纒向遺跡と森田療法

2022年神社仏閣巡り, 発達障碍, 積極的隠遁, 森田療法

今週の動向

邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との学説がある奈良県・ 箸墓古墳と、その近くにある纒向遺跡(まきむく いせき)に行ってきました。纒向遺跡は大神神社の神体山である三輪山の古代祭祀場と考えられている為、そういう意味では大神神社の旧社や元宮とも言えるかも知れません。

昔の天皇はシャーマン色が強く、第10代・崇神天皇は霊夢に従って三輪山に大物主を祀って疫病を終息させたとか、第35代・皇極天皇(第37代・斉明天皇でもある)は祭祀によって五日間も続く大雨を降らせたという伝説があります。

仏教公伝以降は、厳しい修行によって徳を積んだ仏教僧侶の加持祈祷が人気を博しますが、歴代天皇も従来通り、宮中で国家護持と五穀豊穣を祈っていました。天皇は皇祖神・天照大神の子孫とされていますから、天皇は「血の力」で祭祀を行ってきたと考える事も出来ます。

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第40代・天武天皇の勅命により編纂された記紀神話には、初代・神武天皇は筑紫の日向(宮崎県・高千穂)の出身で、東征により奈良県・生駒市の豪族(長髄彦)を倒したのち、大和三山・畝傍山の麓に橿原宮(かしはらのみや)を作らせたと記されています。

その後、神の娘である媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)と結婚し、鳥見山の霊畤(れいじ)で即位式の大嘗祭(だいじょうさい)を行いました。因みに、霊畤の場所は未だ特定されていないので、推定地は二ヵ所あります。

媛蹈鞴五十鈴媛の父については諸説ありますが、大国主命(おおくにぬしのみこと)の子であり、三輪山で祀られている大物主命(おおものぬしのみこと)と考えて良さそうです。天武天皇が藤原京を造営するまで、歴代天皇が三輪山麓周辺に皇居を作っていたのは、こういった理由があるからでしょうか。

 

氏族や血縁が持つ力を利用するなら、そのルーツを探求する必要があります。管理人は神事や祭祀を司り、天智天皇から藤原の姓を賜った中臣・藤原氏の末裔ですから、ルーツを求めれば藤原氏の氏神や祖神を祀る春日大社や、生駒山・東大阪側の枚岡神社に辿り着きます。

枚岡神社では天児屋命(あめの こやね の みこと)を祀っており、その別名が櫛真智命(くしまちのみこと)や、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)だという事は、最近まで知りませんでした。

櫛真智命は大和三山・天香久山の麓にある天香久山神社の御祭神ですし、八意思兼命は岩戸隠れの際に知恵を出した事で知られています。

 

 

森田療法について

別の日に、国会図書館・関西館で、森田正馬(もりた まさたけ)氏の著書「精神薄弱と強迫観念の根治法」を読みました。この書籍はデジタル化されていますが、一般公開はしていないので、国会図書館の検索機を使わないと読めません。

森田氏の主張は「心の病は些細な違和感に始まって、病状への執着の度合いが深まるにつれて重篤化していく。心の病という実体の無いものを恐れたり、病と言う概念に打ち負かされている訳だから、そういうものには構わず、あるがままを受け入れよ、そうすれば自然に治る」というものです。

しかし、森田療法は単に患者を放置するだけではなく、神経質性素質、ヒステリー素質、癲癇性気質、意志薄弱性素質、感覚鈍麻性素質、感情発揚性素質、感情抑鬱性素質、精神分裂性素質の八つに大別して、適切な処置を施します。

 

この八つの気質は誰にでも備わっていて、誰しも心が健康な時はバランスが取れていますが、バランスが崩れると心を病んでしまうとの事です。畢竟、森田療法の真骨頂は、バランスの見極めとリバランスにある訳で、見極めを誤ったままセルフ絶対臥褥に入っても効果は期待出来そうにありません。

また、著書には自己啓発系みたいに「生命の力を信じろ。自然良能を信じろ。自分を取り戻した時に、病は治る。病など無いと知れ」とか「なりふり構わず命を燃焼させる対象を持て。悩みがあるなら悩みと全力で向き合え。不満ばかり言うな」と言った感じの熱いメッセージが込められています。

森田正馬氏は、バランスの見極めと、リバランスに関して卓越した手腕を持っていたからこそ、多くの患者を治療する事が出来たのでしょう。そして、その卓越した手腕がカリスマ性となり、熱いメッセージが患者達の心を奮い立たせたのだと思います。

 

逆を言うと、森田氏の手腕があってこその療法ですから、後継者を育てるのが難しいという面もあるでしょう。また、現代の精神医療は投薬治療がメインですから、噛み合わない部分もあると思います。

時代背景を言うなら、森田氏は1874年~1938年の人ですから、日清戦争や日露戦争で心身を破壊された人達がそこら中に溢れているような時代ですし、実際、著書でもその人達について言及していました。現代と違って、当時は死の影が濃かったのです。

現代は死の影こそ薄いものの、社会全体が複雑化した所為で、誰もが息苦しさを感じています。むしろ心身共に疲れ果てているのに死にたくても死ねず、生きている実感が薄くなっている事の方が問題かも知れません。

