私説・香厳上樹(きょうげん じょうじゅ)

むかしむかし、中国は唐の時代に、香厳智閑(きょうげん ちかん)という優れた禅僧がおったそうな。香厳和尚は「自分自身が木の上で手も足も使わず、枝を咥えてぶらさがっている所を想像し、その状態で祖師西来の意(禅とは何か)について答えてみよ」という難問を出した事で知られている。

答えなければ禅僧としては失格だし、答えれば樹から落ちて死んでしまう。さあどうする?!

 

 

老僧「・・・とまあ、これが有名な無門関・第五則の香巌上樹(きょうげん じょうじゅ)という公案のあらすじだ。」

小僧「有名な公案なんですね!」

 

 

老僧「話自体にインパクトがあるからな。わしもこの公案が好きなんだよ。」

小僧「香巖和尚は、よくこんな話を思い付きましたね!」

 

 

老僧「うむ。絶体絶命の窮地を知る者の発想だな。」

小僧「凄いですけど、ちょっと怖いです!」

 

 

老僧「誰だってこんなシチュエーションは嫌に決まっている。わしもこんな目には遭いたくない。」

小僧「ボクも絶対に嫌です!」

 

 

老僧「しかし、嫌だ嫌だと言っているだけでは何も解決しない。困難は向き合ってこそだ。」

小僧「はい!」

 

 

老僧「いい返事だ。では、改めて問おう。お前ならどうする?」

小僧「ボクなら木の上から降りてから答えます!」

 

 

老僧「・・・いや、そういう問題じゃないぞ。」

小僧「安全第一です、命あっての物種です! もしくは手足か表情でジェスチャーをします!」

 

 

老僧「では、祖師西来の意は?」

小僧「達磨大師は中国に行きたかったんです!」

 

 

老僧「はぁ・・・。お前、一応は禅僧だろ?」

小僧「これがボクなりの答えです!」

 

 

老僧「まあいい。屁理屈をこねるよりはマシだ。」

小僧「はい! 因みに、師匠ならどうされますか?」

 

 

老僧「わしか? わしなら喜んで木から落ちるな。」

小僧「え!? それだと死んでしまうのでは?!」

 

 

老僧「まあ死ぬよな。」

小僧「死んじゃダメですよ、人間は生きてこそです!」

 

 

老僧「いや、わしの死を以て回答とする。それがわしの禅だ。」

小僧「そんなのダメです! 師匠はいつまでも生きてボク達を導いてください!」

 

 

老僧「わしを必要としてくれるのは嬉しいが、誰かの教えなどというものに価値は無いのだよ。」

小僧「それはどういう事ですか?!」

 

 

老僧「仏教の知識があれば、機に応じて説法をする事くらいなら出来るだろう。しかし、本物の窮地においては、言葉や文字など慰めにもならん。大切なのは適切な行動だ。」

小僧「それはそうかも知れませんが、死んで何になるんですか?!」

 

 

老僧「言っただろう。禅においては、わし自身の死、エゴの死こそが答えなのだ。それが全てと断言しても良いくらいだ。」

小僧「そんな・・・だからって死ぬ事は・・・。」

 

 

老僧「真理を説く為なら、それで誰かの目を覚ます事が出来るなら、わしは何時でも命を賭けるつもりだ。それでこそ、わしの命も活きるというものだよ。」

小僧「うう・・・師匠は尊いです! 尊師です! ますます死んじゃダメです!」

 

 

老僧「先にも言ったが、誰だってこんなシチュエーションは嫌に決まっている。わしだって死にたくはない。だが、禅者としては、このような場面では死ぬしかないのだ。」

小僧「他に手段は無いんですか?!」

 

 

老僧「死ぬより他は無いし、あっても選ばん。」

小僧「そ、そんな・・・。」

 

 

老僧「世は無常であり、生滅は必然だ。ならば迷いから覚めて、悟りに至るより大切な事などあるだろうか。」

小僧「うう・・・。」

 

 

