私説・不思善悪(ふし ぜんあく)

2020年4月23日古則公案・SS

 

行者(あんじゃ・寺の雑務を行う労働者)は追われていた。師より法嗣の証たる衣鉢を渡されたは良いが、僧A氏が率いる反対勢力がそれを取り返そうとしているのだ。行者は必死に逃げたが、ついに反対勢力に追いつかれ、取り囲まれてしまった。

 

 

追1「いくら逃げても、我々は何処までも追いかけていく。その衣鉢はあまりにも尊く、重い。無学な貴様の手には余る品物だ。大人しく我らに渡すんだ。」

行者「はあはあ・・・手に余ると言う意味では、君たちも同じだろ。」

 

 

追1「その通りだ。認めるよ。だから命を懸けてでも、相応しい御方に渡さなければいけないのだ。」

行者 「・・・自分で嗣ごうとは思わないのか?」

 

 

追2「人間には分相応というものがある。残念ながら我々はその器では無い、そして貴様もな!」

行者 「じゃあ、君たちは何の為に修行をしているんだ?」

 

 

追手「「「 諸悪莫作 衆善奉行! 」」」

行者 「・・・あっそ。」

 

 

追1「正法を弘流するだけの力量を持つ人の手に衣鉢が渡れば、後の世まで法脈が続く。これ以上の善は無く、僧侶の役目とは正にそれに他ならない。逆に、正法の法脈を断つ事は、これ以下は無いと言う程の悪だ。違うか?」

追2「彼らが指導者である僧A様こそが、その役割を担うに相応しい。僧A様の学は素晴らしく、匹敵する者は何処にも居ない。この汚濁の世には、誰もが頭を垂れる強力な指導者が必要なのだ!」

追3「って言うか、全員でキチンと話し合って法嗣を決めないとダメでしょ。この場合は、最初からやり直さないと。」

追4「いや、話し合いの必要は無い。黙って言う通りにしろ。さもなくば・・・。」

追5「お前の事は、前から嫌いだったんだ。卑しい身分の分際で、生意気だ!」

追6「出家もしてねぇし、ロクに字も書けねぇ。そんなテメエの事など、俺様は認めねえ!」

 

 

行者(・・・相変わらず、人としてのレベルが低い連中ばかりだな。)

 

 

追2 「分かるか?舐められているんだよ貴様は! それでは誰も付き従わず、離れていくだけだ!」

追1 「貴様が法を嗣いだ所為で、師の正法が絶えたら、どう責任を取るつもりなんだ? いい加減、逃げ回るのをやめろ。」

追手「「「 そうだそうだ! 」」」」

 

 

行者「・・・君たちの言う正法とは何だ? いつ、釈迦世尊が数を集めて取り囲み、力づくで奪えと教えた?」

 

 

追5「スカしてんじゃねええええええ!」

追1「落ち着け。脊髄反射するな。我々の品格が落ちるし、何より人として正しくない。」

追6「いや、コイツ、マジでシメちまった方がよくね?」

追2「チンピラみたいな事を言うな、黙ってろ!」

追3「衣鉢を不当な手段で奪ったのはアナタでしょ? ボクらは取り戻そうとしているだけだから。」

追4「問答無用。」シュッ!ギラッ!

追1「お、おい、それを仕舞え。僧侶のクセに、何て物騒な物を持っているんだ!」

 

 

行者 「・・・何か、大変だな。」

追手「「「 貴様の所為だろ!? 」」」

 

 

追1(・・・だがまあ、大変なのは否めないな。正直、疲れる。)

追2「人を正しく導くには力が要る。威厳も何も無く、数も集められない貴様に指導者は務まらん!」

追3「とにかく、その衣鉢を渡しなよ。話はそれからでも遅くない。」

追手「「「 このヤロー・・・。」」」

 

 

行者「そんなに衣鉢が欲しいのか? こんなの”物”に過ぎないぞ?」

 

 

追2「象徴、シンボルが重要なのだよ、人を統べるにはな。」

追手「「「 そうだそうだ! 」」」

追1(・・・”物”に過ぎない、か。)

 

 

行者は慌てるでもなく、衣鉢を石の上に投げ捨てて、こう言い放った。

行者 「はぁ・・・。本当に志の低い連中だな。象徴としての衣鉢を手に入れるだけで満足できるなら、勝手に持って行けよ。」

 

 

追6「何を上等くれてやがんだテメエは、ムカつくなぁ!」

追5「カッコつけてんじゃねええええ!」

追4「もう遅い。貴様は俺を怒らせた。」シュッ!ギラッ!

