寒中タープ泊の訓練と、発達障害&毒親持ちの自己管理について

2022年

今週の動向

買ったばかりのDDタープの練習をする為に、いつものキャンプ場でデイキャンプをしました。まだ不慣れなので弛んでしまっている部分もありますが、全体的にはそこそこ上手く張れたと思っています。これで厳寒タープ泊のリベンジが出来るかどうか、是非とも試してみたいです。

真冬でもDDタープ泊が出来るなら、以前使っていた辛子色の鹿番長タープと、LOGOSのQ-TOPデュアルソロテントは、あまり使わなくなるかも知れません。とは言え、Q-TOPの初期型で珍しい色ですし、それなりに思い入れもあるテントですし、捨てるつもりはありませんがね。

いつものまとめ動画についてですが、今まではTumblrとは別個にUPしていましたが、今後はTumblrの記事に添付する形にします。多分、その方が見やすいと思うので。

https://ideadragon.tumblr.com/post/674405925666357248/%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%82%82%E3%82%84%E3%83%87%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%AE%E5%BC%B5%E3%82%8A%E6%96%B9%E3%81%8C%E3%83%98%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%94%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%81%97%E3%82%89%E5%BC%9B%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%81%8A%E3%81%AE%E3%82%8C

 

 

今回のデイキャンプには茶柱さんも同行しましたが、センター通いで疲労が蓄積していてロクに準備も出来ず、朝からドタバタしていました。現地入りした時は早くもグッタリしていましたが、そんな状態でもデイキャンについて来たのは、本当にキャンプが好きだからだそうです。

しかし、準備不足の上に、やりたい事を盛り込み過ぎて疲れて果ててしまい、撤収時には声のかけようもない状態になっていました。帰りのクルマの中で、茶柱さんが「まだソロキャンプは無理だなあ・・・」と呟いていていたのが切なかったです。

鬱病の影響か、発達障害の特性かハッキリしませんが、茶柱さんは段取りや見極めに必要な判断力が欠けているので、欲求と感情の赴くままに際限なく突っ走り、疲労困憊して動けなくなる事があります。早い話、自己管理が出来ないのです。精神障碍者手帳二級は伊達ではありません。

 

最近は私が茶柱さんの体力を見極められるようになってきたので、疲れる前に一声かけるようにしています。でも、楽しい事をしている時は衝動性が勝るようで、そういう時は休めと言っても休みません。

自己管理の方法は就労支援センターでも教わっているようですが、相変わらず思いついたら即座に行動せずには居られないし、やったらやったで後片付けをするだけの気力と体力を残せません。

茶柱さん曰く、自分は幼い頃からこんな感じだったし、親は親でこんな自分を呆れた目で見てくるから辛かった。でも、やろうとしても上手く出来ないから他人に迷惑をかけてしまうし、迷惑な自分も嫌いなのだとか。

 

私に言わせると、迷惑をかけているという自覚がある内は大丈夫だし、私は私で社員寮の自室をゴミ屋敷にした前科があるので、整理整頓や後片付けの事で他人に物申す気はありません。

私はゴミ屋敷の前科をミニマリズム移行の原動力にしてきましたし、私以外にもそういう人は結構居るみたいなので、整理整頓や片付けは割と普遍的な悩みのような気がします。

今の私は会社を早期リタイアした遁世者ですし、ミニマリズムを基調としたライフスタイルを実践しているので、会社勤めの人よりも心身や時間に余裕があります。だから茶柱さんの介助が出来るのであって、会社員でありながら身内の介助や介護をしてい人達は、さぞかし大変だろうと思います。

 

マトモな社会人であろうとすればするほど忙しくなりますし、あまりにも忙しい場合は何かを切り捨てなければ心身がもちません。大抵の場合、最初に切り捨てられるのは「丁寧さ」であり、次に切り捨てられるのは「自分から距離の遠い他人」です。

他者との共存によって社会が成立している事は、少し考えれば誰にでも分かります。ですが、心に余裕が無ければ他人の事まで考えられないし、その状態が長引けば社会全体が荒んでいきます。

社会が荒めば荒むほど、守るものが無い「無敵の人」による無差別殺人や、理不尽な暴力事件が増加しますし、そうなれば自分自身も突発的な暴力に怯えながら暮らす羽目になります。政治活動によって余裕のある社会創りを目指すのも結構ですが、まずは自分の心に余裕を持たせる必要があります。

