独覚の道標 悟りの体験談 その1 清濁思龍の場合私が社会学者・加藤諦三先生の本を読んだのは、高校2年生の時だ。今にして思えば、これが探求の始まりだった。高校時代は部活のおかげで仲間にも恵まれたし、あまり苦労らしい苦労をした憶えも無い。何故、仲間が居たのかというと、当時の私と... 2024.02.14 独覚の道標
独覚の道標 悟りの体験談 その2 名無しの縁覚 A氏の場合私が空を悟ったとき、また縁起を悟ったとき、何にもすがっていなかったよ。とその時はそう考えていた。実際、それが空性を悟るということすら知らなかった。その辺の事情は、知人が詳しく知ってる。俺はもう世紀の大発見をしたと思っ... 2024.02.14 独覚の道標
独覚の道標 悟りの体験談 その3 konsenさんの場合私が預流果に悟った?のは20年ほど前のことです。平成の元号の発案者である安岡正篤先生の著書を読んでいた時でした。安岡先生は全国師友協会という啓蒙活動をされていました。先生が亡くなられた後、この組織をどうするかでお弟子さ... 2024.02.14 独覚の道標
独覚の道標 悟りの体験談 その4 壁さんの場合某日、ぼやぼやとネットを徘徊していたら、こちらのブログ(※当サイトの前身、思竜庵の事)を発見しました。そして最新の記事を読んで、これはもしかして(誰か、は分からないけど)「引っ張られたかな」と感じたので書き込ませていただきます。... 2024.02.14 独覚の道標
独覚の道標 悟りの体験談 その5 陽向さんの場合ある日、ベッドで横になりながら、スマホをいじくっていた。スマホの画面に夢中になってて、途中で自分の脚がないことに気づいた。実際そこには脚はある。だが感覚も、そこに脚があるという風に思うこともない。それは全身がそうだった。指先か... 2024.02.14 独覚の道標