真冬のタープ泊と、業(カルマ)についての私見

2022年業(カルマ)

今週の動向

強風と小雪という悪条件の中で本格的なタープ泊をする為に、今年初めてのキャンプに行ってきました。厳しい一夜になるのは確実だったので、茶柱さんは自宅でお留守番です。

管理人はこの日の為にDDタープ(3.5m×3.5m)を購入したのですが、今まで使っていたキャプテンスタッグ・キャンプアウト製の3m×3mタープ(以下、鹿番長タープと呼称)とは使い勝手が全然違うので、かなり設営に手こずりました。

DDタープと鹿番長タープの一番の違いはグロメット(ハトメ)の形です。鹿番長タープは四隅と十字の計8ヵ所に金属製のハトメがついているのですが、DDタープにハトメは無く、ループと呼ばれる紐状のグロメットが計19ヵ所ついています。

 

鹿番長タープを使用する際はタープ・ポールの先端部分をハトメに差し込む形になりますが、DDタープにはハトメが無いので先端部分をループに引っかける形になります。ループはハトメよりも自由度が高いものの、安定性は劣ります。

その特性を理解しておかないと、タープの設営中にポールからループやロープがズレてしまったりする訳です。でも、グロメットの特性を理解すれば、むしろハトメよりも自由度の高いループの方が使い易いと思いました。

しかし、まだDDタープの張り方が全然分かっていなかった為に、吹き荒れる強風を遮る術が無く、あまりの寒さから車中泊に切り替えざるを得なくなりました。折角-15℃までイケる新品のシュラフも購入したのに、タープ泊を断念する事になったのは残念至極です。くやしー。

https://ideadragon.tumblr.com/post/673766943231279104/%E5%B9%B4%E6%98%8E%E3%81%91%E5%88%9D%E3%81%AE%E5%AF%92%E4%B8%AD%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E8%B3%BC%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AEdd%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%AE%E6%89%B1%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%8C%E5%88%86%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%A6%E8%A8%B3%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%81%AA%E5%BC%B5

 

 

私のキャンプ・スタイルは、四国での歩き遍路や、奈良県の大峯奥駈道(おおみね おくがけみち)の踏破を前提にしているので、テント泊登山(登山用語だと幕営)や、ボーイスカウト並の長期野営に耐え得るものでなければ困ります。

私は元々ツーリング・キャンプをするバイク乗りでしたし、その時から幕営用の装備をパッキングの参考にしていました。しかし、今の私が理想とするスタイルはタープ&ハンモック泊なので、以前のスタイルとは若干のズレが生じています。

私は夏の暑さが苦手ですし、野生動物や蛇なども怖いので、歩き遍路や奥駈道踏破をするなら冬が良いと思っています。となれば、如何に寒さを克服するかが課題になりますし、ハンモック&シュラフで快眠出来るようになる訓練も必要です。

 

その訓練の一環として、昨年から自宅にSusabiハンモックを置くようになりましたが、未だに一晩過ごせるようになっていません。ひょっとしたらハンモック泊は体質的に無理かも知れないと思い始めていますが、まだまだ工夫の余地と体を慣らす時間はあるので、もうちょっと頑張ってみます。

 

いつものまとめ動画です。何と言いますか、ちょっとだけ編集が上手くなったような気がするので、よろしければ見てやってください。

 

 

来世の礎(いしずえ)

茶柱さんもキャンプに行きたがっていましたが、就労支援センターに通うようになってから精神的な疲労が蓄積しており、オフの日は殆ど一日寝て過ごしています。センターは週三日の午前中だけなのですが、それでもかなり辛いみたいです。

本人も就労はおろか、趣味のキャンプすら満足に出来ない事に不安を感じており、かなりストレスフルな状態が続いています。

センターで似たような悩みを抱えている人と交流するのは楽しいし、センターの職員もキチンと話を聞いてくれるけど、自分の問題は何一つ解決していないし、将来の事を考えると不安で仕方が無いようです。

 

でも、私としては将来よりも、来世の事を考えて欲しいんですよ。仮に今生を棒に振ったとしても来世に希望を繋ぐ事が出来れば私的にはOKですし、今生でチンピラ化してブイブイゆわせられたとしても、来世でエゴの泥沼に嵌るようなら私的にはNGです。

今生がハッピーで来世もハッピーがベストに決まっていますが、正直、発達障害&毒親持ちの人には難しいものがあります。絶対に避けなければならないのは、今生がダメダメで来世もダメダメという最悪のケースです。

私としては「とりあえず最悪のケースは回避したのだから、それで良いじゃないか」と思うのですが、茶柱さんは納得いかないご様子です。では、どうしたいのかと聞くと、どうすれば良いのか分からないという言葉が返ってきます。

 

人が死ねば知識と経験は失われますが、人生の方向性は業(カルマ)という形で来世に引き継がれます。何故なら輪廻転生という現象においても、因果律とエネルギー保存の法則が働くからです。

今生でしてきた事は、来世でもする事になる可能性が高いです。変な例え話になりますが、今生でサービス業をしてきた人が、来世で政治家になる可能性は殆ど無いという感じの理解で良いと思います。

