正月の東大寺と、徳という概念

2022年1月11日2022年関大徹

 今週の動向

元日は人の少ない萬福寺に行きましたが、三が日を過ぎてそろそろ参拝者も減っただろうという事で、奈良公園の東大寺と春日大社に行ってきました。個人的には奈良公園に思い入れは殆ど無いのですが、何だかんだで良く行く場所になっています。

今年は雪の当たり年ですから、自動車で長距離移動をする事は控えています。出先で身動き取れなくなるとか悪夢ですし、そうなると茶柱さんのメンタルにも悪い影響を与えてしまいます。ルームシェアは管理人自身が決めた事とは言え、身一つの気楽さを忘れてしまいそうです。

出来れば今年中に九州へに行き、全国一周・巡礼の旅に区切りをつけて記事書きに専念したいのですが、果たしてどうなる事やら。

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それはそうと、京都の本屋で面白い本を見つけました。明治生まれの関大徹という曹洞宗の禅僧が書いた本で、タイトルは「食えなんだら食うな」です。

悟りの境地はOSHOや鈴木崩残先生(無明庵EO)の方が上でしょうけど、生き方や人間性は関老師の方が遥かに上だと思っています。実際、管理人が著書から学んだ事は非常に多かったですし。

曹洞宗は500年に一人の名僧と謳われた井上義衍老師を輩出するまで冬の時代が続いたと聞いていましたが、傑物は何時の時代にも居るものです。しかし、必ずしも傑物が脚光を浴びるとは限りません。今も何処かの禅寺で、人知れず修行に励んでいる傑物の事と思うと胸が熱くなります。

 

 

本のタイトルにもなっている「食えなんだら食うな」というセリフは、檀家が無く托鉢のみの寺で生活し、餓死を覚悟して修行に励む禅僧だから言えるものですし、命懸けで修行をしている禅僧の話だからこそ、聞く者の心に刺さるのです。

そして茶柱さんの介助で消耗していた管理人の心には、著書にある「無償の行為こそ徳である」という言葉が力強く突き刺さりました。著書によれば、布施行とは無私の心境に近づく機会を「与えてもらう」という事であり、何かをしてやったという気分を得てしまえば「徳」は積めないとの事です。

私も布施行や「徳」の概念くらいは知っていましたが、それが如何なるものかを理解していた訳ではありません。何故なら、私は今生において「徳」のある人物と関わった事が無いからです。「徳」とは何かを体現し、手本となる人物が居なければ、本当の意味で「徳」を識(し)る事は出来ないのです。

 

私が茶柱さんの介助を始めたのは「徳」を積む為ではなく、偽覚者・伊勢菊理への怒りからです。茶柱さんと出会ってから今日まで「この人を偽覚者如きに殺させてなるものか!」という虚仮の一念で、肝心な時に頼りにならない市役所の福祉課や、福祉施設の尻を叩いてきました。

結局、株式会社である就労支援センターの職員の方が余程頼りになるというオチだった訳ですが、これはこれで良い勉強をさせてもらったと思っています。でも、心の底では「福祉が苦手な福祉」に対して怒りを溜め込んでいたもの事実です。

そして茶柱さんに対しても、色々と思う事はありました。私の立場からすれば、正社員の立場を捨てて「さあこれからは自分の人生を生きるぞ」と意気込んでいた矢先に、心身共にズタボロで死にかけている人が助けを求めてきた訳ですからね・・・。

 

全国一周巡礼の旅をしつつ、2つのサイトを管理運営する事までなら、やれる自信はありました。でも、そこに「誰かを助けながら」という新たな条件が付くなると話が変わってきますし、そもそも私は誰かの介助をする為に会社を辞めた訳ではありません。

その一方で「私しか茶柱さんを助けられない」という思いもありました。発達&毒親持ちで、悟り系カルトに騙されて全財産を奪われた挙句、変な呪詛までかけられている。そんな人を助けられる奴が何処に居る?ここに居る!ってなもんですし、むしろ腕の見せ所だとさえ思いました。

最初はメールや電話でアドバイスをしていましたが、茶柱さんは薬の副作用で苦しんだ経験があるので心療内科に通わせるだけでもひと苦労でした。それでも何とか手帳を取得させて、年金も受給させて、やっと一段落と思ったら騒音問題です。「いい加減にしてくれ」と思った事も、一度や二度ではありません。

 

私だってサイト運営で収益を出せなくなったらホームレスの仲間入りですし、そうなった時は誰も私を助けてはくれません。かと言って、まだ自立するまでに至っていない茶柱さんと縁を切れば私は私を許せなくなりますし、閑居のようなサイトを管理運営する資格も無くなります。