 

心の余裕は、欲を捨てる事で得られます。欲を捨てるには、手軽に満たせるものは満たせば良いし、そうでないものは棚上げにするか、キッパリ諦めるしかありません。キッパリ諦めるには全力で取り組むしか無いですし、例え欲を満たせなくても「やり切った」という充実感を得られます。

一番ダメなのは、欲しいという気持ちを抑圧したり、理由をつけて我慢してしまう事です。我慢や抑圧は何の解決にもならないし執着心も生んでしまうので、逆に問題をこじらせてしまいます。

茶柱さんを例にしますと、本人の欲望に優先順位をつけた場合、承認欲求を満たし、愛情飢餓感を満たす事が一番に来ます。これは毒親持ちに特有の悩みですが、ネットを正しく活用すれば割と簡単に満たせます。

 

茶柱さんの場合はSNSでキャンプ用アカウントを作成し、健全なメンタルを持つキャンパー達と交流したり、プチバズを経験して承認欲求が満たされた途端、生活に潤いが出て来ました。

茶柱さんにとって、キャンプは承認欲求を満たしてくれる大切な要素になっています。そして、欲求を満たしてくれるギアに対して感謝の気持ちを持てるようになれば、ギアの手入れや部屋の整理整頓を楽しめるようになる筈です。

茶柱さんの場合はたまたまキャンプがドハマリしましたが、キャンプのみならず好きな物が人生の指針となる事は、人間性の高みを目指す過程では良く見られます。因みに、私の場合はMMORPGのウルティマオンラインと、そのギルド活動ブログで承認欲求を満たしています。

 

物を大切にする人は、自分の人生も大切にしますし、自己管理を楽しむ事も出来ます。自己管理が出来ない人は、自分の人生を大切にしないし、物も雑に扱います。そしてこの問題を深堀りしていくと、自分自身の事が好きか嫌いかという問題が表面化してきます。

自己愛と自己嫌悪は表裏の関係にあり、思うがままに欲求を満たせる人は自己愛が強く、欲求を満たせず不満を抱えていると自己嫌悪が強くなります。誰だって欲を満たせる強い自分の事は好きですし、欲を満たせない弱い自分は嫌いになってしまいます。

しかし、人間自体は決して強い生き物ではありません。暑さや寒さで簡単に死にますし、飲食をしないとやはり死にます。文明の力に守られていると死ぬ事を忘れがちになりますが、その文明も自然を完全に支配するまでには至っていません。

 

ソロキャンプをしていると、自然の脅威と、文明のありがたさの両方を実感します。キャンプ場はそれなりに整備されていますし、周囲に人も居ますけど、家の中ほど便利ではありません。でも、それが良いんです。

SNSで知り合ったキャンパーの中にも、キャンプで自然と向き合う事で鬱病が寛解し、復職した人が居ます。寛解の経緯については、恐らく聞かれても言葉に詰まると思うので聞きませんが、そういう例があると知れただけでも儲けものです。

自然と向き合う事は、死と向き合う事です。そして人間は死ぬ時は簡単に死にますが、死ぬ運命に無ければ死にたくても死ねないし、死ぬ運命にあれば生きたくても生きられません。本当に、人生とは儘(まま)ならないものです。

 

死の実感は生への感謝に変わり、生への感謝と喜びは神秘そのものです。命は何時果てるとも知れないからこそ尊いのであって、人生は儘ならないものであり、何が起きるか分からないという事実を謙虚に受け止めて、その事実を大らかに楽しめるようになるしかありません。

自然はただ「あるがまま」に在るだけですし、自然の中では起きるべくして起きる事がただ起きています。それこそが真理であり、最大の神秘と呼ぶべきものです。

個々の思いや欲望が交錯する人間社会の直中にいると忘れがちですが、本来、我々人類は神秘の目撃者であれば良いし、そう在るだけで十分なのです。

 

 

更新情報

サイト内のカテゴリを全面的に再編成したり、記事のリライトをしました。特に禅的ミニマリズムの中に、防災関連の記事を組み込む事になったのは自分でも驚きました。考えてみれば、禅的ミニマリズム自体が3.11後の防災活動から派生したものなので、こうなるのは当然の流れでした。

禅的ミニマリズム・防災編

 

2022年

Posted by 清濁 思龍