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私説・不思善悪(ふし ぜんあく)

 

盧(ろ)という名の行者(あんじゃ・寺の雑務を行う労働者)は追われていた。師より法嗣の証たる衣鉢を渡されたは良いが、僧A氏が率いる反対勢力がそれを取り返そうとしているのだ。盧行者は必死に逃げたが、ついに反対勢力に追いつかれ、取り囲まれてしまったのだった・・・。

 

 

追1「いくら逃げても、我々は何処までも追いかけていく。その衣鉢はあまりにも尊く、重い。無学な貴様の手には余る品物だ。大人しく我らに渡すんだ。」

行者「はあはあ・・・手に余ると言う意味では、君たちも同じだろ。」

 

 

追1「その通りだ。認めるよ。だから命を懸けてでも、相応しい御方に渡さなければいけないのだ。」

行者 「自分で嗣ごうとは思わないのか?」

 

 

追2「人間には分相応というものがある。残念ながら我々はその器では無い、そして貴様もな!」

行者 「じゃあ、君たちは何の為に修行をしているんだ?」

 

 

追手「「「 諸悪莫作 衆善奉行! 」」」

行者 「・・・あっそ。」

 

 

追1「正法を弘流するだけの力量を持つ人の手に衣鉢が渡れば、後の世まで法脈が続く。これ以上の善は無く、僧侶の役目とは正にそれに他ならない。逆に、正法の法脈を断つ事は、これ以下は無いと言う程の悪だ。違うか?」

追2「この煩悩に満ちた汚濁の世には、誰もが頭を垂れる強い指導者が必要だ! 師の跡を継ぐのに相応しいのは、学が深く、胆力もある僧A様だ!」

追3「って言うか、全員でキチンと話し合って法嗣を決めないとダメでしょ。この場合は、最初からやり直さなきゃいけないんじゃない?」

追4「話し合いの必要など無い。黙って皆の言う通りにしろ。さもなくば・・・。」

追5「お前の事は、前から嫌いだったんだ。卑しい身分の分際で、生意気なんだよ!」

追6「出家もしてねぇし、ロクに字も書けねぇ。そんなテメエの事など、俺様は認めねえ!」

 

 

行者(はぁ・・・相変わらず人としてのレベルが低い連中ばかりだな。)

追1 「もし貴様が法を嗣いだ所為で師の教えが絶えたら、どう責任を取るつもりなんだ?  いい加減、逃げ回るのはやめろ。」

追2 「貴様は我々から逃げ回り、醜態を晒した! そんな情けない奴に指導者は務まらん! 観念しろ!!」

追手「「「 そうだそうだ! 」」」」

 

 

行者「なあ、これまでに一度でも、釈迦や師が『人を集めて取り囲み、力づくで奪え』と説いた事があったか?」

追5「スカしてんじゃねええええええ!」

追1「落ち着け。脊髄反射するな。我々の品格が落ちるし、何より人として正しくない。」

追6「テメエ、マジでシメるぞ!!」

追2「チンピラみたいな事を言うな、黙ってろ!」

追3「衣鉢を不当な手段で奪ったのはアナタでしょ? ボクらは取り戻そうとしているだけだから。」

追4「問答無用。」シュッ!ギラッ!

追1「馬鹿、刃物を仕舞え! 僧侶が武器を持つな!」

 

 

行者 「・・・何か、大変だな。」

追手「「「 貴様の所為だろ!? 」」」

追1(・・・だが、大変なのは事実だ。正直、疲れる。)

追2「人を正しく導くには力が要る。威厳も何も無く、数も集められない貴様に指導者は務まらん!」

追3「いいから、その衣鉢を渡しなよ。話をするのは、それからでも遅くないでしょ?」

追手「「「 このヤロー・・・。」」」

 

 

行者「そんなに衣鉢が欲しいのか? こんなの『物』に過ぎないぞ?」

追1(・・・それは、確かにそうだな。)

追2「多くの人間を統べるには、象徴となるものが必要なのだ! そしてその象徴には、師の衣鉢こそが相応しい!! 貴様はそんな事も分からんのか!?」

追手「「「 そうだそうだ! 」」」

 

 

行者 「本当に志の低い連中だな。衣鉢を手に入れるだけで満足するなら、勝手に持って行けよ。」

行者は慌てるでもなく、衣鉢を石の上に投げ捨てて、そう言い放った。

 

 

追6「テメェ、上等こいてんじゃねえぞゴラァ!!」

追5「カッコつけてんじゃねええええ!」

追4「もう遅い。貴様は俺を怒らせた。」シュッ!ギラッ!

