初のステルス張りと、関禅師の遺徳
今週の動向
今回のデイキャンプでは、DDタープでステルス張りの練習をしました。張り終えた形がステルス機に似ている事からそう呼ばれているのですが、慣れていない所為かピラミッドの形に近くなってしまいました。
尤も、最近はティピー型という円錐形のテントが流行っているので、ピラミッドみたいな形の方が周囲に馴染むような気もしますけどね。因みにティピー型が流行ったのは、従来のドーム型テントよりも強風や雨天などの悪天候に強いからだそうです。
ステルス張りも風に強いという話でしたが、管理人の張り方が下手な所為で、何度もタープが倒れそうになりました。一応、撤収までは持ちこたえてくれましたが、現状では一晩過ごすのは無理があります。もっと練習が必要ですね。
TumblrにUPした写真の三枚目と四枚目に映っているのは、京都のLOGOSランドで購入した焚火陣幕です。DDタープの色であるコヨーテ・ブラウンに合わせてみたのですが、なかなかに良い感じです。主な用途は防火・防風ですが、他人の視線や夜間の自動車のヘッドライトを遮る効果もあります。
普通のキャンプ場なら夜間のヘッドライトを気にする必要は無いのですが、私が頻繁に利用しているキャンプ場は関西の至る所からマナーの悪いパリピがやって来るので、こういった対策が必要になってしまうのです。
パリピの中には、直火禁止エリアで直火をして後始末をせずに帰ったり、ゴミをそのままにして帰る輩がいます。安い所には安い客が来るものと相場が決まっていますが、町営のキャンプ場が安いのは当たり前なので、我々利用者がしっかりしなければいけません。
最終的な処理はキャンプ場の管理者に任せますけど、私も「焚き逃げ」や「パリピゴミ」を見つけたら、なるべく後始末をするように心掛けています。
また、アメリカ発の建築材料不足による「ウッド・ショック」の影響で、今後はキャンプ用の薪が不足する可能性があります。今のうちに買い占めるという手もありますが、それをやったらコロナ禍のマスク転売ヤーと同レベルになってしまいます。
来週もタープのテクを磨く為にソロキャンをしに行きますが、その時はアルコール・ストーブとガスバーナーを駆使して、薪を節約するつもりです。元々私はバイク乗りのツーリング・キャンパーだったので、焚火よりもアルストとガスを使ってきた時期の方が長いんですよ。
私自身がツーリングやキャンプを通じて自己と向き合い、大自然に鍛えてもらった人間なので、どうしてもキャンプを見道の体系に組み込みたかったのです。自分で言うのも何ですが、風飡水宿 その壱でお話した「ソロBBQ」にしても、軽量化が命のツーリング・キャンパーらしい発想です。
茶柱さんも風飡水宿ノ行を始めてから少しずつ心身共にタフになってきましたが、一般的な「ギアを買い揃えてからソロキャンデビュー」という流れで始めた場合は、かなりの高確率で挫折していたと思います。
野外活動センターで焚火の練習をしながら、少しづつ必要なギアを増やしていったからこそ、それほどお金を掛けずに装備を整える事が出来たのですし、それほど遠くない所に予約不要でふらっと行けるキャンプ場があったというのも大きいです。
2015年頃に始まったと言われる第二次キャンプブームは、もはや一過性の流行ではなく、立派なカルチャー(文化)として定着し始めています。マナーの悪いパリピへの対策は必要ですが、それと同時にマナーの良いキャンパーを増やしていくのも大事です。
キャンプはギアを揃える必要があるので、他の趣味よりも参入の敷居が高いのは事実です。でも、自然から離れた現代人は、キャンプをしなければ養えないものがあるのもまた事実。
何せ、現代では街角で「落ち葉焚き」をする事さえ出来ないのですから・・・。
食えなんだら食わん
先月購入した関大徹禅師の著書「食えなんだら食うな」を読み返しています。久々に私の心にクリティカルヒットした本ですし、今後も読み返す度に私の考え方と生き方に刺激を与える「人生の一冊」になりそうです。
流石に関禅師と同じ生き方は出来ませんが、当サイトの方向性は関禅師の影響を受けて変化しつつあります。カテゴリ編成を大幅に変更したのはその為ですし、これから週一更新の修道記の書き方も変えていきます。
今までは丸二日かけて修道記の記事を書いていたのですが、これからは一日で書き上げるようにします。一記事当たりの内容は薄くなりますが、その代わり別カテゴリの記事を充実させたり、SNSか無料ブログでこまめに情報をUPする事を考えています。
更新情報
カテゴリ・毒親と発達障害の記事を更新しました。毒親と和解するには、毒親持ちに特有の脇の甘さを克服しなければいけません。そしてそれは社会の荒波を乗り切るのに必要な事でもあるのですが、大抵の人はそうはならずチンピラ化してしまいます。
チンピラ化せず、さりとて社会に埋没する事もなく、あるがままの自己を生きるのは大変です。でも、その大変な事を成し遂げなければ、人間に生まれてきた意味がありません。
私が遁世者になったのは、ハンディキャップを持つ人達が「あるがまま」に生きる為の方法論を、後世に残す為の時間が欲しかったからです。当サイトはその為のものですし、それで食えなんだら潔く消えるつもりです。