名無しの縁覚 A氏の場合
私が空を悟ったとき、また縁起を悟ったとき、何にもすがっていなかったよ。とその時はそう考えていた。実際、それが空性を悟るということすら知らなかった。
その辺の事情は、知人が詳しく知ってる。俺はもう世紀の大発見をしたと思って、 某板に書き込みまくったからな。その知人とも議論を交わした。
その一年後位かな、もう人間である必要はないなと思ってまた死について執着し始めた時に、 古本屋で 仏陀よ!という本を見つけてね。高けりゃやめようと思ったが、10円だったw
これはなにかあると思って読んでみると、おれが分かったと思っていたことが、すでに釈迦によって詳しく説かれていたではないか。そのときの驚きといったらなかったね。本当に詳しく説明してくれているんだもの。それから俺は水を得た魚のように仏典や訳書を読み漁った。
そして、俺が分かったと思ったことは空であり縁起のことであったと理解したのさ。釈迦が説かれたことはまったくもって正しく、得やすい道であると俺は断言する。
あなたに私がなにもわかっていなかった頃、毎日、死と向き合ってたことを知らないからだろうね。毎日、眠りにつくとき、死にたいと思い、生きることの苦しみから逃れたいと思い、それが唯一、死であると錯覚していたことを。毎日、仏に願い、菩薩に願い、神を呪い、世界を憎んだ暗黒の日々を。
空を悟るきっかけか。まぁそれはなんだろうな。説明するのが難しい。俺は生と死について深く考え続けていた。10数年も。生きる意味とはなにか、死とは何か。そして俺は生きることが苦しかった。なぜなら俺はあなたの反対で自分をすばらしい存在と考えていたからだ。
世界を憎んだのもそのギャップのせいさ。自分を想うほどには他人は自分を想ってくれないという。まぁ自己中だったんだな。自己愛着が強すぎて苦しんでいたのさ。
まぁそんなわけで10数年考え続けてたわけさ。だから、きっかけというか、それらの考え続けていたことがそれらは荒唐無稽な考えであったり、妄想も含まれていたんだが、正しい考え方や理解も含まれていたんだな。
悟るまではそれらはただの断片にしかすぎず、ただの意味のない知識だったわけだが、それらがある日、統合されたのだ。そういうよりほかないな。
それはそうちょうど映画を見てたときだよ。ナルニア国物語っていう。それを見ていたときそれは突然来た。映画の内容なんてこれっぽっちも覚えてなかったよ。後日また見直したぐらいさ。これで理解してくれるかい?
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