追2「武器をしまえバカヤロウ!!」

追3「そんなに簡単に手放すなら、最初から受け取らなければ良かったじゃん。」

追1「・・・はぁ。もういいから、早く衣鉢を回収しろ。」

 

 

追6「あいよ。でもこれ、俺たちが直接触ったらダメだったよな? どうやって持ち帰りゃいいんだ?」

追3「確か作法があるんですよね。ボクは知らないけど。」

追5「俺は何も知らない。でもそれは俺の所為じゃない。俺は何も悪く無い。」

追2「参ったな、我々では持ち帰れんぞ。」

追4「緊急時なのだから仕方あるまい。布に包んで触らないようにすればいい。」

追1「そういう問題ではない。伝統の破壊者になり下がるな。だが、実際どうやって・・・。」

 

 

行者「どうした、早く持って帰れよ。」

追手「「「「 うっ・・・。」」」

追6「テメェが頭下げて持って帰れば済む話だろうが! キリキリ動けやクソがァ!!」

追5「そうだ、全部貴様が悪いんだあああああああ!!」

追4「貴様が何とかしろ、さもなくば・・・。」シュッ!ギラッ!

追2「だからそれやめろってさっきから言ってるだろいい加減にしろ!!」

追3「持って帰れとか言ってるけど、それって二重束縛じゃん? 手口が汚いよね。みんなもそう思うでしょ?」

追手「「「 そうだそうだ!! 」」」

 

 

追1「悔しいが、衣鉢を持ち運ぶ資格があるのは、師が認めた貴様だけだ。正法と伝統の為に、ここは折れてくれないか?」

行者「こんなに大勢で追いかけて来たクセに、俺ひとりに泣きつくのかよ・・・。」

 

 

追1「我々は、衣鉢を自分の物にしたい訳ではない。誰もそんな欲は持っていない。ただ、然るべき御方の手に渡したいだけなのだ。ここにいる誰もが、それが最善であり、正しい事だと思っている。」

行者「然るべき御方って、僧A氏がか?」

 

 

追6「言ったな、コノヤロウ!!」

追5「生意気いうなあああああ!」

追2「お前らは黙ってろ!!」

追1「まだ話をしてる最中だ、静かにしろ。」

追6「チッ、もういい。つまんねえから先に戻ってるぜ。」

追5「な、何だよぅ~・・・ま、待って、俺も帰る!」

 

 

追1「全くアイツらは・・・話を続けたいが、いいか?」

行者「ああ。」

 

 

追1「まずは謝罪しよう。大勢で追いかけて済まなかったな。」

行者「まあ、謝るならいいよ。怪我もしてないしな。」

 

 

追1「先にも言ったが、我々は貴様が憎くて追いかけた訳ではない。いくら師が決めた事とは言え、仏教教学を知らず、出家修行者ですら無い貴様が法を嗣ぐなど、我々には認められんのだ。」

行者「学が無いのはともかく、出家にこだわる理由が分からん。なんで法嗣が在家じゃダメなんだ?」

 

 

追2「僧侶の資格が無い者に就いていく僧侶が居るか!」

行者「知るかよ。他人を侍らせて悦に入る趣味はねえし、中身が無いのに人だけ就いてきても仕方ねえだろ。」

 

 

追3「中身が無いって、僧A様の事? そんなふうに人を見下している君が、指導者になって良いのかなあ?」

行者「中身は正法に決まっているだろ。あと、俺は指導者になりたい訳じゃない。師から衣鉢を託されはしたけどな。」

 

 

追1「大いなるものを受け継いだからには、相応の責任が生じる。常識だぞ。」

行者「いつ決まったんだ、そんな常識。仮に決まっていたとして、従わなきゃならない理由が何処にあるんだ?」

 

 

追4「・・・やはり此奴は殺るしかない。」シュッ!ギラッ!