追2「だから仕舞えって!」

追3「そんな簡単に手放すなら、最初から受け取らなければ良いじゃん。」

追1「・・・もういいから、早く衣鉢を回収しろ。」

 

 

追6「分かった。・・・でもこれ、俺たちが直接触ったらダメなんじゃなかったか?どうやって持ち帰るんだ?」

追3「確か作法があるんですよね?ボクは知らないけど。」

追5「俺は何も知らない。でもそれは俺の所為じゃない。俺は悪く無い。」

追2「参ったな、我々では持ち帰れんぞ。」

追4「緊急時なのだから仕方あるまい。布に包んで触らないようにすればいい。」

追1「我々が伝統の破壊者になる訳にはいかん! だが、実際どうやって・・・。」

 

 

行者「どうした、早く持って帰れよ。」

追手「「「「 うっ・・・。」」」

 

 

追6「・・・ってか、テメーが頭下げて持って帰れやコラァ!」

追5「そうだ、全部貴様が悪いんだあああああああ!!」

追4「貴様が何とかしろ、さもなくば・・・。」シュッ!ギラッ!

追2「だからそれやめろってさっきから言ってるだろいい加減にしろ!」

追3「持って帰れとか言うけど、手口が汚いよね。二重束縛じゃん。みんなもそう思うでしょ?」

追手「「「 そうだそうだ!! 」」」

 

 

追1「悔しいが、我々には衣鉢に触れる資格が無いのだ。持ち帰れるのは師が認めた貴様だけだ。ここは折れてくれないか?」

行者「こんなに大勢で追いかけて来たクセに、俺に泣きつくのかよ・・・500人くらい居るだろこれ。」

 

 

追1「我々は、衣鉢を自分の物にしたい訳ではない。誰もそんな欲は持っていない。ただ、然るべき御方の手に渡したいだけなのだ。ここにいる誰もが、それが最善であり、正しい事だと思っている。」

行者「然るべき御方って、僧A氏だろ?  言っちゃ悪いが、そんなに大した奴か?」

 

 

追6「何だとコノヤロウ!」

追5「生意気いうなあああああ!」

追2「お前らは黙ってろ!!」

追1「まだ話をしてる最中だ、静かにしろ。」

 

 

追6「・・・チッ、もういいや。つまんねえから先に戻ってるぜ。」

追5「な、何だよぅ~・・・ま、待って、俺も帰る!」

 

 

追1「全くアイツらは・・・話を続けたいが、いいか?」

行者「ああ。」

 

 

追1「まずは謝罪しよう。大勢で追いかけて済まなかったな。」

行者「まあ、謝るならいいよ。師からこうなると警告されてたし、別に怪我もしてないし。」

 

 

追1「我々が貴様を追ってきたのは、貴様が憎いからでは無い。飽くまでも正法の弘流や、信念あっての事だ。そもそも、教学どころか出家修行者ですら無い貴様が法嗣になっても、余程の実力が無い限り誰も納得しない。率直に言って、このままでは収まりがつかんのだ。」

行者「そこで出家にこだわる理由が分からん。在家の法嗣が居ちゃマズいのか?」

 

 

追2「その考え方では、人がついてこないぞ!」

行者「知るかよ。それに中身が無いのに、人だけついてきても仕方ないだろ。」

 

 

追3「中身が無いって、失礼じゃない?。そんなふうに人を見下しておいて、指導者が務まるのか疑問だね。」

行者「中身は正法に決まっているだろ。あと、俺は指導者になりたい訳じゃない。師から衣鉢を託されはしたけどな。」

 

 

追1「大いなるものを受け継いだからには、相応の責任が生じる。常識だぞ。」

行者「いつ決まったんだ、そんな常識。仮に決まっていたとして、従わなきゃならない理由が何処にあるんだ?」

 

 

追4「・・・やはり此奴は殺るしかない。」シュッ!ギラッ!

追2「やめろって言ってんだ、いい加減ブッ殺すぞ貴様!」

行者「いや、どっちもやめろよ。」

 

 

追1「このままでは収拾がつかん・・・。そうだ、衣鉢を嗣いだ者として、この場で我々に法を説き、その実力を示してみてはくれないか?それで皆が納得すれば良しだ。」

行者「納得しなかったらどうなるんだよ・・・。まあ、いいけどさ。」

 

 

追2「そもそも貴様が師から法嗣に選ばれたのは、我らが指導者たる僧A様の詩を否定した事による! 身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し、時々に勤めて払拭し、塵埃をあらしむることなかれ。この詩の何処に否定する要素がある!?」

行者「だから、自己や菩提(悟り)を木に例えたり、心を鏡に例える事が間違いだって言っているんだよ。どちらも元々無いものなんだし、無いものに埃がつく訳ないだろ?」

 

 

追3「身も心も正法すらも無いのなら、アナタは何を嗣いだのかな? 言っとくけど、ボクは騙されないよ?」

行者「仏法は無知無得って、師から教わってないのか? こんなの無学な俺でも知ってるぞ?」

 

 

追3「うっ・・・そ、そんなの屁理屈だ、答えになってないじゃないか!これ以上話し合う事なんか無い!! 帰る!!!」

行者「そか、気をつけて帰れよ。ってか、衣鉢はいいのか?」

 

