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總持寺祖院(そうじじ そいん)

〒927-2156 石川県 輪島市 門前町 門前1-18-1

駐車場:無料駐車場がある。


 

※この記事に掲載している写真は、2024年1月1日に発生した能登半島地震前のものです。

 

かつて曹洞宗大本山・總持寺は石川県にありましたが、1898年に大部分の伽藍を焼失した為、横浜市鶴見区に移転しました。總持寺祖院は、その跡地に建立された坐禅道場です。

 

 

境内案内図です。

 

 

市営の無料駐車場に駐車して、總持寺祖院まで歩いていきます。

 

 

道路の奥に總持寺祖院が見えます。

 

 

この道路には、かつて總持寺祖院の総門(そうもん)があった事を示す石碑と、法身舎利塔(ほっしん しゃりとう)があります。その裏にあるのは地蔵堂(じぞう どう)です。

 

 

少し歩いた所に、總持寺二世・瑩山紹瑾(けいいざん じょうきん)禅師の直筆で「能登櫛比庄(のと くしひ の しょう)」と彫刻された石碑があります。瑩山禅師は曹洞宗・總持寺派の派祖でもある為、太祖・常済大師(たいそ・じょうさい だいし)とも呼ばれています。

 

 

總持寺祖院の寺号標と、三樹松関(さんじゅしょうかん)を近くから。總持寺祖院がある能登半島には、龍の形をした三本の松の木が生えていて、それが門の名前の由来になっています。

 

 

拝観料を支払うと、拝観経路図をもらえます。赤丸の所は撮影禁止ですが、それ以外の所は自由に撮影して良いそうです。

 

 

拝観の受付の向かい側に、手水舎(ちょうず しゃ)があります。

 

 

手水舎から少し離れた所に、乳貰い地蔵(ちち もらい じぞう)の御堂があります。死んだ母親が、墓の中で生まれた我が子の為に夜な夜な飴家に通って、母乳の代わりに飴を舐めさせて育て、その子供が成長して總持寺五世・通幻寂霊(つうげん じゃくれい)禅師になったという伝説があります。

 

 

乳貰い地蔵から少し離れた所に、戦国武将・前田利家(まえだ としいえ)の妻・芳春院(ほうしゅん いん)の名を冠した寺院があります。

 

 

芳春院には、開運弁財天(かいうん べんざい てん)の像が安置されています。

 

 

芳春院のすぐ近くに、味噌摺り地蔵(みそすり じぞう)があります。味噌摺りを仕事にしていた僧侶が、長野県の善光寺(ぜんこうじ)に参拝したくて寺を抜け出した時に、この地蔵(が身代わりになって味噌を摺ってくれたという伝説があります。

 

 

味噌摺り地蔵の近くに、経典を納める経蔵(きょう ぞう)があります。

 

 

経蔵には、五世紀頃の中国の学者の傳大士(ふ だいし)が考案した輪蔵(りんぞう)があります。輪蔵には大蔵経334巻が納められていて、輪蔵を一回回すと全て読んだのと同じ功徳があるとされています。

輪蔵の大蔵経は、黄檗宗の禅僧・鉄眼道光(てつがん どうこう)が開版した、鉄眼版(てつがん ばん)と呼ばれる版木印刷の経典です。黄檗宗の大本山・萬福寺(まんぷくじ)の塔頭寺院・宝蔵院には、鉄眼版の版木が収蔵されています。

 

 

経蔵の向かい側に、峨山道(がざんどう)と呼ばれる山道の入口があります。總持寺二世・峨山韶碩(がざん じょうせき)禅師は、ここから約53km離れた永光寺(ようこう じ)の4代目住職でもあり、両寺院の朝課を勤める為に、約20年間、徒歩で往復したそうです。

 

 

峨山道(がざんどう)の途中に、瑩山紹瑾禅師が龍神の神託により霊泉があることを教えられ、お茶の水として愛用したとされる名水・古和秀水(こわしゅうど)があります。

 

 

峨山道入口の手前に、三解脱門(さん げだつ もん)があります。

 

 

三解脱門の左側に、無常門(むじょう もん)があります。

 

 

無常門をくぐった先に、曹洞宗の守護神である白山妙理大権現(はくさん みょうり だいごんげん どう)の社があります。

 

 

白山妙理大権現堂の向かい側に、鐘鼓楼(しょう こ ろう)と白山蔵(はくさん ぐら)があります。

 

 

鐘鼓楼の中には、坐禅堂(ざぜん どう)の入口があります。

 

 

坐禅堂には、選佛場(せんぶつじょう)と揮毫された扁額が掲げられています。

 

 

坐禅堂には、禅僧が使っている座蒲(ざふ)が並んでいます。

 

 

坐禅堂から出て拝観ルート通りに歩くと、總持寺を開山した瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師の墓所・傳燈院(でんとう いん)が見えてきます。

 

 

傳燈院の右側にある放光堂(ほうこう どう)には、数多くの位牌が安置されており、亡くなった人々の供養が行われています。

 

 

放光堂の天井画です。

 

 

放光堂の右側に、修行道場である太祖堂(たいそ どう)があります。堂内の正面には瑩山紹瑾禅師、右側に高祖・道元(どうげん)禅師、左側に二代目住職・峨山韶碩(がざん じょうせき)禅師の像が安置されています。

 

 

太祖堂の右側に、仏殿(ぶつでん)があります。堂内には釈迦如来像が安置されていて、客間には剣と禅と書の達人として知られる山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)が揮毫した屏風があります。

 

 

仏殿に通じる廻廊には、普蔵院(ふぞう いん)と書かれた大きな額があります。

 

 

二代目住職・峨山韶碩禅師の高弟は五哲(ごてつ)と呼ばれ、それぞれが境内に寺院を設けました。普蔵院はそのうちの一つでしたが、今は扁額が残るのみです。

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