自己との向き合い方

禅とは己自究明(本当の自分を追及すること)だと言われていますが、どのようにすれば良いのかは詳しく教えてもらえません。何故なら、自己との向き合い方は、人によって違うからです。

「自分で自分に合った、自己との向き合い方」を編み出さないと、坐禅と仏教教学を身に付けたあたりから進歩が止まります。一見、不親切に思えますが、禅には公案という大きな手掛かりがあるので、それ以上、何かを教え込む必要がないのです。

禅寺で参禅すると「無字」か「隻手」の公案が与えられて、公案と一枚に成れと指導されます。公案と一枚になる為に「ムー!」とか「セキシュ!」とやりながら坐る訳ですが、徹底的にやれば見性(けんしょう)する人も出てきます。

 

見性体験をすればこちらのもので、後は入室参禅(にっしつさんぜん)の禅問答によって、己の体験に磨きをかけていきます。これが臨済宗・看話禅(かんなぜん)の大まかな流れです。

しかし、明眼の正師は何処にでも居る訳ではありませんし、優れた指導力を持つ名僧のもとには大勢の人が集まるので、実際に会って話をするまでが難しいという問題があります。

それならばと独学自力で坐禅修行をしても、見性体験に至る事は稀ですし、下手をすると「自分は悟りに近い」とか「既に自分は悟っている」と勘違いする人が出てきます。正師の指導を受けないと、正しい道から外れても自力では気づけないのです。

 

看話禅は師が居る事が前提なので、正師の指導を受けられないなら、それ以外の方法で自己と向き合う必要があります。最も簡単な方法は、日記を書く事です。日記は冥想法そのものであり、独学自力の坐禅より効果的なメソッドであると言えます。

就寝前にノートや日記帳に書いても良いのですが、ブログやSNSなら手すき時間にスマートフォンで書く事が出来ますし、写真をアップロードする事も出来るので、とても有益です。

最近「書く冥想」として有名になってきた「ジャーナリング」も良いものです。これは日記とは違って、誤字脱字を気にせず、15~30分ほど思い浮かんだ事をひたすらノートに書いたり、テーマを決めて同じ事をするだけの簡単なメソッドです。

 

ジャーナリングは、ストレスの軽減や集中力を高めるなど、マインドフルネス冥想に近い効果が期待出来ます。また、思いの丈を書き込んでいるうちに、心の奥底に沈めていた本音や本心が溢れて来て、思わぬカタルシスを得られる瞬間もあるそうです。

本格的に自己と向き合い始めると、自分の欠点や、弱さ、醜さなどの「負の側面」とも向き合う事になります。自分に自信がある人や、素直な人は問題になりませんが、虚栄心の強い人は、大体ここで躓きます。

また、自信の無い人が負の側面と向き合うと、罪悪感や自己嫌悪に苛まされて、自分の存在が許せなくなる事があります。この場合は、そうなった理由を「過去の体験」に求める必要が出てきます。

 

深刻な心理的外傷(トラウマ)を抱えている人は、メンタルクリニックでカウンセリングを受けながら、時間をかけて自己と向き合っていきましょう。トラウマを自分一人で克服すると、人間不信になるか、他人を必要としない悲しい人になってしまいます。

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