 

追1「・・・仏法が無知無得ならば、我々は何の為に禅の教えを学んでいるんだ?それに、これは前から気になっていた事なんだが、貴様が衣鉢を嗣いだ際、師から特別な事を教わってはいないか? もし、それが真の善や本当に正しい事についての教えであるなら・・・頼む、教えてくれ。私はそれを、どうしても知りたいんだ!」

行者「特別な事なんか教わってないけど、禅の教えや修行の意味が知りたいなら、ちょっとだけ考えてみてくれ。善を思わず、悪を思わない時、真の自己が何処に居るのかを。」

 

 

追2「は?」

行者「真の自己だよ。師が良く言っていただろ?」

 

 

追2「いやまあ、それは確かに良く仰っている事だが・・・って、お前、何で泣いてんの?!」

追1「善も悪も思わない、真の自己は・・・此処に居た。いや、居ました。私は物事の善し悪しばかりを考えていた所為で、ずっと肝心なものを見落としていたのか・・・。」

 

 

追2「お、おい!何で土下座なんかしてんだよ!気は確かか!!」

行者「そっとしといてやれよ。彼は、やっと真の自己に立ち返れたんだからさ。・・・とりあえず、おめでとうと言っとくぜ。これからもっと大変になるけどな。」

 

 

追2「え?大変って、何を言って・・・。」

追1「いいんだ。もういい。やっと分かった。彼が僧A様の詩を否定した理由と、彼が師に認められた理由が分かったんだ。分かってみれば、当たり前過ぎるほど当たり前の事だった。全く、なんて事だ・・・はは。」

 

 

追2「お前・・・泣きながら笑うなよ。大丈夫かよホントに。」

行者「いいから。」

 

 

追1「お願いがあります。今、お教え頂いた事の他にも、何か教えて頂けませんか?今の私ならきっと、教えて頂いた事を理解出来る筈です!」

行者「善を思わず、悪を思わない時は、世界が生まれる前の世界と、それを見ている真の自己が居る。それは全ての終わりであり、始まりでもある。そこから見えるものこそが真実であり、唯一価値あるものだ。・・・やっと始まったんだから、楽しみにしとけよ?」

 

 

追1「あ、ありがとうございます! そう、その通り、その通りだ! これは終わりであり、始まりなんだ。やっと私は始まったんだ・・・うう~(涙)」

追手(((・・・何を言ってんのか、サッパリ分からない。全くついていけない。)))

 

 

行者「今の君なら、衣鉢を持ち帰れるだろ?」

追1「あ、確かに。」

 

 

追2「わ、わ! おい、何やってんだあああああああ!!」

追手「「「 うわああああぁぁあああああああ!!  」」」

 

 

追1「はは・・・みんな騒ぐなよ。ただ衣鉢を持っただけじゃないか。気持ちは分かるがな。」

追2「じ、じ、自分が何をやったのか、分かってんのかああああああああ!!」

 

 

行者「ああ、彼は山のように重い衣鉢を持ち上げたのさ。」

追1「はは、虚妄の山でしたがね。今じゃ綺麗サッパリ、軽い軽い。」

 

 

追2「な、何と言う事を・・・最悪だ。もう、取り返しがつかないぞ。」

追1「大丈夫だ、何も問題は無い。」

行者「ああ、師も喜ぶさ。」

 

 

追1「ですが、衣鉢は貴方にこそ相応しい。これを持って、故郷にお帰りください。」

行者「ん?いいのか?」

 

 

追1「ええ、貴方こそが法嗣です。」

行者「・・・そっか、じゃあ行くぜ。師によろしく言っといてくれよな。」

 

 

追2「お、おい、行かせて良いのか? アイツ、衣鉢を持って行っちまうぞ・・・。」

追1「私は目が覚めたよ。僧A様が優秀な御方である事には違いないが、法嗣は彼だ。そして彼は、私の目を開かせてくれた師でもある。」

 

 

追2「ダメだ、わけわかんねぇ。お前、本当にどうしちまったんだよォ!!」

追1「善だの悪だの、戒だの律だの、そんな妄想に塗れていたら、衣鉢には触れない。触れる資格が無い。山盛りの妄想は重過ぎて、衣鉢を持ち上げる事すら出来なくなるんだ・・・。」

 

 

追2「 か、完全に壊れちまいやがった! 前々から思っていたが、お前は生真面目過ぎなんだよ・・・。そんなふうに自分を追い込んだって、何も良い事はねえだろうによぉ~!」

追1「確かに生真面目過ぎた。でも、そのおかげで目が覚めた。世の中、何が功を奏するか分からんものだな、はは。」

 

 

追手その1は、後日、行者のもとに行き、正式に弟子となった。

 

 

無門関(むもんかん)

 

2020年4月23日古則公案・SS

Posted by 清濁 思龍