老僧「雪山童子(せっせんどうじ)の話は知っているな?」

小僧「はい! 涅槃経(ねはんぎょう)に出て来る、釈迦世尊の過去生の話ですよね!」

 

 

老僧「鬼に化けた帝釈天から諸行無常・是生滅法(しょぎょうむじょう・ぜしょうめっぽう)の教えを聞き、後半の生滅滅已・寂滅為楽(しょうめつめつい・じゃくめついらく)を聞く為に身を投げたという逸話だ。いろは歌の元ネタという説もある。」

小僧「一つ間違えると、カルト宗教の教義になる奴です!」

 

 

老僧「確かにそうだが、お前はたまに毒を吐くなぁ。」

小僧「ボクは世の中や正しい事の為なら、毒を吐きます!」

 

 

老僧「わしはお前のそういう所を気に入っているのだが、今はいい。大切なのは不惜身命(ふしゃくしんみょう)の精神だ。」

小僧「はい! ボクも仏道に心身を捧げる覚悟です!」

 

 

老僧「因みに、道元禅師は正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)と言う著書で、不惜身命の後に但惜身命(たんじゃくしんみょう)と説いている。これは心身を惜しめという意味だ。」

小僧「惜しむなと言ったり、惜しめと言ったり、どっちなんですか!」

 

 

老僧「どちらでもあり、どちらでもなしだ。わしには『主義に陥るな』と言っているように聞こえる。」

小僧「主義、ですか。」

 

 

老僧「主義は人を盲目にしたり、融通の利かない石頭にするからな。」

小僧「そうならないように気を付けます!」

 

 

老僧「曹洞宗の良寛は、地震災害に見舞われた友人に『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候』という内容の手紙を送ったそうだ。あるがまま、風の吹くまま、無為無心に生きるのが幸福のコツだ。」

小僧「でも、それって『一寸先は闇』って事じゃないですか?」

 

 

老僧「そうとも言うな。言い方ひとつで他人には真逆の印象を与えてしまうが、むしろわしはそこが面白い所だと思っている。」

小僧「どちらかと言うと、ボクはポジティブシンキングの方が好きです!」

 

 

老僧「わしに言わせると、ポジティブもネガティブも偏ったものの見方でしかないのだが、『そういう風に見る事も出来る』という意味ではどちらも正しい。奇妙な事だ。」

小僧「き、奇妙ですか?! 師匠はたまに変な事を言いますね・・・。」

 

 

老僧「ああ、この世界は実に奇妙だ。正確には、人間の世界だけが奇妙なのだが。」

小僧「え? それはどういう意味ですか?!」

 

 

老僧「人間だけが、幸福と不幸は表裏一体という事実を否定する。両方まるっと受け入れる事が、あるがままに生きるという事なのにな。」

小僧「ボクも不幸は嫌いです! でも、それじゃダメなんですね・・・。」

 

 

老僧「ダメではないし、是非善悪の話でもない。そういった分別の心が働く前の『あるがままの、それそのもの』を知るだけで事は済む。単純な話だよ。」

小僧「あるがままの、それそのもの・・・。」

 

 

老僧「それこそが仏法の真理に他ならない。真理を悟れば『あるがままの自己』も分かるし、あるがままに生きるとはどういう事かも分かるようになる。誰だって心底から『あるがままに生き、あるがままに死ぬしかない』と分かったら、悩んだり迷ったりなんかしなくなるさ。」

小僧「そ、そういうものなんですね・・・。」

 

 

老僧「まあ、今日の晩飯は何にするかで悩んだり、迷ったりはするだろうけどな。」

小僧「ボクはそのへんの決断力には自信があります!」

 

 

老僧「はっは、そうか! では、任せるとしよう。」

小僧「分かりました! 美味しい御飯を作りますから、期待しててくださいね、師匠!」

 

無門関 一覧
無門関とは 無門関とは、中国臨済宗・楊岐派の僧侶である無門慧開(1183~1260)によって編纂された、公案問答集の事です。第48則までありますが、その理由は不明であり、公案の難易度順にもなっていません。 (function(b,c,f,g...

 

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