追2「やめろって言ってんだろ、ブッ殺すぞゴラァ!!」

行者「いや、どっちもやめろよ。」

 

 

追1「このままでは収拾がつかんな・・・。そうだ、衣鉢を嗣いだ者として、この場で我々に正法を説き、実力を示してみてはくれないか? それで皆が納得すれば良しだ。」

行者「納得しなかったらどうなるんだよ・・・。まあ、いいけどさ。」

 

 

追2「そもそも貴様が法嗣に選ばれたのは、僧A様の詩を否定したのが切っ掛けだ!  だが『身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し、時々に勤めて払拭し、塵埃をあらしむることなかれ』という素晴らしい詩の何処に、ケチをつける必要がある!?」

行者「菩提(悟り)は果実みたいに生(な)るものではないし、心を含む全てのものは実体が無く空(くう)なんだから、塵とか埃なんかはつきようがないんだよ。」

 

 

追3「仏果が無いなら、君は何を嗣いだの?  言っとくけど、ボクは騙されないからね?」

行者「仏法は無知無得って、師から教わっただろ?」

 

 

追3「うっ・・・そ、そんなの屁理屈だ! 答えになってない!! そ、それに質問を質問で返すのは詭弁だぞ! この議論は君の負けだ! 帰る!!」

行者「そか、気をつけて帰れよ。ってか、衣鉢はいいのか?」

 

 

追1「・・・仏法が無知無得なら、仏法とは何なのだ?」

行者「それを言葉で伝えられるなら修行をする必要はないし、師も苦労せずに済んでるだろ。」

 

 

追1「私が仏門に入ったのは、究極の真理を知りたいからだ。真理とは絶対正義であり、絶対正義のみが安楽の仏国土を実現させうる。これは仏僧の悲願だ!」

行者「いやいや、世の中なんて、なるようにしかならねえよ。だって、みんながみんな、違う考えと信念を持ってるんだぜ? みんなが自分の信じる真理や正義を貫こうとしてるから、世の中は争いが絶えないんだよ。」

 

 

追1「全人類が一つの理想に向かって団結すれば、もう争いは起こらない! そしてその団結は、仏法の真理のみが成し得ると知れ!! 」

行者「おいおいおい、危なっかしい奴だな・・・。ってか、少なくとも師は、そんなカルトでヤバい事は言ってないだろ。」

 

 

追1「カ、カルトだと!? 言ったな貴様! では、貴様の言う真理とは、絶対正義とは何なのだ!! 言ってみろ!!!」

行者「ああもう、ちょっと頭を冷やせよ。絶対正義なんか知らねえけど、真理なら師から教わってるだろ。」

 

 

追1「師は正法を説いてくださるが、正義については何も語られない。だからこそ師の法を嗣いだ時に、貴様が何を教わったのかが気になるのだ!」

行者「何も特別な事なんか教わってねえよ。でもまあ、そんなに正義だの善悪だのが気になるなら、ちょっとだけ考えてみてくれ。善も悪も思わない真の自己、本来の面目(めんもく)とは何かってさ。」

 

 

追2「は?」

行者「真の自己だよ。いつも本来面目とは何かって師が言っているだろ?」

 

 

追2「いやまあ、それは確かによく仰られているが・・・。」

行者「よく言っているという事は、それだけ重要だって事だろ。」

 

 

追2「いやだから、それが正義や善悪と、どう結びつくんだ?」

行者「みんな自分なりに善悪についての考えや、真理や正義について思う事があるだろ? でも、その所為で見えなくなっているものがあるんだよ。」

 

 

追2「その見えなくなっているものを見る為に、頭の中をカラにしろって事か?」

行者「ちょっと違うけど、まあ大体そんな感じかな。」

 

 

追2「うーむ、師の教えに通じる所があるような気もするが・・・って、お前、何で泣いてんの?!」

追1「善も悪も思わない、真の自己は・・・いつも此処に居た。いや、居ました。私は物事の善し悪しばかりを考えていた所為で、ずっと肝心なものを見落としていたのか・・・。」

 

 