 

競争原理に端を発する人間社会の複雑化は、情報過多という新しい問題を生み出し、教育と言う名の人材育成も激化する一方です。何故なら、社会が欲しているのは競争に勝つ為の人材であって、あるがままの自己を自由に生きている人では無いからです。

自分を変えようとしなくていいとか、下手にいじるな、焦るな、不利を嘆くな、諦めて受け入れよ、生命を全うせよ、しんどさを無視せよ、無心に生きろと言う教えが正しいのは誰でも分かります。でも、競争社会の中では、そうしたくても出来ないのです。

今の社会に適応出来なくて鬱病になった人の場合は、森田療法をそのまま行っても症状の改善は期待出来ないかも知れません。その場合は状況や症状に合わせて治療法を変える必要がある訳ですが、森田氏亡き後、そんな離れ業が誰に出来るというのでしょうか。

 

 

どうしても頑張れない人たち。

「精神薄弱と強迫観念の根治法」を56コマまで読んだあと、関西館の新書コーナーで宮口幸治氏の著書「どうしても頑張れない人たち」の新書版を見つけたので、ざっと斜め読みをしてみました。

本著はベストセラーになった「ケーキの切れない非行少年たち」の続編ですが、今回は非行少年を支援する側に話の主軸を置いています。ただ、森田正馬氏の著書を読んだ後だったので、正直「随分と甘っちょろい事を書いているなぁ」と思ってしまいました。

著者の非行少年には支援が必要で、非行少年を支援する人にも支援が必要だという主張には同意します。しかし、非行少年の大半は、知的障害や発達障害などのハンディキャップを抱えている人では無く、最も分かり易い力である「暴力」に魅せられた者だと思うんですよ。

 

悪い環境に生まれ育ち、善悪の判断力が育つ前に裏社会の常識を叩きこまれ、後先を見通せない認知の弱さが犯罪に直結するという流れがあるのは確かですし、そういう不幸な人への支援は必要です。

しかし、人としての感性が生きていれば、心身の苦痛に歪む被害者の顔を見てヘラヘラと笑ったり、何の反省も無く「自分は何も悪くない」と言い放つような真似は出来ません。

暴力に魅せられた者にとって、人としての感性は暴力の逆ベクトルであり、単なる「弱さ」に過ぎません。暴力に心酔し、徹底的に人間性を否定しているからこそ、こういう非人間的な真似が出来るのです。

 

人としての感性は、本人の生き方と素質の問題なので、教育でどうにかなるものではありません。暴力に魅せられた者を「俺が更生させてやる!」と鼻息を荒くするのは傲慢ですし、そんな悪党を社会復帰させるのは野獣を人混みの中に放つのと同じであり、迷惑極まりない事です。

それに、私が知る限り悪党には「ここまでは大丈夫だが、ここから先はヤバい」という判断力のある奴の方が遥かに多かったです。中にはヘマをして周囲からバカにされたり、犯罪がバレたりした奴も居ましたが、そういう奴に限って守るものが何も無い「無敵の人」状態だったりするから始末が悪い。

悪党の反省は損得勘定に過ぎませんし、他人の気持ちが分からないほど認知が弱いか歪んでいるなら、更生を押し付けても上手くはいきません。悪党に人としての権利を与えても、悪用する事しか考えないのですから「豚に真珠」もいいところです。

 

治安維持の名目で人間社会が悪党を受け入れても、悪党は行儀の良い社会に馴染めず居心地の悪い思いをするだけですし、そのストレスは無関係の一般人が引き受ける事になります。頻発する無差別殺人にしても、居場所が無い悪党の「さよならアタック」だと考えると腑に落ちるものがあります。

悪党には悪党のまま輝ける場所が必要なのであって、教育によって一般人の型に嵌めたとしても、バレないように悪事を働くか、ストレスを溜め込んで爆発するだけです。だとすると非行少年の支援は、彼らが「頑張れない理由」を知るだけでは足らないと思います。

 

世の中には、心を病みながらも高みを目指す繊細な人達と、野獣に先祖返りして好き勝手に暴れたい悪党と、とりあえず自分が人間として生きていけるなら他はどうでもいいという人が混在しています。

個人の性格という重大な要素を無視して、学歴や職能だけで振り分けてきた結果が今の社会であるならば、心の治療や、非行少年の更生支援も、根本的な問題を棚上げにした対症療法に過ぎないと言わざるを得ません。

私には善人も悪人も一般人も「あるがまま」に生きられる健やかな社会など想像も出来ませんが、少なくともその社会が西洋由来の新自由主義的な論理によって成り立つ事は無いでしょう。必要なのは、歴史と伝統に根付いた日本独自の価値観と、その価値観に基づく新しい形の社会だと思います。

 

 

更新情報

現在、サイトのカテゴリ全体を改変しつつ、複数の新しい記事を同時進行で書き進めております。帝財術関連の記事は「蓄財と邪気祓い」という新カテゴリにまとめ、夢見術関連の記事は神社仏閣巡りの新カテゴリに組み込む予定です。

高藤聡一郎氏の「仙道帝財術入門」