12月に国会図書館で森田正馬(もりた まさたけ)氏の著書を読んだ時は、まるで医学書みたいな内容で「とてもじゃないけど最後まで読めない」と思ったものですが、今はそんな事を言っていられないので、来週にでも国会図書館に行って著書を読み返してみます。

うつ病と森田療法と月参り

 

 

あと、これはネット上で見つけた某精神科医の主張です。要約すれば「問題が難し過ぎて、ボクもどうすれば良いのか分かんない」と言ってるだけなのですが、これが患者の前では絶対に言わない、精神医療従事者の偽らざる本音だと思います。

メンタル不調…頼みの綱の医師にすら「明確なノウハウがない」実態【医師が解説】(幻冬舎ゴールドオンライン) – Yahoo!ニュース

 

 

今は民間療法に頼るしかない

個人的には、現状ではメンタル関連の問題に関してのみ、民間療法に期待するしか無いと思っています。森田療法が民間療法に分類されるか分かりませんけど、根本理念にマインドフルネス冥想や禅の思想に通じる部分があるので、全くトンチンカンなオカルト療法とは思っていません。

他にも食養でメンタルが改善するという話もありますし、ホ・オポノポノのようなスピ系の療法や、教育系・自己啓発的な手法による問題解決法などもあるようです。ただ、どのメソッドも何処か胡散臭いんですよね~・・・。

胡散臭さという意味では西洋レイキも大概ですけど、数日間続いた茶柱さんの動悸や不安感を和らげる事くらいなら私にも出来たので、民間療法の中では優秀な方だと思っています。それにレイキには出先で不安感に襲われた時でも、遠隔治療を施せるというメリットもあります。

 

茶柱さんの場合は、根底に「人は何の為に生き、何の為に働くのか?」という人生問題の悩みがあり、その悩みが鬱病という形で表れています。ですから、鬱病を根治させようと思ったら問題に対して納得の行く答えを用意する必要がある訳ですが、それを精神科医にやれと言っても無理でしょう。

本来、生きる事に意味は無く、意味が無いとは即ち、自由であるという事です。もし人生に意味があり、最初から正しい生き方が決まっているなら、そのレールから外れた生き方をするのは間違った生き方をしているという事になりますし、我々人類は酷く不自由な生き物だという事にもなります。

極論すれば、あらゆる問題は自分自身で生み出しているものであり、それが事実だと悟れば新たに問題を生み出す事を止められます。問題が生まれる前の世界こそが悟りの境地であり、涅槃(ねはん・ニルヴァーナ)と呼ばれるものの正体です。まあ、物凄いオカルト理論なのは否めませんがね。

 

悟りの境地や涅槃に近づく為の方法論として坐禅がある訳ですし、ただ坐って何もせず「あるがままの命に落ち着く」のが悟りへの近道である事は疑いようがありません。内観冥想によって自らの深層心理に切り込み、自力で問題の本質を見極めるという方法もありますが、少々難しいのが難点です。

もし医学や科学が「あるがままの命」や「問題が生まれる前の世界」を検出・実証する事が出来たなら、精神医療も一気に究極まで進むかも知れません。脳生理学がその偉業を成し遂げる可能性はありますが、果たしていつになる事やら。

無いものねだりをしても始まりませんから、今あるカードで勝負するしかありません。例えそれが少々胡散臭いものだったとしても、使えるものは使ってみるべきだと思います。

 

 

更新情報

新しいカテゴリの記事を書きました。潜在的に需要のある内容だと自負していますが、後に別カテゴリと統合するかも知れません。

私自身は人間関係の問題と、毒親問題と、生死の人生問題を一纏めにして取り組みましたが、今にして思えば別個に取り組めば良かったと反省しています。

ですから、それらの問題と解決方法については、カテゴリ別にした方が良いと思った次第です。

毒親と和解するには Part1