インドのヨーガ行者(サドゥ)は世俗的な生活を捨てて、野宿をしながら遊行生活を続けたり、小さな草庵を結んで定住します。20世紀最大の覚者と名高いラマナ・マハルシも、アルナーチャラ山の洞窟に何十年も住み着いていたそうです。
原始仏教の僧侶達も、クティ(庫裏・くり)と呼ばれる草庵や洞窟に住み、比丘六物と呼ばれる大・上・中の三衣と、托鉢で使う鉢、尼師壇(にしだん)と呼ばれる敷物(座具)、飲み水を濾す漉水嚢(ろくすいのう)だけで生活していました。
因みに、最初期のクティは植物を編んで作るもので、その形状は舟形光背(ふながた こうはい)の形に近かったという説があります。
禅宗の初祖・達磨大師も洞窟内で面壁九年の坐禅をしていますし、日本国内にも五条大橋の下で20年も乞食をしながら修行をした大燈国師や、横穴古墳で穴居生活を営んでいた風外慧薫禅師ような禅僧が居ます。
臨済宗の禅僧は野外での坐禅を好み、禅庭・枯山水の完成者と名高い夢窓国師の時代から、庭園に置かれた平らな石の上で坐禅をする伝統があります。現在でも正受庵や向嶽寺の坐禅石には、誰でも坐る事が出来ます。
実際に大自然の中で坐禅をしてみると、禅堂や自宅で坐るより集中し易く、普段とは違う気付きも得られます。古来より独覚が「飛花落葉を見て悟る」と言い伝えられてきたのも、あながち無関係とは思えません。
管理人も野外での坐禅(野坐)が好きで、日本国内の様々な場所で坐禅や立禅をしてきました。特に古代山岳信仰の行場や、山頂にある奥宮での坐禅は最高で、より良い場所を求めて全国一周の巡礼旅までしています。
最近は関西の某キャンプ場でタープを張って、その中で坐禅をする事が多いです。個人的には、年に1∼2回ほど有名な聖地に行くより、身近な場所で野坐をする方が良いと思っています。
また、キャンプ場なら焚火で煮炊きが出来るので、釈迦世尊の命を救った乳糜(にゅうび)や、サドゥが常食しているスパイス粥(キチュリ)、もののけ姫の味噌雑炊(みそうず)などを作って楽しめます。
因みに、これは数年前に私が作成したキャンプ動画です。焚火と食事の後に、思う存分、野坐を堪能しました。
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