仮に運命のいたずらで善人が罪を犯す事があっても、積み重ねた善業の働きによって再び善なる道に立ち返ります。逆に、悪事ばかり働いてきたチンピラが今生で改心しても、積み重ねた悪業の働きによって再び悪しき道に立ち返る事になる訳です。しかも、自ら望んで。

 

運命の大きな流れはちょっとやそっとの努力では変わりませんし、これまで積み上げてきた業も無かった事にはなりません。生きるという事は、善悪を問わず業を積み上げるという事であり、酸いも甘いも嚙み分けるのが人生経験(生命体験)の醍醐味です。

とは言え、善悪など所詮は人間が作り出した概念に過ぎませんから、善業で悪業を相殺する事など出来ません。業はただ積み上げ、ただ受け入れる事しか出来ないものであり、我々はその法則を理解して、運命に黙従するだけの聡明さを身に付けるより他はありません。

因みに、悟りを開くと業を積み上げてきた張本人が存在しなくなりますが、業自体がチャラになる訳では無いので、結局は肉体が滅ぶ日が来るまで業に振り回されます。

 

カルマの法則と言えば「自分の行いは自分に返ってくる」という単純な話を思い浮かべるかも知れませんが、法則の先にあるのは「自分の力ではどうにもならない」という諦観(ていかん)や、他力本願(たりきほんがん)という思想への理解です。

諦観は必死に積み上げてきた努力や財産、もしくは「ある種の力」を放棄するという形で「徳」を積ませてくれますし、他力本願の思想は何事も責任をもって最大限に努力するが、結果はどうあれ受け入れると言う謙虚さに繋がります。

霊性(スピリチュアリティ)の探究は、法則を学ぶ事から始まって、学んだ事を消化吸収して己が血肉に変え、最後は必ずそれを放棄するという形で終わります。捨てて捨てて捨て切った末にいつの間にか手に入っているものこそが「本物」であって、それ以外の方法では決して「本物」は手に入りません。

 

苦闘の末に今生で「本物」を手に入れたとしても、死ねば元の木阿弥です。しかし、本物を探求したり、本物を手に入れたという事実は業という形で残り、来世に引き継がれます。

過去生で苦闘を回避する為に、様々な事から逃げ続けきたとしても、いつかは逃げ切れなくなりますし、問題と向き合わなければ問題解決能力も身に付きません。それが「報い」というものです。

カルマの法則からすると、今生で散々な目に遭うのは、過去生の生き方に問題があったからだという事になりますし、それを今生で正せなければ、来世の自分が散々な目に遭います。そして結果はどうあれ「問題に取り組む姿勢」だけは、業と言う形で引き継がれる訳です。

 

私が知る限りでは、来世に引き継げるものは業だけです。そして業に関する事は、曲りなりにも悟りを開いて妙観察智(みようかんざっち)を得るまでは、絶対に分かりません。

何故なら、一般人はどう足掻いても善悪の垣根を越えられないし、下手に垣間見ようとすれば善悪の狭間で精神が壊れてしまうからです。

釈迦世尊が「因縁についてはいくらでも考えろ、でも業については一切考えるな」と言ったのは、その為です。

 

私自身は業について考え抜いた結果として、不意に悟ってしまった訳ですけれども、それは余りにも危険な道程だったので、真似をしろとは言えません。でも、業についての知識を持ち、それを来世の礎とするのは大いに結構だと思っています。

過去生を知った所でどうなるものでも無いですが、来世についての考察は今生での生き死に直接関係します。早い話、先の事を考えたら下手な真似は出来ないという事です。

ここで「来世の自分など、どうなろうが知った事か」と思ってしまう人は、来世でも同じ事を言うでしょうし、恐らく今生の自分も大切にしていない筈です。何故なら、これは過去生での自分を大切にしなかった人のセリフだからです。過去、現在、未来の三世の自己には、業による連続性があるのです。

 

人間は誰しも欲望を満たす為に行動していますが、その行動原理だと、どう足掻いても悪業しか積めません。いくら人助けをしようが、他の動植物に慈悲心を以って接しようが、それは善業を積む事にはなりません。

しかし、本当の意味で自分らしく「あるがまま」に生きる事が出来るなら、それ以上は業について考える必要は無くなります。

何故なら「あるがまま」に生きる事は、悪業を積む事にはならないからです。つまり、欲望を捨てて「あるがまま」に近づこうとすれば、例外的に善業を積めると言う事です。

 

あるがままの自己を知る為に努力して、あるがままに生きる為に命を燃やす。人生とはそれだけの事ですし、それをキチンとやっているなら人生に迷う事もありません。

悩みや不安が尽きなくても、結局は「あるがまま」に生きるしかないし、「あるがまま」に生きる為には自己を貫き通す為の「生存戦略」が必要になります。

生存戦略については、既にカテゴリ・積極的隠遁の記事にしてありますが、少々シビアな内容になっていますので、気が向いた時にお読みください。

 

 

更新情報

カテゴリ・禅的ミニマリズムの住居編をUPしました。この先、転居をする予定がある方は、よろしければお読みください。

禅的ミニマリズム・住居編

 

2022年業(カルマ)

Posted by 清濁 思龍