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私説・平常是道(びょうじょうぜどう) 

2023年7月19日無門関無門関

 

これは遙か昔の事、とある僧達の対話である。

 

 

僧A「道とは何ですか?」

僧B「平常の心が道だ。」

 

 

僧A「どう向かうべきですか?」

僧B「向おうと努めれば、道から離れる。」

 

 

僧A「努力なくして、平常心が道であると分かるのですか?」

僧B「道は知識や理屈では無いし、是非で考えるようなものでもない。」

 

 

僧A「・・・?」

僧B「道を頭で理解しようとするのが間違いなのだ。」

 

 

僧A「考えるな、感じろと?」

僧B「感じるものでも無いな。」

 

 

僧A「はぃ?!」

僧B「考えるな、常に平常の心で在れ。」

 

 

僧A「では、何をすれば良いのでしょうか?」

僧B「むしろ何もするな。」

 

 

僧A「何も・・・?」

僧B「するなと言っているのに、またしておる。」

 

 

僧A「いや、今は特に何も・・・。」

僧B「しておらんと?理解しようとしておるではないか。」

 

 

僧A「理解するのを止めたら、何も分かりませんよ。」

僧B「逆だな、分かろうとするから分からんのだ。」

 

 

僧A「訳が分かりません!」

僧B「する事ではなく、しない事に注意を払え。それが平常の心に至る道だ。」

 

 

僧A「しない事とは?」

僧B「車に例えるなら、ギアの入っていないニュートラルの位置に戻すようなものだ。」

 

 

僧A「今はギアが入っていると?」

僧B「入っておるな。まず、それをどうにかしろ。」

 

 

僧A「それは我を忘れろと言う事ですか?」

僧B「意識するだけなら構わん。が、それ以上の事はするな。」

 

 

僧A「いまここ・・・。」

僧B「それもまたギアを入れる行為だ。」

 

 

僧A「・・・。」

僧B「無念無想を為しておるな。」

 

 

僧A「バカニナレ!」

僧B「なろうとせんでも、既に。」

 

 

僧A「疲れてきました。」

僧B「疲れて何も出来なくなるまでやるのも手だ。」

 

 

僧A「もっと話を簡潔に纏めてください。」

僧B「間違いの数だけ言葉は増える」

 

 

僧A「ヒントをプリーズ。」

僧B「何かをくれてやる気など、さらさら無い。」

 

 

僧A「これはイジメでは?」

僧B「ひねくれた事を考えるな。真理は単純明快だ。」

 

 

僧A「とても簡単とは思えません!」

僧B「それは既知の物事に当て嵌めようとしているからだ。」

 

 

僧A「しない事とは、未知の体験と言う事ですか?」

僧B「そう、だから体験するしかない。」

 

 

僧A「無我を体験しろと?」

僧B「そうとも言う。」

 

 

僧A「忘我と無我の違いは?」

僧B「忘我とは己が身を忘れる事で、無我とは我が無い様子を表す言葉だな。」

 

 

僧A「どちらの体験が先なのでしょうか?」

僧B「普通は忘我が先だが、逆もある。」

 

 

僧A「忘我は必要な体験ですか?」

僧B「数少ない貴重な手がかりだ。」

 

 

僧A「平常の心とは、中道の心ですか?」

僧B「だったらそう説明している。ごっちゃにするな。」

 

 

僧A「とりあえず、己が身のしている事に目を向けてみます。」

僧B「それでも良い、やってみろ。」

 

 

僧A「・・・無意識に色々としているものですね。」

僧B「それは大切な気づきだ。」

 

 

僧A「・・・反射的に物事を理解しようとする自分に気付きました。」

僧B「それが人の習性だ、どうにかしてみろ。」

 

 

僧A「ただボーッとするのとは違いますよね?」

僧B「ギアはともかく、エンジンは死ぬまで切れん。」

 

 

僧A「平常心で、あるがままに見る・・・。私見を交えず観照する・・・。」

僧B「あと一歩だ。」

 

 

この後、ふとした事が切っ掛けとなって、僧Aは悟りを開いた。

 

無門関(むもんかん)

 

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2023年7月19日無門関無門関

Posted by 清濁 思龍