追2「お、おい! 何で急に土下座なんかするんだよ! 気は確かか!!」

行者「そっとしといてやれよ。彼は、やっと真の自己に立ち返れたんだからさ。・・・とりあえず、おめでとうと言っとくぜ。これからもっと大変になるけどな。」

 

 

追2「え? 大変って、何を言って・・・。」

追1「いいんだ。もういい。やっと分かった。彼が僧A様の詩を否定した理由と、彼が師に認められた理由が分かったんだ。分かってみれば、当たり前過ぎるほど当たり前の事だった。全く、なんて事だ・・・はは。」

 

 

追2「お前・・・泣きながら笑うなよ。大丈夫かよホントに。」

行者「いいから。」

 

 

追1「お願いがあります。今、お教え頂いた事の他にも、何か教えて頂けませんか? 今の私ならきっと、教えて頂いた事を理解出来る筈です!」

行者「そうだな・・・善を思わず、悪を思わない時は、世界が生まれる前の世界と、それを見ている真の自己が居る。そう気づいた瞬間に『あるがままの世界』が見えてくる。今、君は真理の世界に生きているんだ・・・ってな感じでどう?」

 

 

追1「あ、ありがとうございます!  そう、その通り、その通りだ! 私が世界だと思っていたものは、迷妄の産物でしかなかったんだ! いつだって世界はあるがままに在ったというのに!! うぅ~(涙)」

追手(((・・・何を言ってんのか、サッパリ分からない。全くついていけない。)))

 

 

行者「今の君なら、衣鉢を持ち帰れるだろ?」

追1「あ、確かに。」

 

 

追2「わ、わ! 師の許可も得ずに触るなぁああああああ!!」

追手「「「 うわああああぁぁぁぁぁあああああああ!! 」」」

 

 

追1「はは、みんな騒ぐなよ。ただ衣鉢を持っただけじゃないか。気持ちは分かるがな。」

追2「じ、じ、自分が何をやったか、分かってんのかああああああ!!」

 

 

行者「ああ、彼は山のように重い衣鉢を持ち上げたのさ。」

追1「はは、虚妄の山でしたがね。今じゃ綺麗サッパリ、軽い軽い。」

 

 

追2「さ、最悪だ・・・衣鉢が煩悩で穢されてしまった。もう取り返しがつかないぞ・・・!」

追1「大丈夫だ、何も問題は無い。」

行者「ああ、師も喜ぶさ。」

 

 

追1「ですが、衣鉢は貴方にこそ相応しい。これを持って、故郷にお帰りください。」

行者「ん? いいのか?」

 

 

追1「ええ、貴方こそが法嗣です。」

行者「・・・そっか、じゃあ行くぜ。師によろしく言っといてくれよな。」

 

 

追2「お、おい、行かせて良いのか? アイツ、衣鉢を持って行っちまうぞ・・・。」

追1「私は目が覚めたよ。僧A様は優秀な御方だが、法嗣は彼だ。そして彼は、私の目を開かせてくれた師でもある。」

 

 

追2「マジでわけわかんねぇ! お前、本当にどうしちまったんだよォ!!」

追1「善だの悪だの戒律だのといった妄想に塗れていたら、衣鉢には触れない。触れる資格が無い。山盛りの妄想は重過ぎて、単なる『物』に過ぎない衣鉢を持ち上げる事すら出来なくなるんだ・・・。」

 

 

追2「 か、完全に壊れちまいやがった! 前々から思っていたが、お前は生真面目過ぎなんだよ! そんなふうに自分を追い込んだって、何も良い事はねえだろうによぉ~・・・。」

追1「確かに生真面目過ぎた。でも、そのおかげで目が覚めた。世の中、何が功を奏するか分からんものだな、はは。」

 

 

追2「何なんだよ、急にあの野郎みたいな事を言い始めやがって! とても付き合いきれねぇよ!  もう、どうなっても知らないからな!!」

追1「・・・目が醒めたら、醒めたなりに大変だという事か。だが、まずは師や僧A氏と話をするのが先決だ。その後は、さて、どうしたものか・・・。」

 

 

追手その1は、後日、行者のもとに行き、正式に弟子となった。

 

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古則公案・SS
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コメント

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