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大徳寺(だいとくじ)

2024年5月1日禅寺拝観禅寺拝観

大徳寺は、臨済宗・大徳寺派(りんざいしゅう・だいとくじは)の総本山です。開山は大燈国師・宗峰妙超(だいとう こくし・しゅうほう みょうちょう)禅師です。

 

 

創建当初の山門は戦乱で焼失しましたが、一休さんでお馴染みの第47代住持・一休宗純(いっきゅう そうじゅん)禅師が復興し、茶道の祖・千利休(せん の りきゅう)によって現在の姿になりました。扁額には金毛閣(きんもう かく)と揮毫されています。

 

 

本坊・方丈の裏手に、塔頭寺院・真珠庵(しんじゅ あん)があります。真珠庵の開祖は一休禅師とされていますが、前身の瞎驢庵(かつろあん)は応仁の乱で焼失しており、一休禅師が遷化されてから10年後に再興されました。

侘び茶の祖・村田珠光(むらた しゅこう)は一休禅師との交流が深く、真珠庵の再興に寄進したり、内部の庭園を造成するなどしています。

 

 

真珠庵の近くには、大徳寺で最初に建立された塔頭寺院・如意庵(にょい あん)があります。一休禅師も短期間ながら住したとされていますが、こちらの庵も応仁の乱で灰燼と化しています。

 

 

大徳寺は室町幕府が制定した五山叢林(ござん そうりん)に入らない、林下(りんか)の禅宗寺院です。大燈国師は大応国師・南浦紹明(だいおう こくし・なんぽ じょうみょう)の弟子であり、大応国師は建長寺の御開山・蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)禅師の弟子です。

大応→大燈→関山の法脈を応燈関(おう とう かん)と言って、江戸時代の臨済宗中興の祖・白隠慧鶴(はくいん えかく)禅師まで一直線に続いています。中国からの渡来僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師を開祖とする黄檗宗(おうばくしゅう)を除いて、日本の臨済宗は全て応燈関の法系に属しています。

また、大徳寺は村田珠光から千利休まで続く「茶の湯の寺」でもあります。多くの大名が千利休から茶の湯を学び、境内に塔頭寺院を創建した為、茶づらという渾名を持つに至りました。

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2024年5月1日禅寺拝観禅寺拝観

Posted by 清濁 思龍