もし全てを投げ出して何処かの企業に再就職したとしても、発達障害と毒親由来のコミュ障のせいで足元を見られ、低収入に苦しむのは間違いありません。そんな真似をするくらいなら退職→遁世などせず、ブラック企業の正社員で居続けた方がまだマシです。

・・・とまあ、丁度そんな悩ましい事を考えていた時に、たまたま本屋で関老師の著書を読んで「徳」関連の言葉が心に刺さった訳です。愚かな私は日々のストレスで心の目が曇り、関老師の著書を読むまで「茶柱さんに徳を積ませてもらっている」という事に気付けなかったのです。

 

この場合の「徳」とは「布施行」を積む事であり、布施行とは法施(ほうせ)、財施(ざいせ)、無畏施 (むいせ)の三施(さんせ)からなる行法です。

法施は仏法を説く事であり、財施は金銭や食などを供する事、そして無畏施は「無財の七施」と言って、優しいまなざしと、笑顔と、言葉で不安を取り除き、真心から体を張って奉仕活動をしたり、他人に坐る場所や部屋などを提供する事とされています。

でも、ぶっちゃけた話、私はこれまで布施行には全く興味が無かったんですよ。何故なら、施しなんかした所で自分が損するだけですし、過去に何度も親切心に付け込まれて酷い目に遭わされたので、善行は災難を呼び込む危険な行為だと認識するようになっていたからです。

 

また、募金やボランティアにも負の側面があって、悪い奴の懐にお金が転がり込む仕組みになっていると知ってからは意図的に無視していましたし、震災の義援金でさえチョロまかす奴が居ると知ってからは、街角やコンビニの募金でさえキチンと調べてから施すようになりました。

でも、それらの「悪徳」は、世俗的かつ二元論的な「徳」の概念に過ぎません。仏教の「徳」は自分自身の問題として考えるべきものであって、私はそこを誤解していたのです。

私は会社を辞めて隠遁したからこそ、普通の生活をしていたら絶対に無理な「徳の積み方」をさせていただけているようになったのです。ですから、悪徳云々や、自立云々、金銭や生死云々はさて置いて、まずは努力の末に作り上げた今の状況に満足し、感謝すべきだったのです。

 

これまで感謝の念が出てこなかったのは、私自身が二元論的なケチ臭い考え方に囚われていたからです。そうと気付いて「本来無一物」という真理に立ち返れたのなら、もう十分過ぎるほど報われているのです。

まだほんのちょびっとしか「徳」を積んでいない私には、自我や、所有物の一切合切を捨て去るような真似は出来ません。しかし、己の未熟さとケチ臭さを痛感し、次の課題と考えられるようになった事を「功徳」と言うのです。これらの事が腑に落ちた瞬間、スコーンと気持ちが楽になりました。

「徳を積む」というより「捨てるのが徳」と言った方が分かり易いとは思いましたが、何にせよ僅かながらも「徳」を積み、その功徳によって仏教的な「徳」を理解した時点で、私の「独覚としての輪廻」は終わりました。

 

仏教的な「徳」の概念が理解出来ていなかったら「徳」の積みようが無いですし、その解釈に間違いがあっても自力では気付けません。また、執着心は「徳」を積む事の妨げになりますから、執着心の源となるものは持たないようにした方が、気楽かつ心正しく生きられます。

仏道修行は理から入る場合(理入)と、行から入る場合(行入)があるとされており、私自身は理から入るタイプだと思っていましたが、「徳」に関してのみ布施行から入って、理で裏打ちする以外に他は無かったようです。

恐らく、こういうケースは私だけでは無いと思うので、仏道修行においては理と行の双修を心掛けるべきだと思います。

 

何にせよ、今生の私は大躍進と言って良いですし、もう同じ過ちは繰り返さないという自信も持てました。来世がどうなるかは分かりませんが、少なくとも「徳」の欠片も無い毒親なんかを選んで生まれてきたりはしないでしょう。

結局、過去生での私は、今生の毒両親と似たり寄ったりの愚かな生き方をしていたのだと思います。だからこそ親子と言う形で引き寄せ合い、同族嫌悪でお互いを傷つけあう不幸な関係しか作れなかったのでしょう。そう考えると、何となくですが得心するものがあります。

発達障害も余計な負担だと思っていましたが、これが無かったら私は両親との和解など目指さなかったし、茶柱さんとも出会っていないか、出会っても心底から見下していたと思います。当然の事ながら、その場合は「徳」など積めずに独覚・天狗道のループです。

 

 

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カテゴリ・古則公案SSの私説・奚仲造車(けいちゅう ぞうしゃ)をUPしました。また「積極的隠遁」と「心の純化と自己実現」のカテゴリを復帰させて、関連記事をリライトしましたので、よろしければ見てやってください。

私説・奚仲造車(けいちゅう ぞうしゃ)

 

2022年1月11日2022年関大徹

Posted by 清濁 思龍