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私説・白雲未在(はくうん みざい)

むかしむかし、中国の廬山から白雲和尚の所に、数名の禅僧が訪ねて来ました。彼らの説法には説得力があり、公案で見地を確かめても優れた答えが返ってきました。しかし、和尚は弟子の五祖法演(ごそ ほうえん)に「彼らも未在(まだまだ)だ」と言ったとか・・・。

 

 

老僧「・・・とまあ、これが白雲未在(はくうん みざい)という公案のあらすじだ。因みに、未在は『修行の道には終わりが無い』と訳される事もある。」

小僧「えっと、これって公案なんですか? ボクには白雲禅師のマウンティング・エピソードとしか思えないんですけど。」

 

老僧「酷い言い方だな。白雲和尚は白雲守端(はくうん しゅたん)という名で、臨済宗楊岐派(ようぎは)の2代目だぞ。」

小僧「師が楊岐方会(ようぎ ほうえ)で、弟子が暗号密令(あんごう みつれい)の五祖法演だから、凄いお方だとは思います。だからと言って、他の優れた禅者をディスるのはちょっと・・・。」

 

老僧「ああ、引っ掛かっているのはそこか。別に白雲禅師が他者をディスったという話ではないから、心配は無用だ。」

小僧「この未熟者どもめがー、みたいな話では無いんですか?」

 

老僧「違う違う、そんな話が公案になる訳が無いだろう。しかも、これは白隠公案体系・向上の一つだぞ。」

小僧「えぇ~、そんな事を言われても、ボクには分かりませんよ。」

 

老僧「ぬう、この認識のズレは、如何ともし難いな。」

小僧「でも、師匠から教えてもらった公案体系の話は憶えています! 確か、法身・機関・言栓・難透・向上の順に難しくなっていくんですよね!」

 

老僧「そうだ。しかしアレだな、普通の人はこの公案がディスりの話に見えてしまうのか。わしにその発想は無かったから、勉強になったよ。」

小僧「では、師匠にはどんな話に見えるんですか?」

 

老僧「訪ねて来た禅僧と、白雲禅師ご自身も含めて『まだまだだ』と言っているようにしか思えん。これを一言で語るなら『常精進』となる。」

小僧「話の受け止め方が全然違いますね(汗)」

 

老僧「わしも悟ってから時間が経ち過ぎて、一般人の感覚が分からなくなってきているんだよなぁ。記憶をほじくり返すにも限界ってものがある。」

小僧「へ? 何の話ですか?」

 

老僧「いや、悟るとエゴの視点が分からなくなってしまうんだよ。だから楽になるんだが、その代わり、普通の人の気持ちも分からなくなる。」

小僧「悟るとエゴが無くなるから、常精進が当たり前になるんですか?」

 

老僧「うーむ、世界は無常、自己もまた無常、毎日が自己と世界の誕生日で、あるがままに自分らしく変化し続けるのが当たり前って感じか。正直、あまり上手く説明する事が出来んな。わしもまだまだだ。」

小僧「まさに未在ですね! でも、そこまで向上心を持ち続ける意味があるんですか? 修行が完成したら、ゆったりドッシリ構えていれば良いんじゃないでしょうか。」

 

老僧「いや、常に学ぶ事を必要とするわしにとって、それは停滞と同義だ。」

小僧「阿羅漢の別名は無学位なのに、生涯学び続けて、精進し続けなければいけないんですか?」

 

老僧「いや、単にわしは学ぶのが好きなんだよ。だから学び続ける自分で在りたいのだ。」

小僧「悟って煩悩を手放しても、知的欲求は残るんですね!」

 

老僧「まあ、悟った後に酒場と女郎屋に通い詰めるようになった、一休宗純禅師みたいな方も居るけどな(笑)」

小僧「師匠は一休禅師が好きみたいですけど、あの方は破戒僧ですよね?」

 

老僧「良し悪しは別として、堅苦しく殺伐とした室町時代で、あれほど自在に自己を貫き通し、しかも多くの人々に愛されたのは凄いと思うよ。」

小僧「師匠も、一休禅師みたいに自由に生きたかったんですか?」

 

老僧「わしはわしだから、一休禅師のようになろうとは思わんさ。ただ、我が青春を求道に捧げた事に後悔は無いが、もっと上手く出来たんじゃないかと思う事はある。」

小僧「へえぇ、青春がしたかったんですか!」

 

老僧「ああ、わしの人生で最も不自由だったのが、学生時代だったからな。人生に未練があるとしたら、唯一その時期だけだ。」

小僧「ひょっとして、過去に遡って人生をやり直したいって思ってます?」

 

老僧「いや、過去に戻ってやり直すより、先に進む事を望むよ。わしは今、自分の人生にワクワクしているからな。」

小僧「学びの人生にワクワクしてるんですね!」

 

老僧「そうとも、わしは今、生きている! まだまだは、これからって事だ!!」

小僧「さすが師匠! よ~し、ボクもボクらしく生きるぞ~!」

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